ありえないと頭の中で否定する。あの日以来彼女の姿を見たことは無かった。キセキが全力で探して見つからなかった彼女がそんな簡単に姿を現す筈がない。しかし、彼女を認識したその瞬間からモノクロだった黄瀬の世界が色づいた。あの日から侵されていて闇がすぅーと引いていく感触。
呆然としていた黄瀬を呼び戻したのは部長である笠松だった。
「黄瀬!始まるぞ」
「あっはい」
生返事を返すとちらっと観客席を見る。やはりそこには黒子テツナがいた。決して幻覚ではない、きちんとした本人だ。
(座席の話をしたのは俺にだけっスから、緑間っち達が気づかないのも当然っスね)
黄瀬もあの話が無ければ気づくことは無かったに違いない。この群衆の中から黒子を見つけるなど不可能に近いだろうから。
(問題はいつ言うか…)
黄瀬の中で一つ確信があった。それはキセキの中でまた大事(おおごと)に騒ぎ立てれば彼女は消えてしまうということ。自分達五人が彼女の方を見て何やら話し合っていたら流石に気づくだろう。自分達は試合に出ている為好き勝手に動けない。従って彼女の逃走に追いつけるはずがない。
(内緒で緑間っちに伝えるって難しいっス)
緑間はきっと表情に出てしまう。黄瀬の気遣いも無駄になるに違いない。しかしこの試合ムードの中、こっそり伝えるのは至難の技で。気がつけば十分のインターバルに入っていた。
(もう試合中は無理、今伝えるしかない)
黄瀬は海常のベンチから離れ秀徳の元へ向かう。笠松らは黄瀬の突然の行動に眉をひそめた。もちろん秀徳側も怪訝な表情を隠さない。
「すんません、緑間っち貸して下さい」
座っている緑間の腕を掴み立たせる。黄瀬も大柄な方だが緑間の方が体格が大きい。腕が少し痺れたがこの際気にしていられなかった。
高尾が抗議の声を上がる、しかしそれを制したのは緑間だった。黄瀬の中にある真剣な色を読み取ったのだろう。だが今は試合中、好き勝手していい筈がない。緑間の目には少し怒りが含まれていた。
「なんだ黄瀬、今はインターバル中だが」
「………今から動揺しないキョロキョロしない振り向かない、約束して下さいっス」
「なんだいきなり」
「いいから約束、」
「分かった。で、何なのだよ」
黄瀬が少し屈んだ。そのため緑間も屈まざるを得ない。ひそひそ話をするように、黄瀬は緑間の耳元に口を寄せた。
「観客席に、黒子っちがいる」
途端に緑間の体が起き上がり後ろを振り向こうとする。黄瀬はそれを予期していたからか、反射的に緑間のユニフォームを引っ張り強制的にまた屈ませた。ぐいっと首に優しくなさそうな音がしたが気にしない。
「振り向くなって言ったでしょ!」
「振り向かずにいられるか!アイツはどこにいる答えろ黄瀬」
いつもの冷静さなど脱ぎ捨てて黄瀬に迫る姿は緑間ではないみたいだ。だけどそういう気持ちになることは理解できる。キセキの世代全員が緑間のようなものなのだから。
「黒子っちは俺達が気づいたことに気づいてない。バレたら絶対逃げちゃうっスよ。だから迂闊に動けないんス」
「………知っているのは俺とお前だけか?」
こくりと黄瀬が頷く。青峰も紫原も赤司も知らずにこの体育館にいる。彼女が去ってからの一年は長すぎた。だからこそ、この機会を逃すことは出来ない。
「黄瀬、お前青峰達のスケジュール押さえてるか?」
「確か青峰っち達の試合もうすぐ始まるんじゃ…」
この大きな体育館では二面コートが張れる。そのせいか海常と秀徳の試合が後半戦に入ると、桐皇と陽泉の試合が始まるのだ。向かい側のコートを見れば両チームともアップをしている。その中には青峰と紫原の姿もあった。
「黒子っち側からの席だと、あの座席下通路は見えない筈……」
「あと六分、時間がない行くぞ」