―――それは本当に偶然の出来事だった。
収録を終えた後、黒子はお手洗いに行くために一人廊下を歩いていた。かなり夜遅い収録だったためスタッフも疎らだ。かくゆう黒子も眠たかったので、早く家に帰りたかった。
「――っ!」
角を曲がろうとした瞬間、体に大きな衝撃が走る。相手の体型にも問題があったのかもしれないが、小柄な黒子は見事に吹き飛ばされた。
「あっごめん!大丈夫かい?」
「大丈夫で――」
いつもの、頭を覆う感覚がない。見ればフードは完全に落ちてしまっていて、廊下だというのに黒子の顔は全開状態だった。相手も唖然としてこちらを見ている。それもその筈、黒子は収録に出たまま衣装を変えていないのだ。お手洗いを済ませてから着替えようと思っていた。
(けど僕達の収録をみんなが知ってるわけではありませんし、大丈夫で――)
「クロさん?」
―――終わった。
それからというもの、そのスタッフはしつこく付き纏ってきた。とは言ってもストーカーとかそういうことではない。ただ素顔を見た瞬間、そのスタッフが黒子に一目惚れしてしまったのだ。こんな可愛い人が顔を出さないなんておかしいと、スタッフは黒子に顔出しするように迫っていた。困ってしまったのは黒子で、かと言って五人に説明しようにも経緯を話さなくてはいけなくて。まだ良かったのは、そのスタッフが黒子の素顔について漏らさなかったことだった。
「本当に……、顔出しするつもりは無いので」
「何言ってるんですか!クロさんならメインも可能ですって。いくつか空いた枠もありますし、すぐに入れるんですよ?」
「僕一人の問題ではありませんから。それに顔を出したいという意思もありません」
きっぱりと拒絶してもスタッフは諦めない。彼としてはきっと善意の行いなのだろう。けれど黒子にとっては正直迷惑だった。本当に顔を出す気は無いのである。
「とにかく……今後そういうことは止めてもらえますか」
「……なんで」
「?」
「僕は貴女のことを思って言っているんです!どうして僕の好意を素直に受け取らないんですか?焦らしなんていらないんです!」
「………はっきり言ってしまえばあなたの好意は迷惑です。それに相手の嫌がっていることを押し付けるのは好意ではありません」
「嫌がってるなんて嘘つかないで下さいよ」
「僕は嘘は言いません」
明確な拒絶にたじろぐこともなくスタッフは黒子をじっと見つめる。その視線に耐えられなくなり目を逸らした時、スタッフの腕がフードに伸びた。
「ちょ、何するんですか!?」
「みんなに貴女の顔を見てもらいましょう。そしたらみんな僕の意見に賛同してくれる筈―――」
「そこまでにしようか」
フードを掴むスタッフの腕を赤司が掴む。その力の強さにスタッフの表情はどんどん歪んでいき、フードから手を離した。
「赤司くん……」
「随分と悪質なストーカーだね」
「ストーカーだと!?」
「ストーカーだろう、クロに迫るなんて」
黒子を背に隠すように赤司が立てば、黒子は少し安心したかのように肩に頭を埋めた。服を掴む手が少しだけ震えている。きっといきなり実力行使に出られて怖かったのだろう。赤司はそんな黒子を宥めるように頭をぽんぽんと撫でた。
「さて、うちの子に手を出した罪は重いぞ」
その死刑宣告にスタッフの腰は抜けその場に崩れ落ちる。赤司はその姿を見て、愉快だと言わんばかりにせせら笑った。
「んじゃ赤ちん報告よろしく〜」
「報告といっても大したことではないさ。ただあのスタッフはどこかに流された、それだけだ」
「いっそ黒子の正体を知ったのだから仲間には出来なかったのか?」
「僕も一度は考えた。けれどあのアタックぶりと自意識過剰を見ると不確定要素だったからな。あれに気を取られるより流した方が早い」
「つぅかそいつがばらさない保証はあんのかよ」
「とりあえず一通り手は施した」
「ご愁傷様っスよね〜、ホント」
黒子の素性を知ったとは思いもしなかったが、黒子が誰かに付き纏われていることには気づいていた。けれど何もしなかったのは相手の目的を知るためだ。もしあのスタッフが何処かの回し者ならば、あのスタッフから大元を釣ろうと考えていた。しかしまさか素顔を知ってそれを出すことを強要していたとは。結果として何事も無かったが、黒子を怖がらせてしまったことについては反省である。
「あの子は僕らのお姫様だからね。他の奴らと共有なんかしないさ」
黒子の素性を知ろうと水面下で動いている人間はかなりいる。しかし彼らは五人の壁を前にして諦めていくのだった。