小説 | ナノ


 休息というものはどういった悪者にでも必要で、暖かな日光と心を落ち着かせる微睡みは普段の緊張の糸を撓ませる。ストレス負荷ばかりかかると何事も上手くいかないことは医者であるキャプテンには分かりきったことだ。殊更徹夜した体に必要なことは、周囲に敵影もなく麗らかな午後の昼食後に訪れる睡魔を受け入れて馴染みの白熊の腹を枕にすることだ。それを邪魔するつもりは毛頭ないのに、どうしても気持ちが急いでしまうのだ。


「ずるーい!」
「……あ?」
「私だってベポのお腹でお昼寝したいのに!」


 うとうととしていたキャプテンが中断された腹いせに私を睨む。今し方微睡みに支配された人間の眼光ではない。また、その犯罪者顔負けの悪人面を間違ってもクルーに向けてはいけない。


「ベポの腹の上に乗るには少し重たいな」
「私がデブだって言いたいんですか!?」
「大体ここはおれ専用だ」


 結論は却下で終わり、一区切りついたと瞼を閉ざしたキャプテン。ベポからも「君もいい年した雌なんだから……」と窘められた。色々言いたいことはあるけど、ベポにさえ否定されるとめちゃくちゃショックなんですけど!?
 遠くから洗濯物を干し終わったペンギンがまたかと呆れて笑っている。私も先程まで手伝っていたが丁度終わったタイミングだったのだ。二人分の籠を持ってくれている彼にふらふらと近付くとまた笑われた。


「相変わらず懲りないな」
「煩いなぁ」
「いい加減ベポの腹じゃなくてキャプテンと添い寝したいって言えばいいだろ」
「ばっ……か、言えるわけないじゃん!」


 下心を見透かされたような言葉に慌てて否定する。私の淡い恋心は本人以外にはバレていて、温かく見守ってくれているのはありがたい。でもこうして揶揄われたり、意外にもキャプテンに受け入れられたりすると赤面してしまって敗走するしかないのだ。そう、私にはあと一押しが足りないのだ。恥ずかしいという感情もあるけど、一番はキャプテンから好かれることが信じられないのだ。しかし今更方向性を変えたりする甲斐性もなく、中途半端にアタックするだけに過ぎない。不幸中の幸いは本人が全く気付いていないことだ。それとも、知ってて適当にあしらっているとしたらそれはもう脈無しだ。


「お前のタフさもさることながら、あの人も鈍いよな」
「鈍いならよし。気付いているなら脈無し。どっちにしろつらい……」
「いっそのこと告白すればいいだろ」
「砕ける未来しか見えないよぉ……」


 彼はどういった愛し方をしてくれるのだろう。存外優しいのか、それとも無愛想なのか。少しでも他のクルーと違う扱いをされた日には顔から火を吹く自信がある。でもそれは私に向けられることはない。悲しい妄想ばかりに打ちのめされて、ぐずぐずと鼻をすする私にペンギンがなにかを閃いたのか慰めるように肩を叩く。


「なら、いい方法がある」
「なんでしょう」
「押してダメなら引いてみろ、だ。お前は今まで散々アタックしてきた。なら少しここで一歩下がって状況を見てみろ」
「おお。流石は策士ペンギン様。良いお言葉を賜りました!」


 それが果たして良いことなのか。弱っている今の私には善悪の判断が付かず、寧ろそれが良い方向へと導いてくれる妙案だと思ってしまった。

 私のアタック方法はハツラツ猪突猛進型だ。キャプテンを見つけ次第元気よく駆けつけ、何かしらのちょっかいを出す。それを冷静に振られるのが様式美で、稀に受け入れられることがあれど大抵は遇らわれる。そこまでの日課を私は今日、打ち破る。
 ペンギンの妙案を朝から実行する。作戦はあくまでスマートに、だ。変に勘繰られたりスルーされたりしたら失敗してしまう。そんな器用なことできるのかと聞かれれば少し不安だが、たまにはこんな日も悪くないだろう。その緩急を分かりやすくするために昨日は散々アピールしたのだ。
 キャプテンは案外朝に強い。というか睡眠時間が短過ぎて隈が出来がちなだけだけど。朝ご飯を食べていると欠伸を零しながら食堂へ入ってくる。帽子も刀もなく無防備なこの朝の瞬間が大好きで、いつもならすぐさま突撃するのをぐっと堪えて、知らないフリをする。そしてキャプテン専用の特等席付近に来ると漸く気付きました、という程を装ってトーストから顔を上げる。


「あ、キャプテン。おはようございます」
「……あぁ」


 一瞬の戸惑い。私が声をかけるまであのモーニングアタックを思い出してくれなかったのは少しばかり寂しいが、私の顔を見た時に気付いたのだろう。そしてすぐにトーストへ目をやる私に一瞥くれてから席に座る。チラリと寄越された視線も珈琲が来ればなんてことなかったことにされる。悔しいけど、今日はこれだけじゃすまないからな。覚悟しててよね、キャプテン。

 それから。今日の仕事をこなしつつ、わざとキャプテンの近くに居ながら業務連絡以外の会話はしなかった。いつもより一歩引いた位置にいて真顔を徹底し、用がなくなれば姿を消す。功が成したのかいつもは感じないどこか落ち着かないキャプテンの視線を背中に浴びる。私意外に演技派じゃないの?駆け引きとか得意なタイプじゃない?


「なにニヤニヤしているんだ、気持ち悪い」
「あっ、ペンギン様! おかげさまで!」


 この際気持ち悪いと言われたことは聞き流しておこう。彼のアドバイスのおかげで私はキャプテンの視線を脚光の如く浴びているのだから。


「ペンギンのアドバイスきいたよー! 見た?あのキャプテンの今朝の顔!」
「……お前、まさか本当にやってたのか?」
「勿論! もうすぐ次の島に着くし今度是非奢らせてよ。もうペンギン最高!大好きだよ!」
「ばっ……おま!」


 天啓を受けた気分だ。神と崇めるペンギンの両手を握り、思わず熱くなって壁際に追い詰めてしまった。誤解されそうなことを言ってしまったが、まあそこはいつもの戯れだ。なのにペンギンときたら恥ずかしがり屋なのか焦って切羽詰まった声を出す。もう、こんなことで青くならなくたって……あおい?


「……お楽しみのところ悪ィが、ペンギン。向こうでシャチが呼んでいたぜ」
「イエッサーッ!! キャプテン!!」


 背後からぞわぞわする程の殺気と地を這うような低い声に声帯が勝手に震えてか細い悲鳴が鳴る。裏切り者の神様は腹の底から悲鳴混じりの声を出してバタバタと逃げていった。敵にさえもっと冷徹に突撃する彼の情けない姿、初めて見たかもしれない。というか待って、置いてかないで。


「ひぃっ!!」


 我が船は潜水艦のため木張りではなく殆どが鉄製だ。その冷たく厚い壁が震えそうな程の勢いで、顔の横に後ろから手を突き出される。近い背後に怒気を纏った人の気配がする。逃げるなと言われた小動物のように震えながら助けもしてくれない薄鈍色の壁を見つめるだけだ。


「弁明する気はあるか?」
「ひゃっ、ひ、ぃぅ……!」


 あまりに近すぎる。意味不明な言語が勝手に出てしまう。それから逃げようとしても冷たい壁が阻んで、少しでも開けようとした距離はすぐに縮まってしまう。背中に他人の体温が移る。


「どこから聞けばいい? 俺の推測だと昨日からだな」
「ぃ、や、きゃぷ……」
「ペンギンだな、お前に変なことを吹き込んだのは。大方馬鹿なお前はその通りに動いただけなんだろうが、あまりに不自然すぎだ」
「ちが、待っ……ゃ、」
「具合でも悪いのかと思って観察していたが、そういう素振りはない。なあ、どういうつもりだ?」


 視界の隅にキャプテンの肘が壁に着くのを見た。吐息と共に低く惑わせるような声が鼓膜を震わせる。足と足がぶつかっている。キャプテンの革靴のすぐ隣に私のブーツが並んでいた。
 キャプテンこそどういうつもりなんだろう。お仕置きにしてはタチが悪い。いつものように正座してお小言を聞き流す方がいいのに。今日はどうして、こんな詰り方をするの。


「ごめ、なさ……」
「違うだろ」
「も、しま、せん……」
「違ェ。主人の欲しい答えを出せない犬に育てた覚えはないぞ」


 頭が熱くてぼーっとする。水蒸気のように瞳に涙が溜まっていく。上気する体温と吐息に鉄製の壁は温まりつつある。まるで催眠音声のようだ。いつもより皮膚が敏感になっているのか、耳にキャプテンの唇が触れたと分かると飛び上がってしまう。当たったかも定かではないのに。心臓が煩い。自分の声が聞こえないのに、キャプテンの声だけは拾ってしまう。


「や、だ……だって、」
「早くしろよ。言え」


 私被虐嗜好でもあるのかな。こうやって覆い被さられて命令されると、頭が真っ白になる。違う。きっと、キャプテンの方が人に命令する器があるんだ。キャプテンが、そうさせるんだよ。
 だから、素直に口から熱く溢れた言葉は、言うつもりのなかった言葉は、キャプテンが言わせたんだ。


「だって、好きだって言っても、信じてなんかくれないでしょ……」


 言ってしまうと何かの栓が外れたようにするすると体温が下がっていく。忙しいな、私の体。でもなんだか痞えが取れたようにスッキリしている。スッキリしすぎて、どこまでも底なし沼に落ちていくようだ。潤んでいた瞳から一粒、あれほど熱かった体の名残が落ちていく。


「漸く言ったか」
「は、え、なんっ……!?」


 頬を伝う最中の一雫を掬うように唇を寄せられる。次いでぬるりと体温より熱いものが逆撫でするように舐め上げた。……舐めた!?


「俺はお前のこと信用してねェ薄情な男だと思うか」「ち、ちがっ……」
「なら、信じてろよ」


 嘘じゃないと証明するように唇を合わせられる。逃げないように顎を固定される。じゃあ今までの気のない素振りはなんだったの、とかキャプテンの気持ち聞いてないよ、とか言いたいことは山ほどあるのに舌さえ捕らわれて言えない。口にして言いたいことがいっぱいあるのに言わせてくれない。でも彼の舌が熱くて、性急に絡めてくるからなんとなくだけど、待っててくれたのかなって思う。もしそうなら、物凄く悪いことをした。大事なことも言わず信用もせず、尻尾だけチラつかせる私は悪女だった。
 いい加減首が痛くて体を正面に向ける。ぎこちなくキャプテンの首に腕を回せば合わせていた唇が弧を描くのがわかった。

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