あの日、体育館倉庫の鍵を閉める役割を担っていたのは黄瀬だった。鍵を閉めるなどの仕事は本来下級生がやる仕事だ。しかし一軍メンバーは必然的に最終下校時刻まで残るので、閉める役割は一軍が担っている。そのローテーションがたまたま黄瀬だった。

「おい黄瀬、お前倉庫の鍵は閉めたのか?」

「あっまだっス。あともう一回1on1やったらで良いっスよね?」

「お前のもう一度は信用出来ないのだよ。……黒子、代わりに閉めてきてくれないか?赤司に連帯責任で言われるのは厄介なのだよ」

「良いですよ、じゃあ行ってきます」

ステージの上にあった鍵を手に取って倉庫に向かう。黄瀬は黒子に一言礼を言うと、再び青峰と向き合った。ちなみに青峰が黄瀬の相手をしているのは、試合に出ることが無くイライラが溜まっていたからである。青峰を出す必要がないと判断した赤司は、試合丸々青峰を出さなかった。

「次こそ青峰っち止めてみせるっス!」

「あぁ?んなの無理に決まってんだろ。俺に1on1で勝とうだなんて百年早いんだよバカ」

「ちょ、百年はひど―――」

黄瀬の言葉は途中で途切れた。正確には黄瀬の言葉に重なるように、けたたましい音が辺りに響いたのだ。びっくりして青峰のドリブルが止まる。黄瀬も緑間も手を止めた。

「なんだよ今の音……」

「体育館の外からしたっスよね?」

「方角的には――「黒ちん!!!」

黒ちんという特殊な呼び方をするのは紫原しかいない。そして黒ちんが指す人間も一人しかいない。三人は持っていたボールを投げ出して倉庫へ向かった。

倉庫の前では紫原が呆然と中を見て立っていた。その紫原を無理矢理どけて青峰が中に入る。そこにあったのは無惨に横たわる黒子の姿だった。急いで黒子を助けたいが、黒子の周りに溢れ出した赤を見て立ちすくんでしまう。その硬直を解いたのは、後ろから来た黄瀬の大きな声だった。

「黒子っち!!」

「……っ、黄瀬くん?」

「今から救急車を呼ぶ。それまで待っていろ」

黄瀬と青峰で黒子を介抱しようとする。しかし素人の二人には、とにかく止血をすることしか思い浮かばない。止血が出来るように紫原が両手いっぱいにタオルを取ってきた。しかしそこで問題が生じてしまった。

「どこから出血してるんスか……」

一面赤に染まってしまったため、黒子の出血している部位が特定出来ないのだ。治療を本業としている人間ならば簡単なのだろう。だが黄瀬も青峰も紫原も、こういったことに対する経験など皆無だ。

「今救急車を呼んだ。あと十分程で来るそうだ」

「緑間っち!」

「……どうした、何があった?」

「テツの止血が出来ねぇんだよ」

「傷口がどこか見つかんないの」

「黄瀬、持っているタオルを貸せ」

血で服が汚れるのも厭わずに緑間は黒子を触診していく。頭の一点に触れた瞬間、黒子の表情が酷く歪んだ。恐らく大きな痛みを感じたのだろう。そこに緑間がタオルを当てれば、そのタオルはみるみるうちに赤く染まっていった。

「恐らくここが傷口なのだよ。俺はこのまま止血をしている、だからお前達の誰か赤司を呼んでこい。アイツなら今職員室にいる筈なのだよ。あと一人正門で待機して此処まで誘導してきてくれ」

緑間の手際が良いのは緑間の家系が医者の系統であるからだ。どの科かは人によって様々だが、医者として働く姿を緑間は近くで見てきた。だからといって緑間に医学的知識があるわけではない。ただ他の人間よりも耐性があるだけだ。

「怪我人はどこですか!!!」

紫原と共に救急隊員が体育館の方へ向かってくる。倉庫まで誘導された隊員は現状を一瞥した後、迅速に処置にかかった。けれど此処で出来るのは現状確認と応急処置だけだ。詳しいことは病院に行かなければ何ともならない。

「よろしくお願いします。保護者には俺達から連絡しますから」

救急車に黒子が乗る様子を緑間と紫原は二人で見守った。青峰と黄瀬が赤司を連れてきたのは、救急車が出発して一分後のことだった。



「真ちゃん?」

緑間を真ちゃんと呼ぶのはたった一人しかいない。ただ真ちゃんと呼んだその声は、面白ふざけてではなく心配したような声色だった。

「……なんだ」

「いや、真ちゃんが意識どこかに飛ばしてんの珍しいなって思って。黒子のこと考えてた?」

「何故俺が黒子のことを考えなければいけないのだよ」

「だって真ちゃん黒子のことめちゃくちゃ気にかけてんじゃん」

誠凛は見事に正邦を下したので、決勝では秀徳と誠凛が対戦することになる。一日に二試合というのは地獄だが、お互い様なので仕方が無い。だから今は少しでも体を休めなければいけない時間だ。なのに緑間は重く堅苦しい表情で手を見つめている。

「そんなに気を詰めちゃ勝てる試合も勝てないぜ」

「……五月蝿いのだよ」

緑間は一人立ち上がってドアノブに手をかける。大坪が何処に行くのかと問えば、お手洗いにという答えが返ってきた。

「………高尾、一応お前も行け。試合前に何かされたら敵わん」

「了解っす」

緑間の後を追うように高尾が控え室を出ていく。手のかかる一年坊主だと大坪は内心溜め息をついた。



(あれ、…もしかして黒子?)

高尾がお手洗いに向かえば、ちょうどお手洗いに入る黒子の姿が見えた。黒子の影の薄さは以前から聞いていたが、鷹の目をもつ高尾には効果が薄い。だからこそ高尾の目にはきちんと黒子の姿が視認出来た。

(真ちゃんもトイレだから鉢合わせじゃん)

何かあってからでは遅いので高尾も急いでお手洗いに入る。しかしそこに緑間の姿はなく、手を洗っている黒子の姿しか無かった。

「あれ?真ちゃんトイレにいねぇの?」

「……高尾くんでしたか。僕が来た時には緑間くんはいませんでしたよ」

「おっかしいなぁ。真ちゃんトイレ行くって言ってたんだけど」

「そうなんですか」

緑間について興味は無いと言わんばかりに黒子は手を洗っている。どうやら手洗い目的に黒子は来たらしい。高尾は少し考えた後、聞きたかったことを聞くことにした。

「なんで真ちゃんは黒子に構うんだろうね」

「……緑間くんから聞いていませんでしたか」

「うん。触れたくないってオーラ全開だから」

「………僕は中学時代に部活で後遺症が残る程の怪我をしました。けれどそれは誰のせいとか、そういう問題では無いんです。けれど緑間くんの中では違うみたいで」

「だから黒子が心配で堪らないってか」

「僕は彼らが悪いのではないと証明したくてバスケに戻ってきました。だから絶対に負けません」

「その流れで宣戦布告かよ。………まぁコッチも負けねぇけどさ」

にやりと高尾は笑って右手を出す。黒子も微笑みを浮かべて高尾の右手を取った。鷹の目と視線誘導、どちらが勝るかこの試合で決着する。

「……推測ですが、多分緑間くんは外に行ったんだと思います。中学時代よく試合前に外に出ていたので」

「マジでか。サンキュ、んじゃ探してみるわ」

此処から一番近いのは二番出口だろう。そこなら走って一分程で着く。恐らく不安定であろう相棒を迎えに行くために、高尾は気持ち急ぎめに小走りをした。

「―――、出てきても大丈夫ですよ緑間くん」

黒子の声の後にガチャリと鍵が開く音がした。個室から出てきたのは高尾の探し人の緑間である。

「………済まない、嘘をつかせたな」

「君から高尾くんに謝っておいて下さいね」

黒子が苦笑気味に言えば緑間は素直に頷いた。外まで走りに行かされた高尾には申し訳ない気持ちだが、対戦相手という敵だからと理由づけをしておく。

「黒子………」

ふらりと緑間は黒子に近づき、小さな体躯をぎゅっと抱きしめた。そんな緑間を引きはがすことなく黒子は享受する。黒子がいるという安心感からか、緑間の表情は見えないが和らいでいた。

「………黒子、」

「はい」

「あの時俺がお前に鍵を頼まなければ今頃どうなっていたのだろうな」

「………さぁ、未来は分からないので」

「俺は時々思うのだよ。アレが無ければ俺達は明るく笑っていられたのではないか。高校こそ違っても、誰かの一言で集まってストバスをするくらいの仲ではいられたんじゃないか」

「………そうかもしれませんね」

「だとしたら未来を消した全ての責任は俺にあるのだろうな」

「黄瀬くんと似ています。彼も『自分が1on1なんかしなければ』とひたすら嘆いていました」

「そうか」

あの日の責任は緑間だけにあるわけではない。本来の鍵当番だった黄瀬、黄瀬が鍵当番を頼む原因である1on1に付き合わせた青峰、倉庫にいながら黒子の怪我を防げなかった紫原、そして黒子の怪我の原因である備品の故障に気づいていながら対応に遅れた赤司。誰か一人に責任があるというなら、五人はすぐさま自分だと名乗りをあげるだろう。しかし黒子はそれを望まない。

「緑間くん、君達は僕の未来を奪ったと罪の意識を感じているんですよね。だから僕は君に、キセキの世代に勝つことで、僕の未来は奪われてなんかいないことを証明します」

「けれどまた怪我でもしたら………」

「擦り傷や捻挫なんかは中学時代もよくしたでしょう。君は過保護なお母さんですか」

「………お前が無事ならお母さんで良いのだよ」

もう試合が始まる時刻だ。さすがにこれ以上席を外すわけにはいかない。緑間は惜しみながら抱き着いた腕を緩めて黒子を解放した。

「ではコートで」

「あぁ」

一礼して黒子はお手洗いを後にした。残された緑間は鏡を見つめる。泣く直前といったような無様な顔がそこにはあった。こんな状態で戻ったら心配どころかドン引きされるだろう。ポケットから取り出したタオルを濡らして目元に当て、急ぎ足で控え室に向かった。

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