海常との試合が終わって三日、あの黄瀬の狂乱の理由を知りたい誠凜であったが、踏み出すことが出来ずにいた。あの飄々とした黄瀬があれだけ取り乱すのだから余程のことなのだろう。もしかしたら黒子自身語りたくないのかもしれない。そう思ってしまうため切り出すことが出来ないのだ。
そんなもやもやした気持ちを引きずっているからか、練習にも気が入らずリコは困っていた。監督としてここはしっかりとしなければいけない。しかしリコだって高校二年生の先輩だ。後輩に気遣いをしてしまうのは当然だろう。
「もういいわ、私が聞いてくる」
切り込み番長リコは思い切って黒子に聞くことに決める。その男前な行動に、誠凜バスケ部一同は彼女を崇めることにした。男より男前な我等が監督様である。
「黒子くん、聞きたいことがあるのだけど」
「………黄瀬くんのことですよね?」
「えぇ。私達に関係無い……ってことはないでしょう?」
「そうですね。これからキセキの世代と戦う上で、なによりみんなでバスケをするためにも話さなきゃいけないとは思っていました」
そう言って立ち上がり、黒子は自身のバッグから一つのポーチを取り出した。それに反応したのは部員の何人か――コンタクトをつけている人間だ。コンタクトを使う者にはお馴染みの洗浄ケースと眼鏡がそこに入っていた。
「キャプテン、この眼鏡掛けてみて下さい」
「ん?あぁ良いけど」
自分の眼鏡を外して黒子の眼鏡を掛ける。すると日向の顔が途端に歪んだ。度が合わないのかと思ったが、それだけではないようだ。
「これは……」
「日向くん?」
「僕の眼鏡、キャプテンのと違いますよね」
返された眼鏡をケースにしまいながら黒子が言う。その言葉に日向が頷くが、掛けていない他のメンバーは何が何だか分からない。
「日向くん、何が違ったの?」
「いや黒子の眼鏡さ、片目分しか度が入ってないんだよ」
片目分という言葉に一同疑問符を浮かべる。その問いに応えるように黒子が説明を始めた。
「僕の眼鏡は左目の方しか度が入っていません。左目だけ極端に視力が低いんです」
「左目だけって、じゃあ視界ぐらぐらじゃないか」
「普段は左目だけコンタクトをしています。日常生活に困らないくらいまで左目は補正しているので、バスケに関しては大丈夫です」
「それはもしかして……怪我かしら?」
「はい、帝光中時代の部活で」
その話を聞いてリコは事態を理解した。黄瀬があそこまで取り乱した理由―――それは黒子が視力を極端に落とす程の怪我をしたからなのだろう。部活中ということはその場に居合わせた可能性もある。目の前で友人が大怪我をして、その友人に自分も怪我を負わせてしまったのなら、黄瀬があれほど乱れたことに納得がいく。
「僕はそう思っていませんが―――キセキの世代(彼ら)は僕の怪我を自身のせいだと思っています。そんな重荷を背負う必要は無いのに、優しいんですよ」
そう言う黒子の表情は色々なものが混ざっていて、リコ達は何も言えなかった。ただ黒子の抱えているものを片鱗でも理解出来たことは、改めて黒子を見つめ直すことに繋がった。
「事情は分かったわ。ただ両目で視力が違うっていうのは負担だと思うの。だから何か異常が出たらすぐに言ってね」
「分かりました、ありがとうございます」
目的を果たした部員達は練習に戻る。そんな中伊月だけが黒子をしばらく見つめ続けていた。
「少し話いいか?」
部活が終わって帰路につこうとした時に伊月は黒子に声を掛けた。伊月から呼び止められると思っていなかったので、少し驚いた顔をしている。
「………左目について、聞きたいんだ」
「はい」
「黒子はバスケをする分には大丈夫だと言っていた。でもそのミスディレクションをする分には負担なんじゃないか?」
伊月の問いに黒子は眉をひそめた。同じ目を使った特技をもつ伊月は目について鋭い観点をもっている。ミスディレクションが観察眼を使って行われているのを誰よりも理解しているのだろう。だからこそ、目の疲労を伴うミスディレクションは目に対して多大な負担になると考えたのだ。
「そうですね、目の負担になることは否定しません。ただミスディレクションは中学時代から使っていますし影の薄さも利用してますから、伊月先輩が思っているようなことにはならないと思います。ただ………」
「ただ?」
「あまりこの話は部員にして欲しくないんですけれど。やはり怪我をする前同様にはいかなくて、恐らくですが中学時代よりも持続性と効力は落ちるかもしれません」
痛めた左目のことを考えると力をセーブしてしまう。それは人間ならば当然の防衛本能の一種だ。それに左目に負った怪我には完治という概念がない。失った視力は決して戻ることは無いのだ。
「たとえ視力を極端に失ったとしてもバスケが出来ると、僕は彼らに証明したいのかもしれません」
天才は今も孤立している。それが分かるのはきっと黒子や桃井、キセキの世代本人しかいない。その孤立から救いたいと黒子はひたすら思ってきた。バスケをくれた彼らに何かを返したいのだ。
「……そうか。お前は俺達にとって大切な後輩だからな。何かあったら何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
ペこりと頭を下げる後輩に、伊月はらしくないが頭を撫でたい気持ちになる。あまり過度なスキンシップは好まないが、たまには良いかと気持ちに従うことにした。
「久しぶりっスね黒子っち。練習試合以来スか」
「はい、わざわざ呼び出してすみません」
「良いっスよ。黒子っちと話したいのはこっちもだから」
緑間に会ったと黄瀬が言えば、黒子は少し困ったような顔をした。血液型云々が悪いとかで、緑間はあまり黒子を好いていない。しかし実際そんなことはなくて、むしろツンデレで苦しんでいたのだが。ちなみに初めて会った時に開口一番で相性が悪いと言い放ったのは緑間なので、全面的に緑間が悪い。
「試合観に来たみたいで、まぁ俺が取り乱したとこは見てなかったみたいっスけど」
「それは良かったですねと言うべきですかね」
「他のキセキ相手にあんな姿見せたくないっスから」
キセキの世代で一番弱いことを黄瀬は自覚している。それは黄瀬だけの技というものを持っていないからだろう。そのことが黄瀬の中で引け目になっていて、そのせいで黄瀬は胸を張ってキセキの世代だと主張できない。
「………ねぇ黒子っち、なんでバスケを?あの時バスケは出来ないって言ってたっスよね?」
「はい。当時は頭や目への負担がとにかく酷かったので。でも慣れたからか今は大丈夫です」
「具合が良くなったから戻って来たんスか」
憂いの表情さえ格好良いと思ってしまうのはモデルだからだろうか。笑顔も良いが哀愁ある表情も映えるなと黒子は内心思った。とは思っても黒子の中で一番好きな黄瀬はプレイをしている時だが。その憂いている顔で黒子を見つめる黄瀬は、どこか黒子の知る黄瀬とは違うような気がした。
「ねぇ黒子っち、黒子っちは俺達を倒したいって言ってたけど、なんで倒したいんスか?一緒に戦おうとは思わなかった?」
「………桃井さんから聞きました。僕が怪我をしてから随分と色々あったみたいですね」
黒子の言葉には隠さずとも刺が含まれている。それは過去のキセキを戒めるものだ。黒子は今でも怪我の原因は自分だと思っている。それなのにキセキは空回りをして結果暴走した。暗黒の三日間―――名前だけでは感じられない重みがそこにはある。それを作り出した原因がキセキの責任意識なら、根本的原因は黒子だ。
「僕は君達を倒します。そうすることでしか君達の枷は外せない」
「………男前過ぎて惚れなおしちゃうっスよ」
「………どうも」
「けど黒子っち、黒子っちじゃ俺達は倒せない」
「僕が倒すんじゃない、誠凜みんなで倒すんです」
「……そうっスか」
チームプレイを主とする黒子に黄瀬が主張したところで変わらないだろう。意志を示すにはバスケで戦うしかない。神奈川と東京でブロックが違うためすぐには戦えないが、黄瀬はその時を迎えたくてうずうずしていた。
「黄瀬くん、緑間くんに伝えて下さい。必ず君達に勝ちますと」
「ん、了解っス」
ひらりと手を振って黄瀬はベンチから立ち上がる。その目には闘志が宿っていて、黒子は改めて黄瀬はキセキの世代だと再認識した。