(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い………)

トイレの個室内で、黄瀬は床に膝を付け体内のものを全て吐き出していた。体内のものを全て出したおかげで少しだけ体が軽くなるが、それでも体中を支配する不快感が消えることはない。今は昼休みな為、後二時間は学校にいる必要がある。それが終われば仕事なのだが、黄瀬はもう休んでしまおうかと息を吐いた。

トイレから出れば群がって来る女子達。誰ひとり黄瀬の体調不良に気づくことはない。それは黄瀬のする演技が上手いのか、それとも女子達の目が節穴なのか。とにかく黄瀬は女子達から逃げたかった。しかしそれを許してはくれない。

「赤ちん、あれ」

「ん?あぁ、随分末期だなアレは」

紫と赤の二人は何もしていなくても目立つ二人だ。一人は身長的な面で、もう一人は纏う空気的な面で。確か二人ともバスケ部で才能があると言われているらしい。黄瀬はバスケ部の活動を見たことがないのでよく分からなかった。

「可哀相にね〜、あれじゃいつか食われるんじゃない?」

「不吉なことを言うな、まぁ僕も否定しないが」

二人の視線がちらちらと黄瀬の方へ向かうのが気になる。もしかして自分のことを言っているのではないか、黄瀬はそんな気持ちになった。しかし特に面識の無い人間から話し掛けられても迷惑に決まっている。同じクラスとかなら機会もあるが、生憎と黄瀬のクラスは二人とは違った。

「黄瀬君?」

「えっ、あぁ何でもないっスよ」

気にはなるものの結局聞くことは出来ず、黄瀬は女子達の声に急かされるように話に戻った。その姿を二人は冷ややかな目で見ていたが何も言わずに教室に戻る。空気を断ち切るかのように鳴り響いたチャイムが何故か薄気味悪く感じた。



「黄瀬くんどうしたの?何だか今日調子悪いね」

カメラマンに苦笑ぎみにダメ出しをされる。普段なら明るく笑って気をつけますと言えるのに、そんな一言も言えない程黄瀬はとにかく気持ちが悪かった。

「ちょっと気持ちが悪くて……」

「体調管理も立派な仕事のうちだよ」

「すみません……」

スタッフもこの状態の黄瀬に仕事をさせても意味が無いと思ったのか、とにかく今日は帰って休むようにと言う。その好意に甘えないという選択肢は無いので、黄瀬は大人しく帰宅して療養することにした。寝たら治るのかという点は微妙だが寝るしか対処法が思いつかない。その時ふと、昼の二人のやり取りが何故か頭に浮かんだ。

(結局何の話してたんだろ……)



「黒子コーチ、お話があるのですが」

「はい何でしょう、次のメニューとかですか?」

「いえ……。黒子コーチは黄瀬涼太を知ってますか?」

「確かモデルのお仕事をしている人ですよね。彼が何か?」

「実は彼この中学に通っているんです」

「そうだったんですか。バスケ部のこと以外は疎くて………」

「コーチ、彼のことで相談があるのですが……」

「?」



「あらやだ熱あるじゃない。きっと疲れが体にでたのね。お仕事先には連絡入れとくから今日は一日休みなさい」

「分かった。何かあったら連絡するから仕事行ってきなよ」

「携帯繋がるようにしておくからね。何か買ってきて欲しいものある?帰りに買ってきてあげる」

珍しく高熱を出した黄瀬を心配してか、母が甲斐甲斐しく世話をしてくれる。いくらモデルとして仕事をしているとはいえ黄瀬はまだ中学生だ。病気に罹った時は人恋しくなる。そんな息子に対して面倒臭いと思うことなく世話をしてくれる母が、黄瀬は大好きだった。

「欲しいものは無いかな。ありがとう、いってらっしゃい」

黄瀬の両親は共働きをしている。しかも二人とも良い地位にいる優秀な人間だ。息子が病気に罹った程度では休めない。その事情をよく理解しているから、黄瀬は母に対して傍にいて欲しいということを言わなかった。

(にしても暇だなぁ……。少し寝たらテレビでも観よ)

特に眠いわけではない。しかし熱は寝ないと引かないということはよく分かっていた。他の人間が授業を受けている間寝ていられるという優越感に浸りながら、黄瀬は自身を眠りの国に連れていこうと目を閉じた。



「ん……今何時?」

携帯を手にして時間を確かめる。思った以上に寝たようで、時刻は昼を軽く過ぎていた。まだ気持ち悪さは残っているが、寝ていればよくなるだろう。とりあえずテレビでも観ようかと、黄瀬は階段を降りてリビングに向かった。

「この時間帯って何やってんだろ」

パチリとテレビのスイッチを入れる。画面の中ではお笑い芸人達がくだらないことをして客の笑いをとっていた。番組名は黄瀬が知るものではない。学生は昼の番組に縁など無いからだろう。

(…あっ、やばっ――)

この感覚に見覚えがある。いや、見覚えどころか昨日の出来事だ。間に合うかは分からないがダッシュで黄瀬はトイレに駆け込んだ。

「はっはっ……」

昨日からほとんど食べていないからか、出たのは胃液程度だ。もう胃の中には何も無い。しかしそれでも体内に渦巻く不快感は消えなくて、黄瀬はその場にうずくまった。いきなりの自分の変化についていけないのだ。治るというビジョンが全く浮かばない。もしかして不治の病に罹っていて余命がほとんど無いのではないか、そんな現実離れしたことを鵜呑みに出来る程黄瀬は不安定だった。

「もう何で……」

全てが嫌になって、何も見たくなくて、黄瀬は現実から逃れるように目を閉じた。トイレで寝るなんてと普段は思うがこの際どうでもいい。とにかく何処かに逃げ込みたくて黄瀬は暗闇を求めた。

(―――あれ?)

何故だろう、何だか気持ちが楽になった気がする。今まで体内を蹂躙していた不快感がすっと抜けたような気がした。ここ最近不快感が抜けなかったからか、とても体が軽く感じる。

(気持ち悪かったのは起きたばっかでテレビとか観たからかな)

根拠はないがそんな気がした。先程までの気持ち悪さは、病気なのに安静にしていない黄瀬への罰かもしれない。そんな迷信じみたことを考えて、黄瀬は大人しく部屋に戻ることにした。テレビが無くとも時間を過ごすことは出来る。携帯を使うとテレビの二の舞になるような気がしたので、覚めた体を叱咤してもう一度ベッドに潜った。



ピーンポーン……ピーンポーン

インターホンの音で黄瀬は目を覚ました。どうやら相当寝ていたらしい。寝る前は昼頃だったのに、窓の向こうはもう暗闇が占めていた。

(……母さんいないのかな?)

携帯を確認すれば母からメールが来ていて、仕事で遅くなり旨が書いてあった。この時間に父が帰ってくることはまずない。ならば来客への対応をする人間は黄瀬しかいないわけだ。面倒臭いと主張する体に鞭を打って、黄瀬は階下へ降り玄関扉を開けた。

「………どちらさまですか?」

「初めまして、黒子テツヤと言います。君にお話があるのですが、今大丈夫ですか」

「………勧誘?」

こんな勧誘は初めてだったので黄瀬は少したじろいだ。というか目の前にいるのに販売員特有の雰囲気がない。目の前にいる筈なのに目の前にいない、そんな霧のような靄のようなイメージだった。そのことに不思議には思いつつ何故か嫌な感じはしない。

「えっと、黒子さんでしたっけ。一体何の用ですか?ちょっと今出られないんですけど……」

「僕が君に直接用がある訳ではありません。赤司くんから頼まれたんです」

「赤司……ってあの?」

「はい」

「……俺特に交遊とか無いですけど」

「そうみたいですね。―――でもたった今僕の方で君に用ができました」

黒子は水色の瞳で黄瀬を見つめる。黄瀬の方が背が高いため、自然と黄瀬を見上げる形になる。何も含まない瞳に見つめられて、黄瀬は思わずうっと唸った。

「単刀直入に言います―――君このままだと死にますよ」

「……はっ?」

「君に似た症状の人を最近ですが四人診てきました。赤司くんから君を診るよう頼まれたのは、恐らく君と赤司くんが似ていると思ったからでしょう。けれど君は違う、君は彼らとは別格に重くて深刻です」

黒子の表情は至って真剣で、ふざけているんじゃないかという疑念は一気に晴れる。けれど黒子の言っていることの本質が黄瀬には分からない。そんな黄瀬の気持ちが顔に出ていたのだろうか。分からないといった黄瀬の表情に、黒子は眉をひそめた。

「まさか自覚がないとは……。君は自分の異変に気づいてないんですか?」

「異変って……、そんな。最近変なことって言ったら風邪くらいしか……」

「それですよ、それ」

呆れた顔で黒子は溜息をつく。その目は明らかに黄瀬を馬鹿にしている。そんな目で見られることは中々無い。ぽかんとしている黄瀬を押し退けて、黒子は黄瀬の家にお邪魔した。

「ちょっと!何勝手に入ってんスか!」

「赤司くんから君の両親が不在の旨は聞いています。君の部屋で良いですか?」

「……不法侵入で警察呼ぶっスよ」

「どうぞ、多分赤司くんが揉み消しますけど。それで君は数日後には死にます。誰も得をしません」

黒子はきっぱり言い切った。そこに恐れや不安などはない。

「安心して下さい。君を真人間にしてあげますから」

絶対的な態度に黄瀬は無意識で扉を閉めて、黒子を自室に案内した。



「コーチ、黄瀬涼太どうでしたか?」

「赤司くんには感謝ですね。君の言葉が無ければ今頃お陀仏でした」

「…そこまででしたか」

あの日黒子が黄瀬を診た結果、黄瀬の才能は『感受性の高さ』ということが分かった。黄瀬はそのことを『見たものをコピーして一瞬で自分のものに出来る』と解釈していたらしい。事実解釈自体はそれで合っていた。しかし黄瀬の才能が悪化した原因は、その才能を理解していながら上手く管理しておらず不用意に乱発したからだ。初めはとにかく自分が持っていないものをひたすら模倣していたのだろう。しかしそのことに味を占めて、黄瀬はその才能を惜し気なく使い込んだ。正しく使い方を理解せずに使い込んだ才能は、赤司達と同じように暴走状態に陥った。赤司達より症状が重く命に関わる問題だったのは、黄瀬が赤司達とは違って『模倣』の才能だと気づいていたからだろう。赤司達は自身にある才能に気づいていなかった。

「黄瀬くんの体調不良の原因は、才能の乱発による『感受性の高さの暴走』でしょう。彼の感受性の高さは、次第に見たもの全てを自分に取り込んでいってしまった。日常動作からプロの人間の動き、それこそ悪癖なども。そんなに情報を無差別に取り込んでいったら容量オーバーになるのは当たり前です」

「なるほど、コーチがいなければ大惨事でしたね」

「……ですが厄介なことになりました」

「?」

「あ!黒子っちだ!」

金髪が光を反射してきらきら光っている。犬の様に耳と尻尾があるように見えるのは黒子達だけでは無い筈だ。ご機嫌だということを主張するようにニコニコと笑う黄瀬は黒子の元まで走り、スピードを殺さずに黒子に抱き着いた。

「……コーチ?」

「どうやら懐いてしまったようなんです。まぁ彼から見たら恩人ですしね、僕」

ぎゅうっと抱き着く黄瀬の頭をぽんぽんと撫でる。それに一層機嫌を良くしたのか、黄瀬は抱きしめる力を一層強くした。黄瀬の抱き着きが強くなる程赤司の機嫌は悪くなる。普段赤司と接さない黄瀬は赤司の変化に気づくことが出来なかった。

「俺バスケ部入るっス!そしたら黒子っちに恩返し出来るっスよね?」

「まぁ君が入ればバスケ部は一層強くなるでしょうね。どうしますか、赤司くん」

「……そうですね。僕も入部には賛成です。あとは監督や先輩方に了承を取れば大丈夫じゃないですか?」

にこりと笑っているが内面は氷点下ブリザードだ。しかし黄瀬は入部出来たことに喜んでいて、自身に迫るもう一つの危険に気づくことは無かった。

+++

読了ありがとうございました。元々黄瀬の感受性の高さ云々から始まった(妄想した)話だったので、ここまで書けて良かったです。

ここからはこの設定での花黒になります。キセキ黒までで十分という方はこちらでお引き取り下さい。………ただ蒼氷が花黒クラスタなだけですので(笑)

+++

「蜘蛛の巣、随分と使いこなしているみたいですね」

透明感がある癖にどこか存在感のある声を、花宮は一時も忘れたことはない。だってその声の持ち主は、彼は花宮にとって一生忘れることの出来ない人間だからだ。彼がいなければ花宮のバスケは存在していない。

「……全然歳取らねぇのな、アンタ」

「失礼な、僕だって日々成長してますよ。花宮くんこそ相変わらずの悪人面ですね」

悪態をついたところで本心ではないと見抜かれているだろう。黒子は心を読むことに長けているからだ。悪童と花宮は呼ばれているが、黒子を知る者ならばそれを認めはしない。ラフプレーなど黒子はしないが、花宮の得意とする心理戦を黒子は花宮以上に上手くする。

「あっ見ましたよ、ティアドロップ。随分と練習したみたいですね」

「頭だけだなんて言われたくねぇからな。実力なんざプレイでしか表せねぇだろ」

「良い心掛けです。上手くなろうと努力することは立派ですよ」

黒子より10cmは高いであろう花宮の頭を黒子は撫でる。子供じゃねぇよと文句を言っているが、本気で拒否をしない辺り本心ではないのだろう。黒子にとって黒子が教えた人間はみんな教え子であり、それは永遠に変わることはない。死ぬまで黒子は彼らの師として生きるつもりだ。

「そういやキセキの世代、アンタが育てたんだって?あんな厄介な奴らよく放り出してくれたな。バスケ界が大荒れじゃねぇか」

「彼らはただバスケに一途で頑張る子供達ですよ。そんな風に言ったら可哀相です」

黒子は教え子に対して均等に愛を注ぐ。一日だけ教えようが一年教えようが愛の大きなに変わりはない。そうでもしなければ黒子を慕う人間が暴走してしまうからだ。黒子の才能を盲目的に崇拝している人間が教え子の中にいる。彼らは黒子のためだからと公に動くことはないが、触れすぎると棘を出し平気で攻撃してくる。そんな彼らの存在があるから黒子は常に公平なのだ。

「そうだ、今度相手して欲しいって今吉先輩が言ってたぜ。先輩と最近会ってないのか?」

「今吉くんとは中々予定が合わなくて、確かに疎遠になってますね。分かりました、近々連絡してみます。花宮くんもご一緒にどうですか?」

「俺は遠慮する。わざわざ狂犬怒らせるほど馬鹿じゃないんでね」

今吉も花宮と同じく黒子を師とした人間だ。そして前述したとおり黒子を盲目的に崇拝する人間の一人である。そんな今吉を触発するような真似を花宮がするはずもなく。

「んじゃ行くわ。まぁ無いと思うけど才能に喰われんなよ」

「ご心配ありがとうございます」

今でこそ花宮は黒子と離れることが出来る。しかし昔は花宮も黒子から離れられない人間の一人だった。花宮の世界から黒子が一時でも去ることが許せない、耐えられない。それでも黒子が離れてしまうなら、いっそ歩いてしまう足を切り落としてしまおうか。そう思った時さえあった。

(まぁ、今はそんなこと思わねぇけど)

成長して花宮は黒子離れが出来た。それでも内面で黒子が根付いているのは確かだった。しかしそれでも構わない。花宮にとって黒子は最早花宮を構成する最も大きなパーツなのだから。

(キセキの世代も俺らみたいになんだろうな)

恐らくそれは遠くない未来確実に起こるだろう。それはそれで面白いかもしれない。花宮は『悪童』の顔でにやりと嗤った。

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