小説 | ナノ
俺が物心ついた時には、幼馴染とも呼べる一人の男の子がいた。その子はとても頭が良い代わりに人見知りが激しく、俺と仲良くなれたのも一年以上はかかったはずだ。お隣同士で必然的に彼も俺と仲良くせざるを得なかった為かもしれないが。
しかし、一旦打ち解けてしまえば俺の後を付いてくるようになり、ついには「結婚」の約束までした。幼い俺らにその意味を深く知っていたのかと聞かれれば否と答えるしかないが、俺は彼とは一生友達でいたいという意味で頷いたことを覚えている。これで一緒だね、なんてはしゃいだから彼もまた同じような意味合いだったのだろう。
だがそんな彼も実は大病を患っており、その治療のために海外へ行くのだと言うときは流石の俺も泣いた。彼も大きなウルフアイを潤ませて、出発ギリギリまで俺に縋り付いていたというものだ。あの誰も寄せ付けなかった彼がここまで懐いてくれた証明に感涙が混ざったのを覚えている。早ければ二年で帰る、という彼の両親の言葉を信じて俺らは熱い抱擁から解き放たれた。俺はその時の彼の顔を一生忘れないだろう。唇を歪に歪ませて涙を堪える彼の、その声を。
だが、世の中は非情なものだ。
旅立ったはずの旅客機が墜落したとニュースで報じられたのは、感動の離別を果たした半日後だった。たったそれだけの短い期間で、俺は、彼を永遠に失ってしまったのだ。
それからもう十年にもなる。
「おう、ニイナ」
「おはよー、キッド」
二度目の高校の春。何度も通ったコンビニの曲がり角で俺らはいつも落ち合う。高校に入ってから知り合いになったキッドはもう親友と呼べるまでになっていた。真っ赤な髪の彼がいくつも欠伸を落とすのも、もう見慣れていた。
「またクラスおんなじだといいな」
「おー……いい加減お前も彼女作れよ」
「作れれば苦労しない」
「告られてんの知ってんだぞ」
「俺の知らない子ばかりだもーん」
向こうが知ってても俺は知らない。そこからお付き合いしても見えるのは上辺だけだ。俺だってキッドみたく選り取り見取りでフィーリングがあった子とお付き合いしてーよ。
黒髪で猫属性。気の強いところがあっても俺の前だと甘えてくるような。細身で色白。背は高い方がいい。俺自身も高いから、釣り合いが取れるように。こんな条件を満たす女の子なんてなかなかいない。ああ、ハンコックさんみたいな女の子だろうか。でも彼女はルフィくんに夢中だから、俺のことなんて虫ほどにも興味ないだろう。俺は俺にしか懐かない子しか興味ないんだ。
「……猫、飼おうかな」
「なんだよ、急に」
「来年までに彼女出来なかったら猫飼う。その子を俺の彼女とする」
「話ぶっ飛びすぎだろ。春だからって頭おかしくなったか?」
「なるかよバカヤロウ」
まだ肌寒い通学路を二人で蛇行しながら歩く。俺が緩く突き出した拳を避けてキッドも揶揄うように足を引っ掛けてくる。そうやって戯れながら歩くと、同じ制服を着た人の群れがチラホラ見えてきた。同じと言ってもタイの色が違うので直ぐに上級生と下級生の区別がつく。我が校はマンモス校なので同級生さえ見覚えがないことがあるため、そういう区別は有り難い。
桜散る新学期、までは行かずに桃色の花弁はふっくらと閉ざされている。まあ、あと半月もすればこの景色を彩るようにその命を散らすだろう。その頃には俺のセンチメンタルな気持ちもいくらか安らぐだろうか。
クラス割りを見てすぐにキッドと一緒なことに気付く。席番も去年と一緒だから俺の斜め前にキッドがいる。その他にも見知った名前がチラホラあって、クラスが変われど俺の高校二年生は順調だと告げていた。ただ気になるのは、俺の前の席番が空欄なのだ。辞めた人間がいるのかもしれないが、わざわざ空欄にする意味がわからない。
「……んん?」
「もしかして転校生ってやつか」
「なんか知ってるの、キッド」
「ああ、噂じゃ飛び入り転校らしいぜ。編入試験満点の超いい奴だってルフィが言っていた」
「ルフィくんが?」
「再試受けに春休みに職員室行ったらいたらしいぜ。ガープに聞いたらすぐに教えてくれたってよ」
ルフィくんはガープ先生の孫だ。祖父に似て実直に育った彼と同様、教師にあるまじき緘口を豪快に笑って破る様を思い描く。キッドは交友関係が広いから、誰とも仲良くなれるルフィくんとも友人だ。俺はその友人の友人として彼の中にインプットされているだろう。その転校生の名前を「トラ男」と呼ぶ彼に正しく認識されているかどうかは不安があるが。
「げっ、先公がロシナンテかよ」
「えー、いい先生だってみんな言ってるじゃん」
「根はな。あれは筋金入りの災厄持ちだ。巻き込まれはごめんだ」
「……ああ」
そういえば聞いたことがある。去年は隣のクラスの担任がロシナンテ先生だった。たまに聞こえる衝突音や破裂音は彼からだったのか。休み時間に生徒に混ざってバレーをする彼を見たことがあるが、あれは天性のドジっ子だ。どうやったらスパイクを受ける前に転けて脚で受け止めることが出来るんだ。
見慣れた友達や、初めて見る同級生をクラス内から見渡してキッドと共に着席する。燃えるような髪色を斜め前に据えたかと思うと、教師が入ってきた。噂のロシナンテ先生である。
「ほらー、お前ら着席しろー」
緩い声かけに生徒達が従う。ちょうどチャイムが鳴ったこともあり、カップラーメンが出来上がる時間内には全員が着席していた。俺の前の席を除いて。
「先生、噂の転校生さん来ていませんが」
「おっ、話が早いなニイナ。今日はみんなの新しい仲間を紹介します!」
番号も席も用意されて退学はないだろう、と上げた手にロシナンテ先生が嬉しそうに笑った。なんでそんなに先生がうきうきしているのだろう。可愛い子でも入ったのかな。
「会いたい奴が俺の教え子にいるって聞いてわざわざ帰国してきたんだ。大変だったぜ、ドフィを丸め込むの」
「帰国子女かよ」
「何というドラマティック……」
「サンジくん、感動しているところ悪いけど最後の一文に理事長絡んでいるからね。裏取引があるからね」
「考えてみろニイナ。どんなに疾しいことがあれど、女の子が会いたい一心でそこまでするんだぜ? 胸キュンものだぞ」
「ああ、実は俺が昔海外に住んでいた時に兄貴が養子縁組をした子でな。義理の甥っ子に当たるんだ」
「チッ、野郎かよ」
「はいサンジくん舌打ちしない。ちょっと愛想がなくて潔癖症だが、文武両道で容姿端麗だぞ! ……愛想ないけど」
ロシナンテ先生が二度目の欠点を言い終わるのと同時に入口の扉が蹴られた。確かにここにいる彼は義理の叔父といえど教師だ。俺は会う前から聞いた転校生くんの第一印象にプラスして、素行が悪いというレッテルも付け加えた。
白熱したサンジくんの演説も男の子だと知って座ったことを確認したロシナンテ先生が頷いて、入っていいぞと声を掛ける。
扉が開いて気怠げに入ってくる転校生くん。少し藍がかかった黒髪短髪の長身。その痩身と目元の隈が相まって不健康そうに見えるが、射抜くようなウルフアイと眉間の皺が彼の顔の良さを際立てている。その彼がロシナンテ先生と並ぶ。
―――――待って。
「……いや、待って、え……うそ、だ」
受け入れられない現実に、彼の視線に射抜かれたように、立ち上がる。キッドやクラスメイトが驚いたようにこちらを振り返っているのが視線の端で見えたが、今はそれどころではない。
だって、うそだ。ゆめだ。肌寒いと感じる日に日付も記憶も朧ながらたまに思い出す程度の、もう俺の人生に掠りもしないと思っていたことだ。やがて記憶も風化されて思い出しもしない日が訪れてきた時に。肉食獣のような、力強いその虹彩に穿たれてそれらが鮮明に息を吹き返す。
十年前に生き別れた幼馴染と再会できるなど、誰が思うか。
「紹介するぞ、俺の甥のトラファルガー・ローだ」
自惚れでなければ、彼が会いたいと願っていたのは俺だろう。立ち上がった俺と彼を嬉しそうに見据えるロシナンテ先生がそれを確信させ、こちらに歩み寄る彼が裏付ける。近寄る痩躯が現実を帯びて、伸びて触れた指先の温度に故人が事実となる。
「……やっと、見つけた」
機嫌悪そうに、吐き捨てるように、眉間にしわを寄せて言う言葉はとても弱々しい響きだった。もう俺達も子供じゃない。身長も高くなったし声も低くなった。面影など殆ど無いというのに、その声が鼓膜に馴染む。
「ほんとに……ロー、か?」
「そうだ」
「……体は、もういいのか?」
「ああ、治った」
生きていた事実は確かに驚愕だが、それよりもその身を案じた。後に知ることになるが、あの事故から彼だけが助かり、知り合った理事長と養子縁組を結び病気を治したらしい。そして理事長の弟であるロシナンテ先生の教え子に俺がいると聞いて、帰国したとのことだった。これほど喜ばしいことがあるだろうか。
恐る恐るというように、俺の頬に指先だけで触れた彼がついには掌で包み込む。嘆息を飲み込みながら確かめるように肌をくすぐった。それの刺激に笑ってみせて、溶け込むようにその手の甲に俺の手を重ねた。
「……よかった、ロー」
見開かれたグレーが映ったかと思うと、頬から滑った指先が俺の後頭部を掴んで引き寄せた。肩に回された腕も相まって、机越しにローの腕の中に閉じ込められる。頬に当たる冷たいピアスの感触を確かめながら、ローの髪を混ぜた。
俺には一つの呪いがかけられた。それは昔に交わした戯れで意味さえわかっていなかったものだ。一緒にいれる魔法の言葉と信じていたものは時間と共に消えた。それが彼との再会で徐々に色付き、俺を縛る枷となったのだろう。この鼓動の音が彼に届かないよう切に願う。
俺は、今だローに恋をしている。