芳川桔梗は逃げていた。ただひたすら―――目には見えない何か巨大なものから、たった一人の大切なものを守る為に。だが研究者である芳川には超能力は無い。護身術すら身につけていなかったことを、無意味だと分かっていても思わざるを得なかった。
車に乗り込みキーを回す。その作業がひどくもどかしく感じてしまう。それほどまでに芳川は追い詰められていた。助手席には顔色が悪いの域を超えた少女が、背もたれに寄り掛かるようにぐったりと座っている。呼吸は荒く、医療関係者ではない芳川にも危険だということがありありと分かった。
ひたすら車を走らせる。後ろから追手は来ていないようだが、いつ来てもおかしくはない。その上ここは学園都市だ。能力での狙撃や爆撃、強襲など普通に起きる。バックミラーを随時確認しながら、芳川はとあるアパートへ向かった。―――途端、芳川の視界に一瞬何かが瞬いた。それが何か認識する暇もなく、風を切る音と共に車体がぐらりと揺れる。まさに危惧した通りの狙撃に芳川は半ば呆れてしまった。もう逃げられない、あとは研究所で芳川は殺されるだけである。研究所からトップシークレットを盗みだし逃亡を援助した、それだけのことをしたのだから。
タイヤがパンクした状態で車は数十メートル走った後、壁に激突する形で停止した。学園都市製の車は事故対策として様々な器具が取り付けてあるので、壁への衝突程度では死ぬことはない。しかしここで死ねなかったのはある意味不幸だ。これからを考えれば芳川はここで死ぬべきだったのだ。カツカツと、本来轟音で聞こえる筈も無い足音が芳川に迫る。ガチャリという音で、芳川は自身が此処で殺されるのだと理解した。念のためなのか、一定距離を保ち狙撃手は芳川の額に焦点を合わせる。ちりちりとした緊張感が芳川桔梗をじわりと包み、命を刈り取る弾はまっすぐ射出された。
「ん、こんな時間に誰だいったい」
時計を見れば針は十一時を回っていた。こんな時間に来客など滅多に無いし、そもそも少々失礼な時間帯だ。土御門なら殴ってやろう、そう思って当麻は扉を開けた。
次の瞬間、目に入ったのは―――白衣の女性を肩に背負った少女だった。二人とも衣服が血に塗れている。少女に至ってはワンピース一枚、どう見ても事情がある人間だ。当麻はすぐに"こちら側"の人間だと分かった。
「………入って」
入室を促すが、少女は立ったままだ。聞こえなかったかと思いもう一度声をかける。すると少女は急に支えを失ったかのように前に倒れた。反射的に当麻は彼女を受け止めたが、――女性二人分の重さだけあって、支えきれずに玄関に崩れ落ちる。
「ちょっ、おい大丈夫なのかよ」
少女の顔を見ると、目を閉じていて呼吸が荒い。白衣の女性をまず玄関に座らせ、当麻は少女を自身のベッドに横たえた。血がシーツに付いたが、この際気にしてはいられない。白衣の女性の脈は正常であった為、意識を飛ばしているだけであろう。
「ん……」
「あっ起きた?」
白衣の女性が身じろぐのを確認して、当麻は彼女に名前や年齢の確認をした。記憶には問題無いようである。女性は芳川桔梗と名乗り、追われていることも話した。
「上条当麻、貴方の名前合ってるわよね?」
「あぁ、学園都市に同姓同名がいなければ上条当麻は俺だよ」
途端に芳川の表情に安堵が生まれる。しかし即座に少女の具合を尋ねた。切羽詰まった表情と反応に、当麻は芳川をベッドへ案内する。そこには先程と変わらず荒い呼吸で寝ている少女がいた。
「で、此処に来たからには事情があるんだよな」
「………貴方にお願いがあるの」
「お願い?」
真剣な表情で芳川は当麻を見つめる。そして言い放った。
「貴方にこの子を――鈴科百合子を守って欲しいの……」
話の渦中にある鈴科百合子はまだ目を覚まさない。上条当麻の思考は真っ白になり、反射的に情けない声を出してしまった。
続きます→→