小説 | ナノ
「……ッあー……くそ」
「ニイナドンマイ!」
「決まりだな」
紙一重で躱してカラカラと上機嫌で笑うシャチと随分前に上がったペンギンが余裕そうな顔で笑う。浮上して周囲に島影が見つからないまま三日程。暇を持て余した俺らは降板にテーブルと椅子を持ち出してカードゲームに興じていた。大抵はシャチが負けるので面白くない、と言い出したペンギンにより大幅なハンデを効かせて第53回戦が開かれたのだった。ほぼ俺とペンギンの一騎打ちに勝てるわけがない。えげつない事に巧妙な罠だけを残して上がったペンギンは横からシャチにアドバイスを加えていったのも敗因の一つだ。それについては抗議を申し上げたい。ちなみにベポはディーラーに飽きて近くに寝転がって鼾をかいている。
「じゃ、罰ゲームはニイナだな」
「ペンギンがシャチにアドバイスしなきゃ罰ゲームは俺じゃなかったぞ」
「どうだか」
涼しい顔で煽ってくるペンギンに米神がピクリと動いた。
「それともこんな罰ゲームにもならない簡単なこと、ニイナには出来ないって?」
さらに口元が引き攣った。
「……いいじゃねぇか、やってやるよ」
「よっ!待ってました!」
ほとんど初めて俺に勝利したシャチが調子に乗った声を上げる。別にペンギンの挑発に乗ったわけではない。決して。
俺は椅子を引いて立ち上がると、シャチが座るテーブルの前に手をついて彼を見下す。サングラスの奥から愉快そうに顰められた目とかち合う。ちょっとイラっときたのでそれを取り上げた。
「……よう、シャチ」
「なんだァ?」
「お前の前では太陽の眩い光でさえも月明かりのように仄かな明るさになるな。サングラス貸してくれよ。今晩、俺の部屋に取りに来るといい」
ついでに掛けたサングラス越しにチラリと流し目をすればパクパクと口を動かして赤面した。チョロいぞ、こいつ。
「……あああああ、ありがと、よ……」
「此奴大丈夫か……?」
女を口説いたことないのか、と言うとモテるやつは黙ってろ!と返された。ブスッとした顔でサングラスを返すように手を差し出されたが、それにお仕置きと題した悪戯心でニヤリと笑って外したサングラスにキスを零す。そしてゆっくりとツナギの胸ポケットにしまうと、ついに耳まで赤くしたシャチがテーブルに突っ伏した。
「チョロいな」
「流石ニイナだ。どの女を口説いた時の台詞だ?」
ニヤニヤと楽しそうに笑うペンギンにちょっとした好奇心が湧き上がった。うちの船長の右腕的存在でいつもクールで飄々としながら一枚上手をいく彼の言葉を、詰まらせることが出来たなら。俺の征服欲に火がついた瞬間だった。
「……なんだ?気になるのか?」
「ああ、とても、な」
シャチにしたように流し目で笑ってやると俺の意を汲んだように吐息に色を乗せて返して来るペンギンは流石だ。そこで唸っているシャチよりも手強い。
「そうだな、何処かでそう言ったのかもしれないな。花屋の初な女の子だったか、酒場の美脚のブロンド女だったか……」
「ほう、妬けるな」
「そういう時は大抵近距離で瞳を見ながら話すと成功しやすい。悪い、ペンギン。ちょっといいか?シャチのために実験台になってくれ」
「ああ、お好きに」
シャチの元を離れてペンギンに近づく。許しを貰ったので腰を屈めて顎に手をやりもう一つの手で帽子の鍔をわずかにあげた。普段合わない瞳と交わる。それがスッと期待に細まって愉悦に笑う。思ったよりも澄んだ色に少しドキッとしたのは秘密だ。ああ、これ俺が女だったらペンギンに惚れてたかもな。
「……へぇ、綺麗だな」
「どうも。それくらいの実験台ならいくらでも叶えてやるよ」
「そうか。じゃあ、」
コツンとペンギンの帽子の鍔に額を当ててより近くで視線を合わせる。それをフッと外すように一瞬瞼を伏せてから目を上げる。先程までの勝気な瞳は成りを潜め、今は切なく震える虹彩を感じ取ったペンギンが少しばかり動揺した。そして顎を掬い取っていた手でなぞるようにその頬に触れれば、微かに肩を揺らしたのを俺は見逃さなかった。
「……お前のその心を俺のものにできるという願いは、いつ叶えてくれるんだ……?」
掠れた語尾が終わった後、不意打ちをかまされたペンギンが頭を下げる。そしてズレた鍔を引き下げるのを見た。ゲームには負けたが、罰ゲームには勝利したらしい。ニヤニヤと仕返しが出来たことに喜びを表していると、船内へと続くドアが開いてキャプテンが顔を出していた。
「……なにしてんだ」
一部始終を見ていたのかひどく顔を歪めてこちらを見るキャプテン。それもそうだろう。机に突っ伏したシャチに帽子を目深に被るペンギン、両腕を突き上げる俺に転がって寝ているベポ。カオスだ。
「罰ゲームです」
「聞いてください船長!ニイナが……」
「シャチ、今夜デザートの前に一緒にご飯はどうだ?」
「うるせぇ口説くな!!」
「……お前らにか?」
「……いえ、ニイナが、です」
困惑気味のキャプテンに立ち直ったペンギンが答える。俺が罰ゲームの対象者なのに撃沈しているのが二人なのだ。これじゃどちらが敗者なのか疑わしいだろう。因みに罰ゲームは「口説き文句を言う」だった気がする。
そんなことを噛み砕いて伝えたペンギンにヘェ、とキャプテンが笑う。その不敵な笑みに少し嫌な気になる。
「シャチはともかくペンギンまで落とすなんざやるじゃねェか」
「……ドウモ」
「よし、俺を口説いてみろ」
どかっと俺が座っていた椅子に座って足を組めばモデルさえも圧倒するのがうちのキャプテン様だ。さらに言えば不敵な笑みを携えて舌舐めずりをすれば同性さえも圧巻するその色気に目眩がする。キャプテン、ちょっと抑えてくれ。
キャプテン命令にやらないとは言えないのでどう口説くか考えてみよう。その色気の前に跪くか。いや、そんなものつまらない。賛美の言葉など聞き飽きているのが我らがキャプテンだ。ならば壁ドン床ドンで攻めるかと考えたがバラされるのがオチだ。刀は今は持っていないが、タクトで持ち上げられて船首に女神宜しく貼り付けられたシャチを俺は一生忘れない。
考えあぐねても埒があかない。チラリとキャプテンを見ると帽子の隙間から見えた瞳が期待を孕んでいる。愉しませてくれるんだろうな、と仰っている。
「……キャプテン」
「ああ」
「俺、最近薬学にも手をつけ始めたんですよ」
「知ってる」
「外科も内科もある程度できるようになりましたし、次は薬学かなって。これならキャプテンの役に立てるって、思ったんです」
「まあ、俺もそこまで薬は好きじゃねェからな。助かる」
「……それは光栄です」
フッと表情を崩して笑うとキャプテンが眉をあげた。さっさとしろと言っているのはわかる。どさくさに紛れているわけではない。決して。
「でも、割と難しいんですよ。外科も内科も難しいけど薬学なんて特に。新薬が毎日開発されているし副作用だって新しく見つかります。正直、投げ出したい」
「そうだな」
「……でも、それよりも難しいことがあるんです。だからキャプテン、教えてください。聡い貴方から無知な俺へ、たった一つで構いません」
「……ニイナ、前振りが長ェと女が逃げるぜ」
せっかちだなぁ、キャプテン。逃げないくせに。だから俺の本音、少しはゆっくり聞いてくれないかな。
「勉学や戦闘技術なんかより……今までのどんなことよりも、貴方を愛することのほうが難しいんです」
ペンギンとシャチが直接的な言葉にハッとしたように顔を上げた。フラッといつも何処かに行って時には怪我して帰ってきて。俺らの心配も不安も愛情も、届いているのだろうか。ねぇ、わかっているんですか。敬愛する彼はまだ何も言わないまま。
「貴方の手を取って海に出た日から今日まで貴方だけに忠誠を誓うことは簡単でも、どうして俺からの愛だけは届かない」
苦しいほどに心臓が早鐘を打つ。酸素が充分に行き渡らない。普段思っていることを口にするなんて、なんて困難なんだ。溢れ出る想いが鬩ぎ合うように犇めき合うように、言葉と呼吸に熱を混ぜた。
「なあ、愛してんだよロー。わかっているんだろう」
眉間に皺が寄って自然と言葉に力が入った。噛み付きそうなそれからキャプテンが俯いて視線を帽子で隠す。
あれ、これフラれた……?渾身の告白を受け入られなかったそれに、ショックをうけた。何かで殴られたような錯覚が俺を揺さぶった。キャプテン、俺のこと嫌いなの……?
「……すげーな、ニイナの演技」
「流石は百戦錬磨の猛者だ」
「……あのな、俺は本音でしか言ってないぞ」
二人が茶々を入れるそれに溜息をつきながら返す。というか百戦錬磨ってなんだ。ペンギンには女好きとでも思われているのだろうか。
「敬愛する我らがキャプテンにその意を示しただけで大袈裟だな」
「へぇ、本当に?」
「……ペンギン、今夜は寝かせないぜ」
「照れ隠しか?口説くのが雑になってるぞ」
愉快そうに笑うペンギンを睨み付けると「ROOM」とキャプテンが呟くのが聞こえた。それはすっぽりと船を覆い隠したのだが、どうしたのだろうか。
もしかして俺の言葉がまずかった?嫌だった?クサかった?これバラされる?女神になっちゃう?
「……シャンブルズ」
「ごめんなさいキャプテン調子に乗りましたなので女神だけはどうかーーーいってぇ!!」
叩きつけられたと思ったら上から何か落ちてきて俺の旋毛に直撃する。頭を抑えて蹲ると視線の先にはキャプテンの靴先と絨毯。……絨毯?
遅れて嗅覚にキャプテンを感じた。背中に感じる固い感触は本棚で、傍に落ちている本がおそらく俺の頭に落ちてきたものだろう。見回せば中々入ることのない船長室のようだ。割と綺麗に片付いている。
「……何やってんだ」
「キャプテンこそ……急になんですか」
俺の目線に合わせるように追って屈んだキャプテンから呆れた溜息を貰う。好きでこうしてるんじゃないんだけど。
すると、キャプテンが俺の手の甲を撫でた。その下にあるのが丁度旋毛だ。もしかして、労ってくれている?いや、その前にあの船長に触れられているなど。
「……さっきのだけどな、」
「はい?」
「教えてやんねェ」
「……え?」
緩慢な動作で撫でていた手が本棚について、更に肘まで着けば距離が一気に詰まった。それでも空いた隙間を埋めるようにキャプテンが近付く。
「俺のことを余すことなく愛してェなら、てめェで考えろ」
鼻先が触れ合ったら、肩と瞳が揺れた。そろりと視線をあげれば美しいウルフアイに俺が映っていた。射抜くようなそれに息を呑むと睫毛が触れ合いそうで。唇に言葉の吐息が掛かる。呼吸すら忘れるほど、俺はローのことを見ていた。
「……それができたら、トラファルガー・ローとして、ニイナのモンになってやる」
尊敬も敬愛も飛び越えて、な。
低く優しい声が唇に触れた。瞬きをした後の瞳がまた混ざり合うと、彼の名前を呼ぶ。触れていた鼻先がズレて、より近くへと近付いてきて、唇にも熱を感じられるほどの距離へと進んだら、あとは、
「……くっ、」
笑われた。ーーーいや、なんでだ。
「……ククッ、なんつー顔をしてやがる」
「……騙したんですか」
「口説いたんだ、馬鹿」
くっくっ、と喉を震わせて愉快そうに笑うキャプテンにやられたと思った。やり返された。嫌われてなくてよかったけど。悔しいほどに雰囲気に呑まれてしまった俺は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。これがシャチなら3発くらい本気で殴っていたのに。
「口説くのは慣れてても、口説かれるのには慣れてねェんだな」
「……そんなこと、」
「嘘つくんじゃねェよ」
未だ上機嫌に笑うキャプテンは珍しい。余程俺を出し抜けたのが嬉しかったらしい。キャプテンと正反対に急降下していく俺の機嫌を顔で表すと乱暴に髪を混ぜられた。
「からかうのもいい加減にしてください。本気にしてやりますよ」
「ああ、いいぜ。待ってる」
「え」
またその真剣な瞳をする、ウルフアイは深く俺を貫く。かと思えば今度は声を上げて笑うキャプテンにその言葉が本当かどうかを確かめる術を失ってしまった。しかし先は長い。俺はこの気紛れで悪魔的なキャプテンの下で死が二人を別つ時まで忠実にせっせと働くとあの日から決めていたのだ。言及するのは俺が薬学を修めてからでもできるだろう。
だから、俺が言葉に込めた真意を悟らせないのも、キャプテンの耳が赤いのを見なかったことにしてあげるのも、できた部下の務めである。