ナイトレイ邸を歩き回るヴィンセントは珍しく機嫌が良かった。メイドや執事などもその姿を見て何やら微笑ましい様子だ。

いくらヴィンセントが養子だとしてもナイトレイの名を継ぐもの、実質嫡子と同等の(年齢によっては上の)権力をもつ。従って仕える人間達は生まれで態度や振る舞いを変えることなど決してない。

しかしナイトレイ嫡子達は違う。嫡子と養子の間には埋めようの無い距離があり、お互い埋める気もない。ヴィンセントはナイトレイ家に興味が無い様子であり、ギルバートはナイトレイ家を出ていった存在。二人の風当たりは悪いが特に困った様子もないのだ。

唯一エリオットはギルバートやヴィンセントの下に当たるので長兄達程二人を嫌悪してはいなかった。ギルバートはエリオットを気にかけているが、ヴィンセントは兄であるギルバートにしか好意を向けないので、ヴィンセントにとってエリオットの存在はさほど気にするものではなかった。

境遇的には辛い立場のヴィンセントが喜ぶ理由、それは唯一の肉親であるギルバートが帰って来ることだった。ギルバートはベザリウスに仕えていたことがありナイトレイを嫌って、今はレベイユに部屋を借りて一人暮らしをしている。本来貴族が下町で一人暮らしなどあってはならないことである。

しかも貴族と言っても四大貴族と呼ばれるナイトレイであり、鴉を継ぐ者。場合によっては次期ナイトレイ当主の可能性がある人物だ。しかし今のところ大きな問題にはなっていない。一人暮らしとは言えきちんとパンドラの仕事はこなしている、そして特に問題も起きていないのが現状だ。

それでも定期的な報告は必要で、二ヶ月に一度程は帰って来ることを義務付けられている。前回帰って来た時は、たまたまヴィンセントに用が入っていた為に会うことが出来なかったのだ。よってギルバートときちんと時間を作って会うのは久方ぶりになる。ギルバートの好きな甘くない紅茶とクッキーを用意して、ヴィンセントは自室で待っていた。ナイトレイ邸に寄る前にパンドラにも寄るようで来る時間が定かでは無いが、ヴィンセントは人形を撫でながら待っていた。

何やら外が騒々しい。バタバタと走る音が続いた。訳もなくヴィンセントは部屋を飛び出した。メイドやら執事やらが集まっている場所に走って行くと、執事長に止められた。

「ヴィンセント様、お部屋に御戻り下さい」

「何があった」

「詳しく分かり次第お呼び致しますのでどうか……」

次の言葉を紡ぐ前に奥でメイドの叫び声が響く。執事長はそれに驚いたのか、ヴィンセントから意識を反らした。その隙にヴィンセントは奥へ進む。ナイトレイ家は明かりを好まないため常に薄暗いが、そこだけが明るかった。胸騒ぎがして急いで向かう、しかし目の前に見知った人物が立っていた。

「邪魔だよエコー、どいて」

「出来ません。エコーはギルバート様よりここを通すなと申し付けられました」

「ギルが?」

「どうやらパンドラからの帰り道に夜襲されたようです」

夜襲という単語にヴィンセントの頭は真っ白になる。思い描くのは血の色。

「ギルは!?」

「命に別条はありません。ただ夜盗によって右手を…」

エコーの言葉を最後まで聞くことなくヴィンセントはギルバートの部屋に向かった。扉の外には医務員がいて何やら話し合っている。そのことがヴィンセントに不安を与えた。エコーは最後何を言おうとしていたのか。切り傷程度ならすぐに治るし問題はない。だがもし切られ所が悪くて一生残ったら?動かなくなったり日常生活に不便が出てきたりしたら…。

ヴィンセントの存在に気づいた医務員は場所を空けた。それがまた不安を駆り立てる。部屋ではギルバートがベッドに横たわっていた。白いシーツに黒髪が艶やかに目立つ。ベッドの近くの椅子にヴィンセントは座る。ギルバートは視線をヴィンセントに向けてゆっくり微笑んだ。

「約束に遅れて済まないな」

「それより怪我は?」

「あぁ、腕を少し弾が掠った。少し化膿した程度だ」

本当に心配性だなとギルバートは笑って腕を摩る。包帯が巻かれた腕は痛々しくヴィンセントは思わず目を逸らした。

「夜盗の行方は分かったの?」

「さぁな、夜盗なんて五万といるから。おそらく捕まらないだろう」

「ギルに怪我させておいて野放しなんて」

ギルバートの手がヴィンセントの頭に置かれ撫でられる。ギルバートはいつだって落ち着かせる時に撫でるのだ。昔から、100年前から変わらない。

「生きていればどうにでもなる。心配しすぎも疲れるぞ」

「ギルが言うなら……」

その温かな手にヴィンセントは溜まっていた疲れが滲み出た。そしてそれが睡魔になりヴィンセントを襲った。

「眠いなら寝ろ。しばらくはいるから」

「うん」

ベッドにもたれるようにヴィンセントの体が沈む。しばらくすると穏やかな寝息をたて始めた。こうして見ればいつもの不思議な雰囲気が嘘のようである。


「で、何の用だ」

「お休み中申し訳ありません。」

エコーが気配を殺して入ってくる。おそらくヴィンセントを気遣っているのだろう。足音が完璧に消されているためヴィンセントが起きることは無かった。

「夜盗の身元が分かりました」

「早いな……」

「あの近辺を縄張りにしているのは少数ですから。……どうしますか?」

「今回の件は大事(おおごと)にするほどのものじゃない。パンドラに全権を委ねる」

「ではそのように通しておきます」

ゆっくりとドアが閉められ、静寂が戻る。ギルバート自身も睡魔に堪えられなくなった為、寝ることにした。





とある路地裏にて――

「害虫駆除の時間だよ。さぁ、パーティーでも始めようか」

血の雨と叫びで、路地は染め尽くされた。

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