小説 | ナノ


 夏が似合う人だと思った。暑くて茹だるような気候でも、彼が笑えば煌めく向日葵のように夏が少しばかり素敵に思えた。


「そうかああぁぁぁ……!! お前らも成長したなぁぁぁ……!」
「コラさん、汚い」


 おいおいと声を上げて泣くみっともなさを隠さずに、彼は涙を零す。大の男が「その名前でまだ呼んでくれるのか!」とまた感極まって泣き始めてしまって収拾がつかない。キコキコと油を注していない金属の擦れる音を聞きながら、あの頃よりは尻を置くスペースが小さく感じるブランコを僅かに揺らす。決して私が太ったわけではない。


「うっ、ぐぅ……だってよ、俺の知ってるお前らはこんなに小さくて……」
「手のひらサイズよりは大きかったはずだけど」


 彼の記憶がどうなっているのかは分からないが、とりあえず胎児の頃に出会った記憶はない。それでも私達は彼の膝くらいしかなかったのだし、久方ぶりの再会に興奮する叔父のようで私の方も少し高揚しているようだった。


「あれから大変だったんだよ。若様とローも一時期険悪だったし。今は和解したけどね」
「グスッ……本当、お前らには迷惑かけたよなぁ」
「本当だよ。誰かのドジの尻拭いがここまでかかるとは思わなかった」
「言うようになったよなぁ、ニイナチャンよぉ……」


 漸く私との再会の感動が馴染んだのか、鼻を啜りながらも泣き叫ぶ作業は中断できたようだ。そうして自然な流れで胸元を弄り、目当てものがなかったのかすぐにその指が戻ってきたのを見た瞬間、私はそれを差し出さなくてはいけない気がした。


「はい」
「えっ、……お! いいのか!?」
「ライターもあるよ」


 嬉しそうに受け取る様はお菓子を貰った子供のようだ。差し出したのは煙草だし、彼はいい年したおっさんだというのに、昔から笑顔だけは子供のようにあどけない。


「ていうか、子供がこんなもの持ってちゃダメだろ!」
「私もう26ですけど。ローもたまに吸うよ」
「うお……年齢言われると月日の流れを実感するな……。あ、これ開いてないけど本当にいいのか?」
「それ、コラさんへの差し入れだから」


 やった、と小さく喜んで唇に挟んだ白い筒に火をつける。ローにも聞いたことがあるが煙草の何がいいのだろう。結局喫煙者にとって呼吸みたいなものだと適当に返されて、私も言い返す言葉がなくて幕を閉じた。いや、「体のためにならない呼吸だね」とでも返せばよかったんだけど、どうなるかなんて火を見るよりも明らかだった。
 白い煙が立ち上る。太陽の光を浴びて輝く金髪だとか、ルビーのように澄んだ瞳だとか、長身でガタイもいいくせに子供っぽくドジなところだとか、烏のような羽毛に塗れたコートだとか。何一つ幼い記憶と相違ない、若様の弟君のロシナンテさんだ。ローがコラさんって呼ぶから私も真似たんだっけ。


「あー……久しぶりに吸ったわ。うめぇ」
「禁煙してたの?」
「ん……ちょっとな」


 自分のことは必要以上に話さない、そんなところも何も変わっていない。
 小さく揺らしていたブランコをもう少し強めに漕ぐ。足がふわりと浮かぶ感覚が気持ち良い。コラさんは灰が落ちるからと膝を使って軽く揺らす程度だ。それでも心配してしまうのは、私も昔から変わっていない所があるからだろうか。


「な、なぁ……ニイナ……」
「なあにー、コラさん」
「お、お、お前、カレシとかいるのか……?」
「何よ急に。うちの旦那のローに文句あんの?」
「だっ……!?」


 ポロリと咥えていた煙草が落ちるのを見た。着ている羽毛に灰がついて、驚いた彼がブランコから転げ落ちる。懐かしい光景なのに、あまりに身近に馴染んだせいで今更動揺なんてしない。平静を保てないのはコラさんのほうだろう。
 錆びて茶色くなった鎖を掴む私の左手の指に嵌る細い指輪。その意味を持つのはただ一つしかない。


「お、ま……ロー、と……」
「そうだよ、私たちもいい年した大人だし」
「そうか……そうか、ローが……ニイナと……」
「まあ嘘だけど」
「嘘かよ!!!」


 ようやくブランコに体制を立て直したコラさんがまた転げ落ちた。ベタすぎる反応につい笑ってしまった。
 変わらないなぁ。熱すぎる珈琲とか、ちょっとした段差とか。私達より大きな大人のくせに転んでばかりで、ドジばかりで、そんな彼が可笑しくて私達は無邪気に笑っていた。照れたように、時にはバツの悪そうにはにかむ彼が憎めなくて、あのローでさえ怒りを通り越して呆れていたし医者の卵らしく率先して治療していた。


「ねぇコラさん、私も大人なんだよ」


 男除けの指輪が必要なくらいにはモテるようになったし、若様の秘書として働けるほど頭も良くなったし、あの頃届かなかったコラさんの視線にグッと距離を詰めることが出来た。子供の頃に会ったきりの人に再会するとどうしても大人になったと実感する。大人だから、嘘も上手くつけるんだよ。大人だから、こんな子供みたいなことも懐かしく思いつつ出来ちゃうんだよ。

 大人になってしまったんだよ、私達。


「そうだな、お前ら大人になったんだな」


 立ち上がったコラさんが大きな手で揺らぐ私を受け止めて、頭を撫でる。どんなに成功を重ねても、どんなに歳を重ねても、きっとこの人は子供扱いをするだろうと予想していた。それが当たってしまったことに、知りたくなかった事実に苦しくなる。
 「置いてかれちまうな」とドジで転びっぱなしの人は笑う。何やってるのとベビー5と私が手を取って、ローが呆れた表情でため息をついて、若様がその先で笑っている光景が好きだった。置いていくつもりなんてないのに、私達は歳をとることをやめられない。


「まあ、でもお前とローが本当にそうなら……あ、」
「……出ていい?」


 コラさんの言葉を切り裂いた着信音は私のポケットから鳴り響いた。画面を見れば今し方話をしていた旦那様だ。促す様に手を差し向けたコラさんが少し離れた場所でまた煙草を吸い始めたのを横目で確認して、受話器のマークに触れた。


『……おい、今どこにいるんだ』
「公園。ローもおいでよ」
『馬鹿言ってるんじゃねェ。もう時間だ。早く戻ってこい』
「はぁい」


 短い用件を伝えるだけ伝えた端末が静かになる。ぶっきらぼうに聞こえるそれさえ幼い頃からの付き合いがあれば心情を読み取るのは容易い。なんだかふとローに会いたくなった。今すぐ会いに来てほしくなった。
 通話が終わって顔を上げた私に気付いたコラさんがニッと口角を上げた。なんで笑うんだろう、何も面白くないよ。


「楽しい時間もあっという間だな」
「……待って、コラさん」
「ほら、ローが呼んでるんだろ。行ってやれ」
「いやだ、コラさん。そうだ、ローに会おうよ。ローもコラさんに会いたがってた」
「はは、子供の頃のお前も別れ際そうやってグズってたよなァ。やっぱり、俺にとっちゃお前らはまだまだ子供だ」
「子供でいいから、コラさんも付いて来てよ」


 さっきまで大人だと嘯いていた口で我儘を言う。何故かそうしなければいけないと強く思ったからだ。必死に彼の羽毛を握る私に困った様にはにかんだコラさんが「じゃあ、途中までな」と言うから、私は彼の大きな手を取った。そうしなければ、彼が消えてなくなりそうだったから。
 ゆったりと私の歩幅に合わせてくれる彼に甘えて、私もいつもより歩くペースを落とす。この時間がずっと続けばいいのに。少しかたい手のひらが私の温度に馴染むまで。


「あのね、コラさんがいなくなって少ししてから美人な姉妹が入ってきたの。それ以外にも人増えたんだよ。あ、そうそう、さっき若様とローが仲悪かったって言ったでしょ。その時高校生くらいかな。反抗期だって笑ってた若様も一回だけ大喧嘩した時があって。それから凄く仲悪くなっちゃったの。でも成人してから少しずつ打ち解けて、今じゃ本当の親子みたいでさ。みんなあんなに険悪だったのにねって言ってたけど私知ってるの。今ぐらいの時期に二人で暗い部屋で月見酒しててさ。それからなんだよね、言葉を交わし始めたの。男ってめんどくさいのね。───ああ、今日はとても暑いな。汗、かいてきた。そういえば今年は雨が少ないらしいから節水だとか断水があるかもってジョーラが言ってたっけ。やだなー、シャワー浴びれないの。太陽が一番高い時に浴びるシャワーって気持ちいいのにね。プールもいいな。前に行ったドバイのビーチがいい。ブルジュ・ハリファのモールで買い物もしたいし、若様に頼んでみよう。モネさんとベビーなら付き合ってくれるかな」


 その後にレバノン料理を食べて、夜は夜景を見るか若様が取り仕切っているカジノで遊んで───嗚呼、蝉の声が煩わしい。耳障りなほど五月蝿く、頭に響く。思考が掻き乱されて、汗が伝う。
 歩きにくいヒールは初めて履いたせいだ。少しばかり余所行きのジャケットが固苦しい。パーカーとジャージじゃ許されなかった理由があるんだっけ?
 あれ、私。誰のことを考えていたんだっけ?


「───ニイナ!」


 よく響く声が、私の朦朧とした霞の中を切り裂いていった。パッと顔を上げるとホテルの前でローが苛立たしげに腕組みをして私を待っていた。
 ───待っていた? わたし、何をしていたんだっけ?


「何度電話しても繋がらねェし、漸く繋がったかと思えば公園にいる? 遊びに来たんじゃねェぞ。勝手な行動は慎め」
「え、あ、ごめん……?」


 怒ってる口調だとか厳しい言葉とかはわたしを心配していたのだと、長い付き合いから分かる様になった。幼い頃からの付き合いだからこそ読み取れる心情だ。あの少年がこうも目つきの悪いイケメンに育つなんて当時の私は思いもしなかっただろうに。


「大体なんだそれ。お花摘みに出掛けるほど少女趣味だったなんざ初めて知ったんだが?」
「え?」


 ピリリと効いたスパイスのような皮肉に違和感を感じて、ローの目線の先を下れば私の右手だった。そこには一輪の早咲きの向日葵が握られていて、茎のところは私の体温と馴染んで気付かない程だった。だけど何か持っていればすぐにわかるし、ここまで来るのに一度も違和感を感じないわけないし、何より私はこれを摘んだ記憶がない。切り口は鋭利な刃物で切られたように綺麗な断面を見せているし、まだ新鮮なのか瑞々しさが残っていた。明らかに私のせいではない。困惑して首を振れば、少しばかり片眉を上げたローが「まあいい」と呟いた。


「時間が惜しい。行くぞ」
「うぇっ、待ってよ!」
「あんまりチンタラしてると迎えが来る。その前にドフラミンゴと飯の約束もあるだろう。ここに来たことは内密にって言ったのはお前だろ」
「そう、だっけ」
「いい加減にしろよテメェ……」


 早歩きの背の高い痩身を追う。今まで私が通ってきた道のりを逆走する。なんだ、待っていればよかったんじゃないか。いつのまにか手に持っていた不気味な向日葵は離さないでいた。何故だか、そうしなければならないと思ったからだ。
 ああ、そういえば思い出した。今日はこれから若様達とお食事会があるんだ。今は忙しいらしく海外を飛び回っている若様だけど、今日だけはファミリー一同揃って食事をしたいと笑って電話を寄越してきたんだった。そんな彼らに内緒で、一番最初に挨拶したい人がいる。写真とかだけじゃなく、ちゃんと顔を見て話したいとローと二人で決めたんだ。
 ベンチが二つと寂れたブランコしかない小さな公園を通って、その先にあるのは大きな墓地だ。小高い丘のような所に段々と並ぶ墓石を横目に階段をいくつか登った奥の方。


「あっつー……」
「相変わらず旧貴族様ってだけで奥にありやがって……交通の便のことは全く考えちゃいねェ」
「それ、若様に言いなよ」
「俺がその墓に入ることはないから安心しろ、だとよ。散骨するんだと。なら望み通りにしてやるから死体解剖は任せろって言ったら逃げて行きやがった」


 言ったんだ。言った上に悪どい笑みでそんなことを追撃すれば若様もきっと改葬を考えてくれるだろう。きっと。
 そうして、最後の階段を上った先にある下層より格上の墓石達。若様の家系の個人墓が立ち並ぶそこの端、まだ真新しい墓標に用がある。


「───……久しぶり、コラさん」


 ローがしゃがみこみ、墓石へと目を合わせる。見上げることでどこか当時の身長差を思い知らされる。あの黒い羽毛と若様とお揃いの金髪が遠かった。


「今日は報告したいことがあって、」


 ローは医者になるからと暫く海外にいた。私も若様の秘書として其処彼処を飛び回っていたから、この墓を見るのなんていつ以来だろう。なんなら、辛くて目を背けていたかもしれない。こんなに小さかったかなんて、覚えていないよ。
 もうすでに誰か先客が来ていたのか、お供え物がある。生前彼が好んで吸っていた煙草が一本、線香のように立ち煙を空に上らせている。この恩人の好みを知る人は少ないはずだから、若様だろうか。それなら、鉢合わせなくてよかった。きっと恥ずかしがったローと小競り合いになることが想像できる。それは食事会のときにみんなに諌めてもらうのが良くて、私一人だと収集がつかないだろう。
 空いている花立てに持っていた向日葵を差す。そうせねばなるまいと、思ったからだ。誰かに言われるように、そこへ帰すのだと言われるがままに、私の意思とは関係なく無意識に行った。
 そうしてようやく私は空いた手を合わせることが出来る。日差しが強くて陽炎が揺らめき、背中が汗ばんでキャミソールが張り付くし、蝉の声が煩い。だけども、心だけは静かだった。この報告を聞いたあの人が転げ回って泣き笑いながら祝ってくれる景色が見えた。
 明日には婚約者でなくなる黒髪と目が合う。そっと笑いかけると眩しそうに目を細められた。


「……俺とニイナ、結婚するんだ」


 大人になった私達はあの煌めく金髪と輝かしい笑顔を思い出す。

 夏が似合う人だと思った。





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