小説 | ナノ
ロー誕2017の「 微糖へと溺れる 」パティシエ主の続き


「えー、我等が船長に告ぐー。大人しく罪を認め投降してくださーい」
「……何やってんだ、シャチ」


 ベポが書き損じたであろう海図を丸めたシャチが、即席のメガホンから自船の船長へと語りかけた。呼びかけられたローはそちらに怪訝な瞳を向けてみたものの、部下の意図は掴めぬままだった。十三年も共に航海を続けても、一つ上の年上だとしても、シャチの子供のような言動には今だ呆気にとられることも多い。だが無視を決め込むほど冷たい関係でもなかった。一先ず聞くだけ聞いてみようという姿勢のローが振り向いたことを確認するとコホンと軽く咳払いをし、隣のペンギンへと顔を向けた。


「先生、お願いします」
「承知」
「設定ガバガバかよ」


 呆れた溜息を吐いて話は終わりか、と言えば本題はこれからですと言わんばかりに咳払いをした。


「今日は、バレンタインですね」
「……ああ、それが?」


 言われてすぐに日付を確認すればなるほど、たしかに今日はバレンタインだ。世間一般では製菓業界の陰謀のためせっせとチョコレートを配り歩く日だそうだ。どちらにせよこの海賊には関係のないただの日にちだ。誰かの生誕日なら兎も角ただの民間行事など取るに足らないものである。


「これは好機です」
「何がだ」
「告白するのです。愛の告白です」
「惚れてるニイナにバレンタインあげないんですかって話ですよ」
「……は?」


 ニヤニヤと笑う二人から告げられた言葉に油が切れたブリキのように固まる。気のせいか関節から軋んだ音がした。
 ニイナとは、ハートの海賊団の非戦闘員のコックだ。本業はパティシエなのだが、この船には甘いものよりは酒のつまみを好む者しかいないためその手腕が奮われることは滅多にない。ローが菓子職人としてよりもニイナのタスクマネジメントと力量を見込んで正式な売買を経て手に入れた男ではあるが、食のこと以外に関しては平凡で、抜きん出た特技があるわけではない。そんな男に、ローは文字通り惚れてしまったのだ。それをぼんやりと違和感として感じ取ったのは己の二十六回目の生まれ落ちた日だった。今日までそれに名前をつけることはせず、いや、名前をつけてしまうのを恐れているのか。進歩も後退もしないぬるま湯がローにとって歯痒くも心地良かった。
 それを明確に名付け、更には告げないのかと促す部下に目眩がする。こちらとしては今しがた形容された感情を馴染ませるので手一杯だと言うのに。だが、今更否定することが出来なくなってしまったのは空白が証明していた。


「バレっバレですよ〜。ニイナだけめちゃくちゃ気にかけてちょっかいかけて目で追ってさ」
「ちなみにみんな知ってますからね」
「ちょうど島に着きましたし、何か見てみましょうよ」
「ニイナは先に食材調達にしに行きましたし、会わないようにして行けば買えますよ。俺らもサポートします」
「……俺に拒否権はねェのかよ」


 力強く頷いた二人に気落ちする一方だ。確かにニイナのことは……彼らの言うように好いてはいるがこれから発展しようなんて思ってもいない。だが目の前の二人は諦めはしないだろう。長年の付き合いでローはそれをわかっているし、案外押しに弱いのだとペンギンとシャチは知っているのだった。
 しかし、一つだけ問題があった。町娘や娼婦から社交辞令や本気の「愛してる」を幾度も受け取ったことはある。それを己の中に消化はしなかったものの、受け取ったことはあるのだ。


「……貰った事しかないからわかんねェ」
「カーッ!! このモテ男は!!」
「くそモテファルガーめ!」
「喧嘩売ってんのか」


 そう、受け取ったことしかないのだ。自分から贈り物をしたことなどない。気を引くための貢物をせずとも女は群がるし、ニイナにも特別に個人からと買い与えたことはないのだ。だからこそ、プレゼントをするという発想もそれをする光景も思い描けず眉を寄せた。
 この場を切り抜けるための言い訳をしようにも目の前の部下はどんどん盛り上がっていく。とりあえず街に行きましょうよ、と動きの鈍い足を動かすように腕を引っ張られてタラップを降りた。しかし、どうしようか。ニイナはパティシエで、謂わば菓子のことに関しては専門中の専門だ。ローよりは舌が繊細でそんな相手に菓子を贈るのは気が引ける。バレンタインはチョコレートを贈るものと定義されているが、そこまで菓子に関心がないローにとっては選ぶことさえ苦難だ。その前に贈り物をしてニイナの喜ぶ顔を想像できない。一番に思い浮かぶのは、誕生日の夜に見た一口のケーキを差し出すフォークの向こうばかりで。

 ―――――それに、おれもこれもあなたのものです。

 頭を振れば帽子の中の髪が擦れる音がした。今はその思考はいらない。必要なのはそう、無難な贈り物を選ぶ任務だけだ。あれがいい、これがいい、と前方を行く二人は出店を吟味する。今日はバレンタインということも相まって露店が多い気がする。甘ったるい匂いに吐き気を催し、目に痛いラッピングがテンションを削ぐ。機嫌が変わってしまう前に選ばなければ、一生贈る機会はないだろう。もうそこに贈り物をしないという選択肢が存在しないことに気付く者はいなかった。
 そういえば、去年の今頃はどうしただろうか。確か彼が乗船して三カ月くらいだろうか。まだ海賊に染まり切らず、パティシエではなくシェフとしての扱いに不満を垂れていたはずだ。この船でデザートらしきものは滅多に出ない。出すなら酒の肴にしろといつもブーイングばかり食らっていたはずだ。


「……おい、去年はどうした?」
「去年ですか? 去年は……何したっけ?」
「お前聞かれなかったか? ほぼ全員に何が食べたいって聞いて回ったらチョコよりおかず増やせだのつまみ増やせだの言われて怒ってただろ」
「あー、そうだった! それで"来年こそは覚えてろよ……お前ら全員にごっついクランチ顔面にぶつけてやる……!"って机に突っ伏しながら言ってたなァ!」


 その時の光景はいやに鮮明に思い描かれる。誰か一人の口から聞きたかった甘味のワードは引き出されず、悔し涙にテーブルクロスを濡らしつつ呪詛のように低い言葉で唸るニイナのことを。ローも聞かれたような気がする、と思い出した。本棚整理をしつつ昔の本を読み耽っていたのでなんと返答したか覚えてはいないが、恐らく彼の聞きたかった言葉を返せなかったのだろう。自分もクランチをぶつけられるのだろうか。そうなる前に貢物でもしなければいけない。


「……ちょいとそこのイイお兄さん、見ていかないかい?」


 かけられた言葉にシャチとペンギンが振り向く。倣うように緩慢な動作でそちらを見れば、こじんまりとした出張露店のようだった。酒類を取り扱っているらしく、様々な瓶が立ち並ぶ。今日が今日なだけに赤やピンクのパッケージが多い気がする。人当たりのいい笑みを浮かべた膨よかな女店員が幾つかの酒瓶を揺らす。


「バレンタインならお酒でもどうだい? 味見もできるよ」
「おっ、酒かァ。ニイナも割と飲む方ですし、いいんじゃないですか?」
「菓子類を渡すのが気が引けるなら、こういうのも悪くないかもしれませんね」
「……そうだな。店主、オススメはあるか」
「そうさねェ、これなんてどうだい?」


 右手の山から一つの細い瓶を取り出して栓を抜く。ラベルには見たことのない果実が描かれ、アルコールも高くないワインのようだ。


「これを贈ると愛の告白をしたことになるんだ。よくディナーで出してプロポーズする人もいるくらいだよ」
「……へぇ」
「さっき上司に惚れてるってお兄さんも買ってったよ。勇気出してみるってさ!」


 受け取ったコップには半分ほど真紅の液体が揺れている。香りを楽しむようにひと回しした後、一気に飲み干した。香りは桃のように甘いが、味はカシスのように芳醇で奥深さがある。思わず唇を舐めずにはいられないほどだ。試飲のカップをすぐに飲み干した二人からも賞賛の声が飛ぶ。悪くはない。パッケージに直接的な言葉も書いておらず、渡すだけならなんてことのないプレゼントだ。告げる気はさらさらないが、贈り物をするだけなら構わないだろう。


「……これで、いいだろうか」
「んー、あたしが言うのも何だけどね。相手を思って選んだものならいつのまにかその人が喜ぶものになっているんだよ。このワインを貰って、飲んで、相手が笑顔になるのを想像してごらん」
「そういうものなのか?」
「そういうものさ。相手が笑わなければ違うのをオススメするよ」


 ニイナはどんな顔をして喜ぶだろうか。目を閉じて考える。ローが飲むにしては甘ったるいワインをチョコレートと一緒に嗜むニイナを前にブランデーを煽る自分。先程よりは脳裏に浮かべられるニイナのはにかんだ笑顔。それを考えただけでローの眉間の皺も幾分落ち着きを見せるのだった。


「ひとつ貰おう」
「毎度っ!」
「おっ、キャプテンついに一線を越える時が……!?」
「苦節一年半、漸く進展が……」
「ごちゃごちゃうるせぇな、バラすぞ」
「おっと、我々をバラしてしまってもいいのかい!?」
「その時齎される禍によってキャプテンの運命は左右されるのだった……」
「今ならニイナにチクるプレゼント付き!」
「あら、お買い得!」
「だから設定決めてから来い」






 冷やかす二人に「バレンタインだ」と拳骨を落とし、一人船へと帰路を辿った。甘ったるい匂いと雰囲気にどうにも馴染めなかったためだ。きっとローより染まりやすい他の船員達は、今夜は戻らないのかもしれない。
 自室へと帰ろうと歩みを進めると、食堂の方から甘い香りがする。ここのテリトリーは一人のもので、尚且つ漂う芳香からイメージする人物も一人しかいなかった。


「……メルトコットンクリームが混ざったらシュクルオパール五匙、妖精の蜂蜜ヌガーふた匙、アーモンドと胡桃とレッドポップパフ一カップずつ……」


 普段船員達の腹を満たす料理するのを見ることはあるが、こうして丁寧に菓子作りをするのを目の当たりにするのは初めてかもしれない。まるで魔法のように、崇高な儀式のようにも見える作業にローは一瞬目を奪われた。材料達をボウルに入れて優しい手つきで混ぜ、慈しむような眼差しで出来上がりの行方を見るニイナに視線を盗まれて固定される。トロッとしたチョコレートに様々な具材が入っている。恐らく去年の怨念を実現させるための呪具だろうが、そんなにパティシエの矜持に添ったお菓子を作って投げようとも相手は喜ぶだけだろう。思った結果と違う未来が訪れてまた落胆するニイナを想像してローはそっと笑った。


「……あれっ、キャプテン!?」
「甘ったりぃ。換気しながらやれ」
「そうしたら船の周囲から匂いがしてバレるじゃないですか!」


 俺は隠密行動するんです!と意気込んでいる所悪いが、どうせここに帰って来れば匂いですぐ判断できるし隠密しようと非戦闘員のニイナの実力なんてわかりきっているだろう。馬鹿だな、とローは思った。それに柔い響きを持っていることに気付けばもう言い訳なんて出来ない。
 混ぜ終わったそれをバットに流し込み冷蔵庫に仕舞い込んだニイナが何か飲みますか、と振り向く。


「……これ」
「なんですか、これ。ワイン?」
「ああ、ハッピーバレンタイン」
「えっ、くれるんですか!?」
「……ああ、いつも飯作ってくれる礼だ」
「ありがとうございます! 今晩の晩酌にしますね!」
「程々にしとけよ。明日には全員帰ってくるだろうし、また飯作って貰わないと困る」
「俺、パティシエなんですが」


 ぶつぶつと文句を言いつつ後で開封しようとテーブルに置く。それを見遣ったローの視線の端に一つのケーキがあった。艶のあるチョコレートがかかった上に光る金箔が優しく置かれている。ローの誕生日に出されたものとはまた違うそれに小首を傾げた。


「あっちょっ……まだ見ないでください……!」
「もう遅ェだろ。誰用だ? もしかして、」
「……あなた宛ですよ。ハッピーバレンタイン」


 拗ねた子供のように頬を膨らませるニイナに心臓が嫌な音を立てて軋んだ。それがじわじわと残響のように蝕んでくる。
 もしかして、本命宛か。そう揶揄するはずだった言葉が溶けていく。そんな素振りを微塵も感じさせないくせに、どうしてこうも煽られるのだろうか。ローは頭を抱えたくなった衝動をそのままに、手のひらより少し大きいくらいの皿を持って口を開けた。


「あああああまたそんなワイルドなことして!」
「俺のなんだろう、なら食ったって別にいいだろ」
「だからフォーク使ってください!」


 はい、と目の前に差し出されたシルバーの小さなフォークを受け取る。柄に草花の模様が彫り込まれたそれを艶めく表面へ突き立てた。
 外側は上品な層が幾重にも折り重なり、上面に照明を強く反射する暗いグラサージュ。少しばかり乗った金箔がいじらしい。柔らかいその一口を含めば途端に口腔内に香る。チョコレートやケーキ自体に甘みはない。むしろほろ苦く感じるのだが、鼻から抜ける洋酒の甘い香りが調和して奥深さを出す。ローでも食べられるほど甘さ控えめのケーキだ。素直に美味しいと感じるし、飲み物によっては万人受けするだろう。そこらへんの飲食店なんか目じゃないほど、ニイナのケーキは美味しい。


「……うめェ」
「あ、ありがとうございます……!」


 滅多に貰えない素直な賞賛を前にニイナがはにかむ。ふたつ、みっつ、とケーキはローの胃に吸い込まれていく様を見ると、受け取ってもらえて食べてもらうことに至福を感じる。パティシエは客に作品を売るのが本職だが、ただ一人のために作ったケーキをこうして消費してもらえる事の喜びは計り知れない。


「よかったです、苦すぎるかなって思ったけど……」
「いや丁度いい。いい酒だな。なんて銘柄だ」
「え、えっと……忘れちゃいました」


 だが、何故だろうか。この洋酒をローは知っているような気がする。何処かで飲んだことがあるだろうか。こんな甘ったるいものを好みはしないが、一体。
 その五秒後に、お互いは気付くことになる。ニイナはローの隣にある袋から覗く見覚えのあるワインのコルクに。ローはニイナの肩越しの小さなワインセラーから見える見覚えのあるラベルのワインに。
 告げなくても訪れた機会は、その芳香のように甘ったるい。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -