猫―――その言葉を聞くと自由奔放なイメージがあるかもしれない。事実犬に感じるような忠実さというものは無いだろう。自由気ままで好きなときに好きなことをする、そしてそれが人によって可愛く見えるわけだ。

しかし赤司が飼っている猫には自由奔放という言葉が似合わなかった。我が儘もいわないし粗相もしない。鳴き声で困らせることもないし家を荒らされたこともない。本当に言葉通り手間の掛からないよく出来た猫だった。

そのうえ赤司の飼う猫は人の言葉を理解しているのではと思うほど利口な子なのだ。以前ソファで寝こけた赤司の元へブランケットを届けようとしたことがあるほどである。―――しかし悲しいかな、ブランケットの重量に耐えられず、結果ブランケットの下敷きになるだけだった。

そんな赤司の飼い猫は、今日も元気にご主人に寄り添っている。

1.



「ただいまテツヤ、何か変わったことは無かったかい?」

赤司が帰ってくるのを見越していたかのように、テツヤは玄関で座って待っている。そのお迎えを赤司はとても嬉しく思っていた。家庭の事情で母親も父親もほとんど不在のため、赤司には迎えてくれる家族が一匹しかいないのである。そしてその一匹は誰よりも赤司を愛していてくれた。

荷物をリビングにどさりと置く。両親がいれば説教ものだが、この家には赤司を叱る人間はいない。だから赤司は脱いだブレザーなどを敢えて仕舞わずにソファへ投げ捨てた。ブレザーは半分床に落ちるように中途半端な形で掛かっている。

「直さなくていいよ。後で片付けるから」

ブレザーの元へ、とてとて歩こうとしたテツヤを止める。ブランケット事件で重量オーバーのものは運べないと学習したテツヤだったが、赤司が心配だからかちょくちょく赤司の“世話”をしようと頑張ってくれていた。猫なのにそんな気遣いをしてくれることが正直とても嬉しい。

「ご飯にしよう。用意するから少し待っていてくれるか」

朝ご飯と夕ご飯を赤司は自分で作っている。当初はハウスキーパーに頼もうかと考えていたのだが、自分の領域に他人を入れたくなかったため、家事全般を自身で行うことにしたのだ。テツヤの分は猫缶で十分なため用意するのは一人分の食事、たいした負担ではない。冷蔵庫から適当に食材を取り出して軽く時間をかければ、一人暮らしにしては少し豪勢な食事ができあがった。

「いただきます」

「にゃー」

黙々と食事をする一人と一匹。食事時のテレビはあまり好まないため、なんとも静かな食事風景である。しかしこれが日常であり当たり前だった。先に食べ終わったのはテツヤで、満腹で機嫌が良いからかごろごろしている。赤司も食べ終わってから、テツヤに混ざるように床に寝そべった。

「ご飯は美味しかったかい?」

そう言えばテツヤは頬を手にすりつけるかのように寄り添ってくる。きっと美味しかったのだと伝えているのだろう。人間である赤司の言葉を、不思議にもテツヤは理解しているかのようだ。じゃなければここまで賢い猫などこの世にはいない。

「………なんだか眠くなってきた。もう寝てしまおうかな」

宿題などは休み時間に終わらせるため家になど持ち帰らない。特に予習しなければならない授業もない。ならもう寝てもいいんじゃないか。赤司の瞼は這い寄る睡魔によって徐々に落とされていく。しかしその睡魔を撃退したのは目の前にいるテツヤだった。ふにふにとした肉球で赤司の頬をぺちぺちと叩く。まるで寝てはいけないと言っているように。赤司の意識が少し戻ったのを確認すると、テツヤはブレザーの袖をくわえ赤司の元へ引っ張ろうとした。

「あぁ……それを掛けろと言いたいのか」

赤司は後でハンガーにかけると先程言った。それを破って寝てしまうことをテツヤは咎めているらしい。まるで母親のような行動に赤司はくすりと笑ってしまった。それと同時に眠気が少し飛んでいった。

2.



「緑間っちから聞いたんスけど、赤司っちって猫飼ってるの?」

黄瀬からの質問に赤司はすぐさま肯定の返事をした。黄瀬には話したと思っていたが、どうやら知らなかったらしい。赤司が猫を飼っていることに何故か感動した黄瀬は、なんとしても見たいと駄々をこねた。

「見に来るのは構わないが部活後にそんな時間あるのか?親御さんに迷惑はかけるな」

「うち共働きで親はあんまり帰ってこないっスから大丈夫!」

「夕食はどうする気だ」

「赤司っちの手料理食べたいな〜なんちゃって」

冗談半分で言ってみたらまさかの了承がもらえた。それに驚いた青峰や紫原が次第に行きたいと主張し始めた。なにせ赤司の手作りが頂けるのだ。いろんな意味でこの機は逃したくない。結果緑間と桃井も参加することになり、壮大な赤司の猫見学ツアーが開催されることになった。



六人分の食材を買って家に帰れば、テツヤは玄関にちょこんと座って赤司の帰宅を待っていた。だが帰ってきたのは赤司だけではない。桃井を除いた赤司より背の高い男を四人見て、テツヤは警戒心をあらわにして威嚇をした。

「テツヤ大丈夫だ、彼らは僕の友達で敵ではないよ」

警戒状態のテツヤを宥めるように顎をごろごろ撫でれば、気分を良くしたのかすりすりと赤司に甘える。警戒対象から外れた四人は安心からほっと息をついた。

「にしても小さい猫っスね。まだ子供なんスか?」

「成長期だとは言われたが大きくなっている気はしないな。…あっテツヤ、真太郎の白いのには触れてはダメだよ」

テーピングと言ってもテツヤには理解できないだろう。だから敢えて“白いの”と言葉を変えて言う。それだけでテツヤは赤司の言いたいことをきちんと理解してくれるのだ。現に擦り寄りに行くとき緑間のテーピング部分だけはきちんと避けている。その利口さに青峰までもが驚いた。

「赤司くんの躾がすごいのかな」

「テツヤがとても優秀なんだよ」

テツヤに関しては赤司がどうこう教育をしたわけではない。ただ最初からテツヤはとても出来る子だった。本当に猫かと疑いたくなるほどにだ。

「赤司っち〜、今日の夕食何にするんスか?」

「これだけいるんだからカレーで良いだろう。敦は少し手伝ってくれ」

「了解〜」

女子を含めても六人分というのはかなりの量だ。材料もそれだけ使わなければいけないため、一番の力持ちである紫原が手伝い役に選ばれた。

「赤司くん、できるまでテツヤくんと遊んでていいかな?」

「構わないが程々にしてあげてくれ」

基本的に赤司としかテツヤは交流しない。いきなり四人に囲まれたらさすがのテツヤも萎縮してしまうだろう。赤司の思った通り、始めテツヤは慣れない環境に尻尾を不安そうに揺らしていた。

「それにしてもホントかわいいっス」

「野良とか近くで見るけどそれとは違ぇよなー」

「下手をすると青峰よりも賢いかもな」

「みどりん笑えないよ〜……ホントに」

桃井の膝の上に乗りながら撫でくり回されていたテツヤにも限界がきたのか、ひょいと膝から飛び降りすたすたと赤司の元に行く。煮込みに入ったようで良い匂いが部屋中に染み渡った。テツヤは食べれないと分かっていたが興奮したようで、すりすりと体を押し付けては尻尾を足に絡めてくる。珍しく積極的なテツヤの態度を見て、蓋を閉めたあと上機嫌で小さな体を抱き上げた。

「良いな〜抱っこしたいな〜」

「お前達の高さじゃテツヤが怯えるだろう。桃井以外は禁止だ」

「私は良いの?」

「あぁ、軽いから問題ないと思うぞ」

ふわりとテツヤの体を赤司から桃井へ移動させる。本来ならばたばたと暴れるものだが、テツヤはとても大人しかった。桃井の腕に収まった後もじっとしていて、まるで借りてきた猫のような感じである。

「かわいいなぁ〜、猫欲しくなっちゃうね」

「けどテツヤっちみたいな猫、なかなかいないっスよ。ホントに元野良なんスか?」

「どこかの名家の猫と言われても不思議ではないのだよ」

「正真正銘というのは変かもしれないが野良だ」

毛並みも美しいし顔立ちもかわいらしい。仮に捨て猫だとしたら捨てた人間の顔を見てみたいくらいである。尤も、仮に現れたとしても返す気はさらさら無いが。



夕食を食べて少しテツヤと戯れた後、時間も時間だったため五人は帰ることにした。桃井を家まで送る役目は幼なじみである青峰の仕事である。最後まで名残惜しそうにしていた五人を無理矢理外に出し、赤司宅にはいつも通りの平穏が戻ってきた。

「疲れただろうテツヤ。もう寝てしまっていいよ」

赤司がそう言えば、テツヤはふらふらとクッションの元まで歩いていき、ボフンとそのまま倒れ込んだ。赤司が思っていた以上に疲弊していたらしい。そんなテツヤの背中を少し撫でて、赤司自身も寝る支度を始めた。

(こんなに騒いだのは久しぶりだったな……)

今の状況が寂しいわけではない。ただ両親がいないという事実に無感情でいられるほど、赤司はまだ大人ではなかった。彼らは帰れば両親がいて温かく迎えてくれるのだろう。そんな当たり前に少しだけ、赤司は嫉妬したのかもしれない。無意識に手を強く握りこんでいた。

「……テツヤ?」

布団に潜り込んでくる小さな塊が赤司の手に鼻先をつける。そして赤司の胸に体を収めるかのように体を滑りこませてきた。服越しに感じる温かみはテツヤが此処にいるという証。それを赤司に感じてもらいたいと言わんばかりにテツヤは赤司に身を押し付けた。

「………大丈夫、僕は寂しくなんかないよ。大切なお前が傍にいてくれるからね。お前だって僕の傍にずっといてくれるんだろう?」

テツヤは応と答えるかのように、にゃあと小さく鳴いた。

3.



「うん分かった。その時間には部活も終わってると思うから」

かちゃりと受話器を丁寧におく。しばらく電話機を見つめたあと、テツヤを見て少しだけ苦笑した。

「今日母さんが帰ってくるみたい」



仕事が少し落ち着いたので赤司に会いに来るらしい。本来なら親に会えることを喜ぶべきなのだが、赤司は彼らをあまり親として認識していなかった。親らしいことをしてもらった記憶が無いからだろう。幼い頃から仕事に明け暮れていた両親は、赤司のことをいつも二の次三の次に考えていた。だから幼稚園のお迎えはいつも最後だし授業参観も来てもらった覚えもない。けれどそれに関して不幸だとは思わなかった。そういうものだと両親を認識していたから。

「困ったな、何を話したら良いか分からないんだ。あの人はバスケに興味無いから。どんなことを話したら喜んでくれるのかな」

赤司にとって親との会話は相手を喜ばせるものだ。だから日常的なことを話したことはほとんどない。そんなことを聞いたところで親にメリットがないからだ。だから彼らが望むような話を赤司は用意しなければ。

「僕の方が帰るの早いと思うけど、もし母さんの方が早かったら隠れてるんだよ。……母さんはテツヤをあまり気に入ってないようだから」

赤司の母親は当初猫を飼うことに反対していた。家系的に動物を飼うことに縁が遠く、人と動物が同じ部屋で過ごすことに違和感を感じるようだ。赤司の家が格式高いことも由来しているだろう。結局赤司が押し切ったことと、両親はほとんど家に帰って来ないことから、なんとか許可をもぎ取り今に至っている。

「じゃあ行ってくるから」

そろそろ行かないと朝練に遅れてしまう。母親のことは一度端に置いておき、赤司は帝光中までの道のりを急いだ。



(あの馬鹿顧問が……、次会ったら制裁だな)

部活終了時刻は6時で部活は時間通りに終わった。ただ顧問に今後のことで残るようにと言われ、赤司は無駄な時間を職員室で過ごす羽目になった。内容自体は(赤司基準で)大したことはなく、むしろ顧問一人でどうにかしろよレベルのこと。だが帝光中、特にバスケ部は自然と赤司を頼る風潮にある。

(母さん何もしてないといいけど……)

赤司の中で母親に穏やかなイメージはあまりない。キャリアウーマンの典型的な形でプライドも高く自分を曲げない人だ。そんな母を嫌いではなかったが好きでもなかった。

「っ!!」

乱雑に扉を開けて中に入る。いつもは靴をそろえて端に寄せるが、そんなことをしている時間はない。母がテツヤに何かしたんじゃないか、それだけが気掛かりで赤司はリビングに繋がる扉を突き破るかの如く開けた。

「ただい…ま……」

−−−

赤司の母親である赤司律華は猫が好きではない。正確に言えば動物全般が好きではなかった。人間は知性をもち動物達とは一線を画して生きている。それなのにその下等な動物と仲良く暮らすだなんて、律華には考えられないことだった。

そして目の前にいるコレも律華の嫌いな動物だ。



「……猫」

キッチンで勝手に湯を沸かしお茶を煎れる。テツヤは律華の視界に入らない物陰で身を小さくしていた。その姿はまるで律華に対して怯えているように見えた。(実際は赤司の言った通りにしているだけなのだが)

「………猫、おいで」

気まぐれに一言言えば、テツヤは物陰からぴょこりと頭を一瞬出して、また元に戻ってしまった。その姿が不覚にも律華の心を揺さぶる。猫なんて下等動物としか見ていなかったのに、目の前のコレは別物みたいだ。

「……猫、三秒顔出してみて」

またテツヤはぴょこりと頭を出す。きっかり三秒、テツヤは律華を見てまた隠れてしまった。

(なにこの子ものすごく賢いんだけど!)

賢いものは良い、優秀isベスト。律華は椅子から立ち上がり、テツヤの近くに少しずつ歩み寄った。そんな律華をテツヤはじっと見つめている。水色の瞳はスカイブルーのようで美しい。柄にもなく律華は「可愛いじゃない」と呟いていた。

「……お手」

律華が右手をテツヤの前に差し出す。テツヤは少し躊躇ったあと、テツヤの右前足を律華の手においた。ぺたりとつけるのではなく、つくかつかないかのギリギリな感じだ。その従順な態度に気分を良くした律華は、更なる要求をテツヤにぶつけた。

「私の手にスリスリしてみせなさいな」

気分は女王様、テツヤは下僕だ。テツヤは律華の言葉に逆らうことなくスリスリと頬を寄せた。その姿が律華の心を乱していく。気分が良くなった律華はテツヤに様々なことをさせた。相手は猫だが『お手やお座り、臥せにボール投げ』など。だんだん楽しくなってしまい、赤司が帰ってくる時間を考慮することを完全に忘れていた。

−−−

「……母さん、何してるの?」

猫じゃらし片手にテツヤを撫でている律華を見て、赤司は素直に目を疑った。テツヤもテツヤで律華に気を許しているのか、スリスリと甘えを見せている。数秒空虚に時間が漂ったあと、律華は猫じゃらしを置いて椅子に座り、冷めてしまったお茶に口をつけた。

「お帰りなさい征十郎」

「いや、今更取り繕ったところで変わらないよ。テツヤおいで」

駆け寄ってきたテツヤを抱き上げてもう一度律華を見る。律華の目はテツヤの方を向いていて、その目は抱きたい抱きたいと訴えていた。ありえないと思いつつも赤司は律華に尋ねた。

「………テツヤ抱っこする?」

「え!べ、別に抱っこしたいわけじゃないわよ。猫なんて、猫なんて別にただの動物だしね。でも征十郎が抱っこして欲しいって思うなら抱っこしてあげないことはないわ。その猫も抱っこしてっていう目をしてるしね。ね、猫?」
「にゃー」

「ほら!本当に賢い子ね。こっちに来なさいな、私が抱っこしてあげるわ」

ぴょんと赤司の腕から飛び降りて律華の元へ行く。律華は躊躇うことなくテツヤを抱き上げて、あくまで『してあげてる』風に振る舞った。

「まったくこんな良い子なかなかいないわよ。征十郎よくやったわ」

「はぁ……」

赤司がいない間になにやら盛り上がったのは分かったが、知らないうちにというのが気にくわない。確かに律華とテツヤの仲が良好になることは好ましいだろう。だけどそれは赤司を介してであって欲しかった。仲間外れの気分である。テツヤも律華を良く思ったのか、赤司ほどでは無いが甘えている。写真を撮りだした律華に対してサービス精神旺盛で返すほどだ。もう赤司の存在など忘れているのか、律華はスマホでテツヤに似合いそうな服を探している始末。一つのことに熱中すると周りが見えなくなる質ではあったが、まさかこんな風に使われるとは思わなかった。

「そうだ……ねぇ征十郎、お婆様が本家に戻ってこいって」

「………え?」

「なんでもお婆様が征十郎をえらく気に入ってね。高校からは京都で過ごすようにって」

お婆様というのは『赤司』の中で最も力をもっている人で、いくら婿養子とはいえ父親ですら御祖母様に逆らうことは出来ない。『赤司』の繁栄は御祖母様の力故という話すらある。その御祖母様は京都にある本邸で力を奮っていた。赤司もお婆様には数度会ったことはあったが、まさかこんなに早く呼ばれるとは。御祖母様に力を認めてもらえるというのは嬉しいことだが、まだ子供の赤司には戸惑いの方が強かった。

「引っ越しの準備なんかは任せなさい。どうせ荷運びなんかも本邸の人間がするんだし」

「テツヤは!?テツヤも連れて行っていいのか?」

「……正直難しいでしょうね。私の動物嫌いって御祖母様から移ったようなもんだから」

「そんな……」

猫の寿命というものでお別れならば仕方ないと割り切ることができる。しかしそれ以外の理由で引き裂かれるなんて考えたくもない。テツヤは事情が分かっていないのか表情を窺うような仕種をしていて、それが余計に胸に染みた。

「友達で貰ってくれるような子いないの?」

テツヤは利口な子だ。だからきっとどこにいても馴染んでしまうだろう。経済的なことを除けば喜んでという人は少なくない筈だ。けれどテツヤを手放すということが赤司には考えられなかった。だってテツヤは赤司の半身で共に生きていく相棒だと思っていたから。

「まぁまだ時間はあるわ。それまでに何とかしなさい」

冷たく言う律華の言葉に赤司は唇を噛み締めることしかできなかった。

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