「ん……」
朝の光がカーテンの隙間から零れ落ちている。重い瞼を少し開けて手探りで枕元にある携帯を開け時間を確かめた。
「六時………、まだ寝ていても大丈夫ですね」
二度寝をしようと心に決めて寝返りをうつ。しかし目の前にある幸せな寝顔に、黒子は目が覚めた。目の前にいる人間は紛れも無い、桃井である。端正な顔に艶やかな長髪、なにより羨ましい限りの胸を見て寝起きとはいえ間違える筈が無かった。
「あっ、そうでしたね………」
よく考えれば慣れ親しんだベッドの感触も無い。ふかふかした布団である。そしてカーテンからちらりと見える風景は見慣れた住宅街ではない。
「今日も一日、楽しいといいです」
その声に応えるかのように、桃井の携帯の目覚ましアラームが鳴った。
「いやー京都って学校行事の定番ってイメージっスけど、みんなで来ると楽しいっスね!」
「行事とかだとお寺巡りとかばっかだから自由に回れないし」
「八ツ橋美味しいね〜。黒ちん食べる?」
「抹茶アイスで僕のお腹は限界です」
「食わなきゃぶっ倒れんじゃねぇの?」
「倒れるとか不吉なことを言うな青峰」
「テツナが少食なのは昔からだろう?」
街を行き交う人達の視線を盛大に集めている。しかし当の七人は気にも留めていなかった。キセキの世代として有名以上に日本人離れした長身や顔立ちで既に目立つからか、そういう視線に慣れてしまっているのかもしれない。中には黄瀬の顔に思い当たる節があるのか、ちらちらと指すら差される始末である。
「黄瀬、オマエのせいで視線が煩い。お前だけ別行動でちょっと撒いてこいよ」
「どうして仲間外れにするんスか!青峰っち酷いっス!」
「いや、この視線の原因は僕と赤司くん以外に集まるものでは?」
「うわー、黒ちん遠回しに赤ちんがちっちゃいって言ってる」
「えっ?あっ、そんな、えっと………すみません」
「いいよ。僕は彼らと違って"標準"なんだから」
「やっぱり気にしてるんだね身長のこと……」
賑やかな会話をしながら目的地を目指す。道に迷うような場所ではないので、気をつける心配はない。しかし紫原がお菓子屋さんに惹かれたり桃井がお土産を買ったりしたため、予定より大幅に遅れてしまった。
そもそも何故京都に来ているのか、それは黒子の退院祝いと卒業旅行を兼ねたいという桃井の提案だった。無事に手術を終えて退院した黒子にはある程度の行動の自由が保証されている。そして黒子が入院や通院していた為に行けなかった卒業旅行をみんなでもう一度やろうと桃井が意見を出したのだ。彼らの代の卒業旅行は京都での一泊二日旅行、医者側からは了承も得た。むしろ、病院生活で疲れた躯を癒してあげて欲しいと頼まれたくらいだ。
そこからの話は簡単に進んでいった。幸いというべきか、赤司の通う洛山高校は京都にある。普段から観光地に行くような生活は送らないとしても、京都の情報ならば誰よりも知っていた。宿の確保などは女性視点からということで桃井担当だ。しかし困ったのが日程のほうだった。黒子の予定を考慮した上で六人の予定を見るとどうも合わない。今更だが六人が通う高校はどこも強豪校だ。当然のごとく練習も多い。やはり泊まりは無理かと諦めようとした。しかし事態は急展開を迎える。どの高校もが急に同じ三日を休みにしたのだ。当然これを生かさない手はない。こうして七人は見事京都に行くことが出来たのだ。
「着いたよ。うん、前に来た時と変わってない」
「この景色テツちゃんと見たかったんだ!」
「―――良い景色ですね」
七人の目の前にあるのは、京都の街や寺院が見渡せる絶景だ。此処は偶然卒業旅行で桃井と赤司が見つけた場所だった。人通りの少ない時間帯なのか、人はほとんどいなくて貸し切り状態だ。
「うわー良い景色っスね……って青峰っち何してんスか?」
「さつきに写真撮れって言われたんだが操作方法が分かんねぇ」
「写真より肉眼っスよ!」
手摺りから乗り出すように景色を見る二人。二人分の体重は荷が重かったのかギシリと嫌な音を立てた。途端に青ざめた顔になる二人に、黒子は思わず笑ってしまう。それをみた紫原は柔らかに笑ってまいう棒を頬張った。
「テツちゃん体の具合は大丈夫?」桃井が後ろからやんわり抱き着くように顔色を診る。いくら退院したからといって一年近く病院通いをしていたのだ。体調に不具合があってもおかしくない。
「大丈夫ですよ。此処は環境がとても良いです」
「空気美味しいよね〜」
ふわふわと花を散らせている会話に空気が和む。男五人ならばむさ苦しいことこの上ないが、二人の華が可憐に咲き誇っているからか、釣り合いのとれた空気であった。
「そろそろ冷えて来る。一度街の方へ戻ろう」
赤司を先頭に街まで下りていく。写真を撮り忘れた青峰は桃井に怒られることになるが、ふわりと微笑んだ黒子の写真をいつのまにか緑間が撮っていたため、桃井の機嫌は良かった。好きな子の写真は誰でも持っていたいに決まっている。
「あー、もう帰らなきゃいけないなんて嫌だなぁ………」
「昨日は電車が大幅に遅れましたから、仕方ありませんよ」
「昨日回る場所行けなかったのは残念っス」
「じゃあ明日回ればいいじゃん」
「えっ、紫っち?」
「休みは三日あるんだから、明日も京都にいればいいじゃん、ねー」
「いやまぁ大丈夫だけどよ。紫原は秋田だから遠くねぇか?」
「んー平気」
「でも洋服とか宿とか無いんだけど……」
「あぁ、じゃあ家に来るかい?」
「そうっスよ!赤司っちの家なら大丈夫っス!」
「二人の服は僕のサイズで大丈夫だろう。今着てる服を洗濯すれば明日帰るときには乾くしね。四人の服は知り合いから借りるから問題無い」
「赤司んちか……、見たいような見なくないような……」
「整理整頓されているに一票だ」
「僕もその意見に一票入れます」
「期待しないで、普通の部屋だよ」
「えっ待って!七人入るの?」
「バスケ部員五人入って余裕だったから大丈夫じゃない?」
「ダメだったらテツは俺の膝の上な」
「ナチュラルセクハラ反対っス!」
こうして七人は赤司の家に滞在することになった。
「思ったよりも普通の部屋だな」
「赤司っちの部屋って聞いたら……ねぇ」
「あっ、まいう棒の八ツ橋味だ。赤ちん好きだったっけ?」
「敦が美味しそうに食べていたから気になったんだよ」
「あっ、これ二年の合宿の時の写真じゃない?」
「緑間くんがお腹壊してお手洗いに立て篭もったのは覚えてます」
「黒子、いい加減忘れるのだよ」
各々が初めて来る赤司の部屋でテンションが高くなっている中、ふと黄瀬はあるものに目が留まった。紙袋には入っているが中身が球体だからか膨れている。普段から手にしているからか分からないが、パッと見てバスケットボールくらいの大きさだ。
「黄瀬ちん、それ黙っておいててね」
「紫っち?」
「赤ちんからのサプライズだから」
人差し指を口に当てて黙っててのポーズをする紫原。赤司が用意したサプライズというからには、十中八九黒子に対するものだろう。たまたま黄瀬は見つけてしまったけれど、紙袋は隠すように置かれていた。黄瀬は察して紫原の言葉に頷く。
「じゃあ女性陣二人がベッドを使うで良いよね?」
お風呂に全員入った後に赤司が確認をとる。赤司の手回しの結果無事に男性陣の服は確保出来た。そして女性陣は赤司の服を着ている。しかし黒子には少し大きいようで、肩にずり落ちる襟が気になって仕方が無かった。
「構わんが赤司のベッドだろう?女とはいえ二人寝れるのか?」
「大丈夫!テツちゃん細いから!」
「まぁ女子二人なら何とかなると思いますよ」
桃井は標準体型より背が高いが、逆に黒子は少し低い。二人合わされば赤司のベッドでもギリギリいけそうだ。残る男性陣は自動的に床で雑魚寝をする形になるのだが、当然赤司の家に布団は五枚も無い。来客用にと二枚あるだけでも稀な方だ。
「布団無くて大丈夫ですか?」
「平気っスよ!合宿の時も体育館で寝たことあったしね〜」
「まぁ掛け布団さえあれば風邪引かないでしょ」
「その貴重な掛け布団をお前が占領してんだよ」
「緑間っちも紫っちも大きいのは分かるっスけど、こっちだって布団欲しいっス!」
「四人とも僕が寝るスペースを考慮してないだろ」
紫原と緑間の体躯がスペースをかなり取ってしまうからか、青峰と黄瀬と赤司のスペースがほとんど無い。こんなことが以前もあったなと、黒子は少し懐かしく思った。確かあの時は予約していた部屋が上手く取れていなくて、一回り狭い部屋に五人が詰め込まれたのだ。体格的に見てあれは酷かったと今でも覚えている。結果安眠を求めた赤司が女性陣の部屋に来て眠るという偉業を果たして、赤司のみが救われた。後にそれを知った四人は激昂したが相手は赤司、上手く言いくるめてその場を収めてしまった。さすが赤司だと黒子も思わず感心してしまったくらいである。
「あぁ〜夏合宿を思い出すっスね〜」
「赤司が出したノルマが鬼畜だったな」
「赤ちん容赦無かったからねぇ」
「あっそういえばさ……」
布団に入ったはいいが話は膨らんでいく一方だ。こういう時に早く寝てしまう緑間でさえ起きている。黒子も早く寝てしまう派だったが、今という大切な時を楽しみたい。中学時代のことや高校に入ってからのこと、みんなが違う環境にいるから話は尽きなかった。
「あっ、黒ちん寝ちゃったね〜」
気がつけば桃井に体を寄せる形で黒子は寝てしまっていた。時計を見れば話し出してから二時間程経過していたことが分かる。慣れない旅行で疲れが溜まっていたのだろう、布団の中に入れてあげる間起きるそぶりも見せなかった。
「じゃあテツナが寝たからやってしまおうか」
赤司は先程黄瀬が見つけた袋からあるものを取り出して、それを青峰に放った。
「長かった三日もこれで終わりっスね」
東京駅に着いた五人は固まった体をほぐすかのように伸びをする。此処でも目立つのか視線をちらほらと感じた。無理も無いとは思うが視線慣れしていない黒子にはどうにもむず痒い。
「じゃあ私達も此処でお別れだね」
「此処からはみんな電車が違いますから」
「また旅行行きたいっス!!」
「近々また試合もあるから来いよな」
「もちろんそのつもりですよ」
各々が帰路に着く中、黒子は京都駅で赤司から貰った紙袋の中身をもう一度見た。中にあるのはバスケットボールである。しかしこれはただのバスケットボールではない。赤司曰く、このボールは全中三連覇を成し遂げた際のボールだった。元々は記念に赤司が貰ったのだが、黒子の病気のことが発覚し、学校に寄贈予定だったボールを黒子に渡そうと思って今まで保管してくれていたのだ。そしてそのボールには六人からのメッセージがサインペンで刻まれていた。いつでも繋がっている、そのための証のようなものである。
「随分と甘やかされてますね、僕は」
ぎゅっとボールを抱きしめれば、三連覇をした時の記憶が蘇ってくる。勝利の熱に溢れたコートを忘れたことなど一度も無い。あの日の記憶は色褪せることなく心にある。
「全中三連覇、おめでとうございました」
そう言って黒子はボールに口づけを落とした。