帝光中バスケ部には不思議な逸話がある。恐らくこの話を他校生にしても信じてもらえないだろう。同じ中学の人間ですら耳を疑った程の話なのだ。

―――バスケ部が誇るキセキの世代には暗黒の三日間がある。

これが本当なのは確かである。しかし何が原因なのかは彼らしか知らない。



海常高校は今日も部活で盛り上がっていた。海常は特別進学校というわけではない。だからか部活への在籍率が割と高いのだ。特に活気があるのは毎年輝かしい結果を残すバスケ部。今年はキセキの世代の一人が入ったこともあって、勢いが更に増していた。それと同時にギャラリーが増え気に障る部分もあるが、それはもう一種のご愛嬌である。

「全員集合!」

笠松の言葉に部員達が集まる。一週間後に控えている練習試合についてのことのようだ。笠松の言葉を耳に入れながら、黄瀬は別のことを考えていた。別のことというのは今日の撮影のことだ。部活後すぐに来いとマネージャーに言われている。スポーツ推薦で入学した以上、バスケを疎かにすることは許されない。だから練習に真面目に参加しているだけで、黄瀬は早く部活も撮影も終えて家に帰りたかった。別に家に帰って何かしたい訳ではない。ただ学ぶことの少ない高校部活に長くいる必要性を感じていないだけだ。

個人技ならば黄瀬は見ただけで自分のものに出来る。だから自分のスキルアップを目的とするなら上手い人間のプレイを見ればいい。黄瀬自体のポテンシャルが足りなければ模倣は無理だが、黄瀬が真似出来ないポテンシャルの持ち主といったらキセキの世代くらいだろう。

パスワークは既に中学時代に完成させている。相手に合わせるための調整のみすれば、個人技同様高校で学ぶことなどない。中学時代のパスワークだなんてと思うかもしれないが、アレはもう最高レベルに達しているものだ。中学時代といえどクオリティは高校に匹敵する。中学時代にあのパスワークをこなしてきた自分達にとっては、アレに勝るものなどないと本気で思っていた。

「おい黄瀬!お前ちゃんと聞いてんのか!」

「あっすんません!ちょっと寝不足で……」

寝不足だなんて嘘だ。もう体が無理に慣れてしまっていて、寝不足という概念が消えつつあった。寝不足と言えばモデルと学業と部活で大変なんだというイメージを作れるので、理由作りのために重宝している。

「ほら、これ相手校のメンバー一覧だ。一応確認ぐらいはしておけよ」

「了解っス」

笠松から渡されたリストに目を通す。新設校なんだなとか最高学年が二年生だなとか思っていれば、黄瀬の視線がある地点で止まった。そこには一年ながらにレギュラーの生徒がいる。一年でレギュラーだなんて褒められることだ。しかしそれに釘付けになった訳ではない。

「………黒子っち?」

帝光中で共に戦った仲間、そしてキセキの世代にとってトラウマとも呼べる黒子テツヤの名前がそこにあった。



黒子テツヤは影が薄いのに特徴的な容姿をしている。キセキの世代全員が奇抜なため普通に思われているが、一人でいて尚且つ影の薄さが無ければ確実に目立つ。影の薄さはスタイルのようなものだが、どうしてそのスタイルでその容姿?と黄瀬はいつも疑問だった。そして向かった誠凜高校、目的はただ一つ。

「……やっぱり影薄いけど目立つっスよね」

キセキの世代は黒子がミスディレクションをした状態が見えている。プレイをしている間だとそうは言えないが、今みたいにプレイをしている黒子を見ているだけなら見落とすことはない。しかしそれはキセキの世代の話だ。他の人間から見たら影の薄さが何倍も強いので、結果的に"見えない"ことになる。黒子が見えるということは、黄瀬にとって誇るべきことだった。

(ったく……黒子っち見て震えるとか………、相変わらずだな俺は)

黒子を見ているとどうしても過去を思い出してしまう。黒子自身が気にするなと言ったところでこれはどうにもならない。少し時間と距離を置いたことで緩和されるかと思ったが、トラウマはそう簡単に消えないようだ。

「あれが一年レギュラーの火神か………。青峰っちそっくりだわ」

嬉々としてシュートを決める火神を見て、浮かび上がるのはキセキの世代のエースである青峰だ。中学二年での青峰はシュートを決める度に笑顔で黒子に擦り寄っていた。今思えばあの時が一番輝かしくて、黄瀬は少しだけ表情を曇らせる。

「………ま、とりあえず挨拶だけしないとね」

当初の目的は黒子がバスケ部にいるのかという確認だ。火神の偵察は主では無かったが、いいプレイを見せてくれたので悪くは無かった。とりあえず一度くらいは1on1したいなと、その程度のことを思いながら、黄瀬は体育館へ足を踏み入れた。



「おい黄瀬!お前勝手に他校行って喧嘩売ってんじゃねぇよ!」

「ちょ、痛いっス!別に挨拶くらい良いじゃないっスか〜」

「挨拶じゃねぇだろうが!………で、どうだったんだよ相手は」

「ん〜、まぁ一年レギュラーのポテンシャルはまぁまぁっスかね」

桃井やリコには及ばないが、黄瀬も見ただけである程度は分かるつもりだ。黄瀬が見た火神は技術型というより力技型という感じだった。細かいプレイよりもダンクを決めたい、典型的なスコアラー気質だろう。ちなみに黄瀬は割と技術型だったりする。

「まぁそんなに苦労する相手じゃないっスよ………単体なら」

「……他に強い奴がいたのか?」

「強い弱いで言ったら弱いっスけど、厄介な人がいたんスよ。俺が唯一どんなに頑張っても模倣できないような人が」

「もしかしてお前の知り合いなのか?」

「知り合いで済んだら楽だったっス」

哀愁を帯びた表情が、これ以上踏み込むなと笠松に警告を出す。ここから先に踏み込めば黄瀬はきっと壊れてしまう、そう笠松は直感した。部長から見て黄瀬は大切な部員の一人だ。自ら壊すだなんて真似は絶対にしない。

「………練習試合に遅れるなよ」

無難な台詞だけ残して、笠松は黄瀬の前から消えた。



練習試合当日、黒子は興奮で寝不足の火神に少し呆れながら海常の門をくぐった。誠凜は新設校のため設備がとても綺麗だ。それを基準にしてしまったからか、海常は少し古い印象がした。そんな校内で輝かしい金髪が向こうから駆けて来た、今更だが黄瀬である。

「相変わらずの犬ですね君は………」

「犬なのは黒子っちに対して限定っス!」

モデルでキセキの世代という優良物件なのに残念臭がするのは何故だろう、誠凜メンバーは本気でそう思った。黒子にとっては当たり前のようで何も言わない。何が何だか分からない火神は一人取り残されていた。日本慣れしていない火神には黄瀬がただの変人にしか見えていなかったのだ。

(あれ?コイツ……)

ふと見れば黒子に抱き着いている黄瀬の手が若干震えている。一見しただけでは分からない程の微かなものだが、火神の脳に強く印象が残った。火神は気づかなかったが、その時の黒子の表情は少し憂いを帯びていた。



「あちゃー、随分派手にやられたっスね」

「うるせぇぞ黄瀬!黙ってアップ終わらせろ!」

片面コートのゴールを見事に火神が壊したせいで、急遽全面での試合を行うことになった。誠凜からの喧嘩を買わない程海常もできていない。結果温存予定だった黄瀬を投入する形になった。

「あの時より………上手くなったんスよね?」

「当然だ!返り討ちにしてやるぜ!」

「それは随分な意気込みっスね」

火神を見つつ意識を黒子に向ける。試合が始まれば黒子を追うことは難しいだろう。ミスディレクションが消えかけた頃なら問題無いが、試合開始からしばらくは見えないパスに苦戦するのは間違いない。

(とりあえずハイペースで切れさせないと)

第1Qでなるべく切れさせたい黄瀬は、火神を挑発しながら試合をハイペースで進める。誠凜も海常も予想外だったようだが仕方ない。この中で黄瀬しか知らない黒子の弱点を押さえるためなのだから。

(あとちょっとスかね………)

黄瀬に見えかけているなら他の人間もそうだろう。タイムアウトもそろそろ入る。予想外のハイペースで黄瀬自身体力をかなり削ったが、コート上の脅威を減らせたと思えば問題無かった。

――――そう思っていたのに。

「――っ!」

黄瀬が振り払った手が偶然にも黒子に接触してしまい、結果出血までする怪我に繋がった。コート上で思わぬ事故や怪我が起きることは頻繁にある。接触事故なんて試合では特に。それでも旧友に怪我を負わせてしまった、その事実が黄瀬を苦しめたと笠松はそう思っていた。しかしそれが全く違うと笠松はすぐに認識を変える。―――黄瀬の状態が明らかにおかしいのだ。戸惑いなんてものではない、まるで何かに怯えているようだ。

「おい黄瀬どうした?怪我させたのは悪いが今は試合で―――」

「ああああ!!」

腕で自身を抱き込むかのように、黄瀬は上体を小さくして叫ぶ。黄瀬の脳内には白と赤がちかちかとフラッシュバックしていた。これは尋常ではないと思った審判が試合を一時的に中断させる。笠松も何と声を掛けたら良いか分からずに、伸ばした手を空中に彷わせた。

「どうしよう俺のせいで黒子っちが……黒子っちがまた………嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」

(また?)

黄瀬の叫びに一同が疑問を浮かべる。しかし疑問を解決する暇など無かった。混乱状態の黄瀬を何とかしなければいけない。

「黄瀬落ち着け!!」

「嫌だ嫌だ嫌だ!もう赤は嫌だ!!」

黄瀬が取り乱す姿に笠松は混乱しつつもキャプテンとして諌める。しかし笠松の声は黄瀬に届いていなかった。黄瀬の思考は奥深くまで沈んでいる。沼のようにどんどん沈んでいく黄瀬を、笠松はただ見ているしかできなかった。すると―――

「落ち着いて下さい黄瀬くん。君が取り乱したせいでみんなが混乱しています」

「………黒子っち?」

黄瀬の胸元に顔を埋めて黒子が黄瀬に抱き着く。いや、抱きしめていると言うべきだろう。黒子の手は黄瀬の背中を摩っていてた。黄瀬の呼吸を落ち着かせるように優しく摩っていくと、次第に黄瀬が自分を取り戻していく。そして、がくっと力が抜けて体勢を崩した黄瀬を、黒子はなんとか全身で受け止めた。

「すみません、黄瀬くんを一度ベンチに下げてくれませんか?しばらく僕がいないと駄目みたいなので」

「そんな状態の人間を試合に出すほど海常は落ちぶれてない。メンバー交代だ」

「黒子くん!とりあえず止血だけしないと」

リコが慣れた手つきで包帯を巻いていく。出血はそれほど多く無かったようで、包帯でなんとかなりそうだった。黒子は手当てをされている間ずっと黄瀬の頭を撫でている。その温もりに安心したのか、先程までの乱れはなさそうだ。

「多分この試合にはもう出れませんね」

黒子が離れればまた黄瀬が取り乱す、そう考えたのだろう。半狂乱の黄瀬は見るに堪えないものがあった。そしてその原因は紛れもなく黒子なのだ。あの現状を見てそれ以外考えられない。


「黒子っち……」

第4Qで試合は佳境に入っていた。黄瀬はようやく会話が出来るまでに回復したようだ。黒子が黄瀬に視線を向けると、黄瀬は困った顔をして俯いてしまった。

「……やっぱり駄目っスね。乗り越えたと思ったんスけど」

「いえ、君に嫌なものを見せてしまってすみませんでした」

「嫌なものじゃないっス。ただ………やっぱり思い出しちゃうかなって」

黄瀬の中にフラッシュバックしたあの光景は決して忘れられない戒めだ。あれから逃げることなど絶対に出来ない。逃げることが出来たなら、その日はきっと命日なのだろう。それほどまでに、アレはキセキの世代に消えない傷をつけた。

「黄瀬くん、後で色々話しましょう。僕に聞きたいことがあるでしょう?」

「………試合終わった後に迎えに行くっス」

黄瀬と黒子を欠いた試合は、火神の奮闘があったが海常の防御に阻まれ僅差で誠凜の負けとなった。黄瀬と黒子がいれば違ったかもしれないが、それはいずれ公式戦で明らかに出来る。黒子は念のために病院に行くようで、黄瀬の疑問は後日ということになった。


「お前があそこまで取り乱すとは思わなかったのだよ」

「っ!………緑間っち来てたんスか。………もしかして黒子っちのこと知って?」

「あぁ。とある情報網からな」

「そうっスか。ってか緑間っちだって顔色悪いっスね。何かあった?」

「それをお前が聞くなど厭味としか取れないが」

「……ちょっとした仕返しっス」

いつも通りに見えるがかなり弱っていると、緑間は黄瀬を見て感じた。無理もないだろうと思う。緑間は試合を途中から見たため黒子が怪我をしたところを見ていない。しかしギャラリーの会話や反応から何があったかは理解していた。その会話の中で黄瀬がものすごく取り乱したと聞いて、緑間は思わず眼鏡を外して目を閉じたくらいだ。緑間がこの仕草を無意識にするのは、嫌なことを思い出した時だけである。

「今度会って色々聞いてみようと思うんスけど、緑間っちは行くっスか?」

「遠慮しておく。それに……いや、何でもない」

緑間はそう言い残すと校門の方へ歩いていった。どうやらそこに高校の友人がいるようだ、同じ学ランを着ている。緑間にも友達が出来たのかと的外れなことを考えながら、黄瀬は部のメンバーに謝罪をすべく体育館に戻った。

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