小説 | ナノ
【NOT夢、NOTcp、YESローの独白。
某支部に上げていたものです。全く祝っていませんが愛はあります。

それは恋と呼ぶにはあまりに遅くて、愛と呼ぶにはあまりに拙い話だった。】



「なあ、誕生日プレゼントくれよ」

 ニヤニヤと告げた声にシーザーとモネは目を丸くした。おれがこんなことを言うはずがないということと、かつておれが生まれ落ちた日が近いということに驚愕を隠せないのだろう。その反応だけで満足してしまいそうになるが、おれの目的はそれだけではないと方向を正す。

「トラファルガーてめぇ……誕生日とかあったんだな……」
「テメェにはないってのか」
「ふふっ、おねだりなんて子供みたいで可愛いわね」
「茶化すな。居候の頼みを聞くくらい訳ねェだろ」

 それともなんだ、天才科学者様はこんな簡単なことも出来ないって言うのか?
 そう揶揄すれば目の前のシーザーの顔色がサッと変わった。本当、扱いやすくて助かる。言ってみろと表情で促されておれは素直に欲しいものを強請った。その一言に二人はまた惚けることとなる。

「……そんなものでいいのか?」
「ああ」
「でも貴方、そんなもの使わないじゃない」
「気分なんだよ。一つで構わない」
「次の補給船が来るまで一週間ある」
「それでいい」

 シーザーの返答に満足気に頷いて柔らかいソファから立ち上がった。詳しい日付は、ケーキの蝋燭は何本いるか、という二人の声を背にして扉を開けた。廊下との寒暖差は大きくない。施設中に走る凍結防止の水道管のおかげだ。だがわずかでも温度が下がれば今まであった体温を取り返すように身震いをする。上着は着ているがもう一枚欲しくなるようだ。早く充てがわれた自室に帰って温い暖房の恩恵に肖りたい所である。





 おれ自身の中には、解けない一つの呪いが渦巻いている。かの恩人が最期におれに宛てて言った言葉だった。その言葉を反芻して噛み砕かないまま孕んでいけば、それは悪夢となりおれから安眠を奪った。返答はしていない。してしまえば、いけないような気がして。

 まだ夜も明けない頃だった。柔らかくはない清潔なベッドから上体を起こすと嫌に喉が渇いていて不快だった。室温と同じ水を体内に入れると、毛布に包まっていた体温よりは低いらしくて食道と胃の在処を証明してくれる。そんな冷たい水が呼び覚ましたのは、おれの根底に眠っていた蟠りだった。もうこれでは眠れそうにもない、と冷えた靴に足を通して眠気を振り払うように身体を思う存分伸ばした。そしてサイドテーブルに放ったままだった、シーザーに手渡された誕生日プレゼントを手にする。
 これが届く数日、おれが口を割らなかったためか毎日のように祝いの言葉を投げかけられた。豪華な食事やそれ以外のプレゼントはないものの、随分と人のことを祝う事が好きだな、気があるのか、と揶揄してやれば自称天才科学者は面白いくらい憤った。モネの方は上手く躱してくるが、あのガス野郎は揶揄い甲斐がある。

 廊下は思ったより冷えていた。昼間よりぐんと冷え込む温度に身震いする。靴底の音が堅く響き、冷気を受け付けないようコートを手探り寄せる。見張りの珍妙な生物もおらず、無機物の気配だけが有り有りとわかる。遠くから響くボイラーの騒音と配管の中を巡る温水の音。半生を過ごした潜水艦を記憶の片隅に引っ張ってくるが、窓に吹き付ける雪が残りの半生を蘇らせる。

 おれには、ひとりの恩人がいた。思い出さない日はない。後悔しない日はない。おれは、あの人と生きたかった。二人で歩んで生きたいと思っていた。旅をしていれば今まで見てきた景色を二人で見ていただろう。それなのになぜ隣にいない。期待させる言葉ばかり吐いて、裏切るばかりだ。もう全てが雪の下に埋まって、記憶すらも霞かかってゆく。あの人の体温も、声も、表情ですら白く塗り潰されていく。こんな顔して笑っていたっけ、こんな声でおれを呼んでいたっけ。そんな曖昧模糊とした記憶で固められていくあの人を偲ぶことが出来ずにいた。

 自室と当てられた部屋より一つ上の階。この時間、見張りがいないことを知っている。ついに今まで会うことはなかったが、用心のためだ。むしろ、今は誰にも会いたくなかった。
 冷える窓際に寄って、カタカタと揺れる窓を見る。今は夜半で雪が降っているのに、手元が見えるくらいには明るい。廊下は端から端まで暗く、一寸先の闇に囚われそうだった。
 コートのポケットから、小さな箱を取り出す。包みを悴む指先で開け、細めの白い筒を取り出す。その一端を唇に挟み、もう片方にライターで火を灯した。すう、と筒を通して息を吸えば、ジリジリと一等明るく燃える。吐息の中に煙草葉の匂いが混じり、その煙が自分の吐息以外の白さを増した。率直に言えば不味い。非喫煙者で好んで吸うわけではないのなら、妥当な感想だ。
 彼はこれをどうして好んで吸っていたのだろう。シーザーには適当な銘柄でいいと指名したから、あの人と同じ匂いや味なのかは知らない。確かめるために、今度はしっかり吸う。思ったより簡単にフィルターを通して入ってくる煙は生暖かい。肺には入れずに口内で煙を転がしてから、灰をその場に落としつつ吐き出した。その一瞬で口内から鼻腔まで吐いたはずの煙が居座り、独特の匂いが染み付く。煙は簡単に染み付くくせに、あの人は無情にも逝ってしまった。

 あまり、あの人の名前を呼ぶことはなかった。呼びたくても喉に詰まってしまうし、声に出してしまえば心の奥底で眠るあの人が消えていってしまうようで。幾度も思い出す記憶と声はおれの中で擦り切れていった。世間から隠された姿のように。

 チリチリと耳に届くのは燃える煙草葉か、乾燥していく己の頬か。ピアスを通して耳まで感覚を奪われる。
 窓際に吸いかけの煙草を立てる。香にしては有害で、嗜好にしては毒だった。でもせめて、この火が消えるまでは見届けようと窓の外に視線を寄せる。どんな結末が待っていようと、おれはあの人の遺志を遂げるつもりでいた。現実は甘くない。刺し違える前に、おれの方があの人に近付いてしまうかもしれない。救われた命を抱えてうつらなまま生きていくことも、消耗するだけの今日に焦れる気持ちを放り出すことも出来るのに。勝率が低くても挑むのは、己のプライドより何よりも、恩返しがしたいだけだ。

「───アンタと一緒に、生きたかった」

 嘘なら許すから、どうか。我儘を一つ聞いて欲しい。
 あの時、あの言葉が呪いとなり、雁字搦めにして苛むそれがおれから安息を奪う。幾度も幾度もリフレインする光景は焼き切れそうで、何度も何度も繰り返す遺言は朧に崩壊していった。それを解くのはアンタしかいないのに、何処にいったんだよ。
 もう呼ばないでくれ。もう愛さないでくれ。もう、置いていかないでくれ。今更言うことは簡単で、今更届きはしないことなど知っているのに。今日も夢見てしまうのはきっと、ここが雪に沈むパンクハザードだからだ。

 窓枠に立てた煙草の紫煙は風を受けることはなく真っ直ぐに伸びていった。少しはあの人の見ていた景色を、おれも眺めることができただろうか。あの人が見るはずだった景色を、おれは目に焼き付けることができるのか。決して逸らすことはせず、全てを覚えていけたらいい。二人で歩むはずだった旅路の、その土産話をあの人は望むだろう。

 今日、おれは、止まったままのかつてのあの人と同じ歳になった。





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