小説 | ナノ
 ズルい大人になったものだと思う。子供の頃はもう少し純真な心を持っていたかもしれないが、今では欠片も思い出せない。息をするように嘘を吐けて自身の素直な心を曇らせることなどお手の物だ。思い通りに事を運ぶために遠回しな手段で絡めとることもあるし、先のことを計算して打算的に動くことも可能だ。
 子供だった当時は自覚なくとも甘えていた方だと思う。疑問があれば素直に聞き、その保護下にいることさえ感じずにこの日々が永遠に続くモンだと信じて疑わなかった。
 だが今やどうだ。一船の長であり、世間一般で見ても独立した成人男性となれば甘えたことは言っていられない。常に野心も含めた自分以外のものを優先し、本当に言いたいことは全て殺してきた。素直になることは弱さをひけらかすことと同義だ。

 今回の島は人口が多く経済や技術が比較的発展している島だった。大陸にも繋がっているようで、初めて見る蒸気機関車に一部のクルーも驚いていた。前の島からハリケーンや海軍からの逃走、敵船との交戦など数多の試練を乗り越えてきたためクルーの士気は下がりつつある。滞在期間は多目にとって観光や休息に充てろと今回は伝えてた。
 機関車に乗って隣町まで行くことも考えたが、内陸は海賊への警戒が薄く鬼哭を担ぐおれなんかは大層目立つだろう。街角で新聞を売る青年へ硬貨と引き換えに手に入れた紙面をカフェのテラスで流し読む。ブランチ後の珈琲をソーサーに置いて、とある記事で手を止めた。

 ───当選目前の議員三名暗殺!? 裏金工作の証拠露呈、資料を残したのは暗殺者?───

 知らずに口角が上がる。それに少し遅れて気付いた俺は新聞を引き寄せて隠そうと後悔するも、紙特有のその匂いに気分が反比例する。
 名指しされるはずがない。無名で通ってるアイツだと気付くのは組織の人間かおれだけだ。政府の汚泥を注ぐ偽善の暗殺集団。そのうち一人だろうと見当をつける。毎日新聞を眺めているが、久しぶりに載ったと思う。
 そいつとの出会いは今となっては覚えていない。海賊と暗殺者故にあまり顔を合わせることは少なく、前回言葉を交わしたのは三ヶ月も前だったはずだ。そのときに甘く触れ合った指先の温度は当に冷めていても、今だ身震いするほど記憶の中では熱い。
 そう、おれはその男と体を合わせる仲である。恋人というには欠けていて、体だけの関係というには近い。
 ニイナ、その名前を舌で転がしてみて、久しぶりに声が聞きたいと思った。ニイナがおれの名を呼ぶ声を、ぶり返しつつある熱を糧に椅子から立ち上がった。声さえ聞ければ満足だと女々しいばかりの思想を携えて、そのときばかりは過信していた。

 この島が発展しているのは何も経済や蒸気機関車だけではない。駅の切符売り場の反対側に変わった通信手段があるのだ。電伝虫を普段使用している者から見れば異質のそれは「電話」と言うらしい。電伝虫と同じように離れた相手と会話が可能であるという共通点を除けば、壁に張り付いているために携帯は不可能であるし金がかかる。それでもこの島では「電話」が当たり前であるようで、最近普及しつつある盗聴電伝虫を避けるためにはもってこいだった。なにより使ってみたいという好奇心が大きい。
 どのくらい必要かわからないため一枚の紙幣を片手で掴めるほどの硬貨に両替し、いくつか並ぶ「電話」の前に立った。申し訳程度の仕切りがあり、それから腰から下が覗いている。疎らなそこの一番壁側。硬貨を本体の上に積み上げ、一枚だけが通れるよう開かれた集金口へ押し込む。おれのなかで知っている番号のうちの一つを頭でなぞりながらダイヤルを回し、コール音を待つ。
 いつもより無機質に感じるコール音を一つ、二つと越える。時間に換算すればなんて事ないだろうに、異様に長い気にさせるのは待つ身であるからだろうか。四つのコール音が鳴り止むと同時にふつり、と切れた。静寂を切る一声はおれから掛けた。


「───おれだ、」


 そう声を発してから、続きの言葉がないことに詰まった。用意していなかったとも言う。何も考えなしに受話器を耳に当て、浮き足立っていた自分を脳内で詰った。今更遅いと責めようと、数分前のおれに後悔しようとも残された選択肢に「切断する」と言う項目はなかった。


『……もしかして、トラファルガーか?』


 電伝虫なぞ比べ物にならないくらい、あまりに鮮明で焦がれて止まなかった男の声が、脳髄に響く。一瞬受話器を離した後にもう一度当てる。カツリ、とピアスが当たる硬質な音がいつもより近くに感じられた。


「そうだ。ニイナ、電話を知っているか?」
『……あぁ、それで納得がいった。おれの方の電伝虫の表情が変わらないから新手の不具合かと』


 成る程。今度から電話を使う時は先に名乗らなければ不信感を与えると言うことを念頭に置いておこう。聡いコイツが最初で良かったと言うべきか。追加の硬貨を放り込む。一枚でどのくらい持つのか不明なため、全てを電話機に飲み込ませた。


『それと電話、知ってる。今からそこの駅へ向かうからな』
「へぇ? 仮拠点か?」
『そんなところだ』


 低く、腰に来る声がストレートに脊髄を下って腹に溜まる。その声の主の指先や喉元が薄暗い中で脳裏に蘇って色付いていく。瞳の色が見えた時、きゅっと何かに耐えるように細められる瞬間が最高に好きで、前回はそこで、おれの意識が白んで、
 熱くなる体の熱を抱くように腕を組み、崩れ落ちる前に壁に凭れかかった。声ひとつでこうなるなんて予想だにしていなく、自身の情けなさに少しだけ笑った。


『それで?』


 先を促す語尾に合わせて陶器の触れる音が微かに寄越された。その音が今まで気付かなかった受話器の向こうの線路を渡る轟音を拾う。今ここに電伝虫があればニヤついているのが手にとるようにわかるだろう。ないとなると想像でしか補えない。
 昔に家族旅行で乗った汽車を思い出す。晴れた外の風景は絵画よりも鮮明で、日に当たる緑が眩いのにその景色は次へ次へと目まぐるしく変化する。青い海の眩いこと。田畑の風に揺れる様が馬の鬣のようなこと。そして忙しい景色を眺める主人は汽車の中で優雅に珈琲の香りを纏って柔く笑う。手にした電伝虫は無表情なれど、相手の声一つで通話の先の顔を脳裏に描いてみせる。
 そのニイナが、口を開いた。


『用件があるんだろう?』
「っ……、ねぇよ、」
『嘘つけ。お前が何もなしに連絡するわけないだろう』


 見透かしているはずが、見透かされている。どこまで見られている。羞恥と気まずさが綯交ぜになり、おれの心臓を圧迫する。ずる、と服が壁と擦れる音がした。
 とうに子供ながらの純心な素直さ、など捨てた。隠されたり奥底で眠っているわけでもなく、それは殻のようなものだと俺は思う。大人になるにつれ、その殻は破かれてしまう。残った破片が多ければ甘えることも媚びることも上手に使い分けれるだろうに、一握りにも満たないおれの殻は見せ付けるにはあまりにも細かすぎる。弱味や恥にしかならない本心とやらは必要ではないと、切り捨ててきた。それが今は仇となっておれの喉を塞ぐ。言い訳も浮かばず、思考すれど空回りばかりする脳では会話することさえ困難だ。その空白がニイナの言葉を否定していないことを証明しているようで、結局おれはどう足掻いたってこの男の前では素直に言葉で表すことが出来ずにいる。
 あとどれくらい電話は持つだろうか。沈黙で流れる時は無駄ではあるが、段々と相手の顔が見れないことをいいことにおれの口は開きつつある。きっとこれが電伝虫なら、言わなかった。目の前にニイナがいても言わなかった。電話はデメリットだらけだ。金はかかるし電伝虫相手じゃ名乗らなければならない。持ち運びが出来ないし、受話器は重たい。相手の表情は想像するだけになってしまうから、おれは誰と会話をしているのか分からなくなってその幻を目を瞑って瞼の裏に蘇らせる。だからつい、口をついて出た言葉に感情が滲んで溶けた。


「……会いてぇ、って言ったら、笑うか」


 殆ど声にならなかったと思う。壁の冷たさが服を通して感じる。体温が上がっている証拠だ。こんなことで一喜一憂したくなかった。情緒が乱れるなんてらしくないし、何より寿命が縮まる。
 取り返しのつかないことをしてしまったと気付いたのは沈黙の後にニイナが吐息だけで笑ったと知った時だ。


『笑わねぇよ』
「笑ってんだろ、クソ。切る」
『おい待て。駅の隣のホテルで待ってろ』


 ニイナが短く数字を告げる。その声がいつもより優しさを帯びているものだから、塵芥同然のおれの殻の残骸も少しは報われたのだろうか。


『それとおれのファミリーネームを言えば通して貰えるはずだ。この前教えたはずだが、覚えているか?』
「ッ、……ああ」


 また体温が上がる。その名前を告げられたのは前回抱かれている最中だ。なんの会話だったか前後は覚えていない。暗殺者たるコイツのファミリーネームなぞ秘密も同然のそれを、暴きたい興味本位で聞いたらあっさり教えられたものの、最奥を突く熱も併せて付いてくる。思わず自身を抱き留めていた腕を下ろして腹を摩る。また、欲している。女でもあるまいに、ないはずの臓器が餌を待つ雛鳥のように貪欲に鳴いている。どこまでもこの男の手中に落ちてしまう。それは良かった、と満足そうに言うニイナはまだおれを見透かしているのだろうか。実際会ったら瞳を合わせることができないと思った予感はきっと当たっている。
 またあとで、と別れの挨拶を交わして受話器を耳から離す刹那、聞こえたその一言はあまりにも甘美でおれが心から欲していたニイナの殻だった。


『……俺も会いたかったよ、ロー』


 通話の切れた受話器が重力に従って落ちる。コードに繋がれていて床と接触はしなかったものの、おれは暫くその場から動けなかった。






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