小説 | ナノ


 その日は朝から頭痛が酷かった。ざあざあと降る雨は一昨日から止んでいない。天気予報も暫くは晴れ間を拝めるなよと脅してくる。無駄な抵抗とわかっているのか麦わら屋がてるてる坊主を吊るしていた。あのままでは首を切られてしまう。
 持っていた鎮痛剤は切れてしまったようだ。気圧の頭痛に薬は効かないのだがそれでも飲んでいないよりはマシだった。また鳴り出す脳の悲鳴に眉を寄せる。今なら先日視線で人を殺せる、と笑ったクラスメイトを鮮明に思い出すことができる。
 騒々しい豪雨の音が屋内にも響いて来ている。元々碌に受けていない授業を抜け出してここまで這ってきたものの、そろそろ限界のようだ。仮病ではなく、本気で。壁に手を着くと耳に入れたくなかった雨の音がありありと伝わってきた。舌打ちをこぼしてあと数十メートルの距離を歩く。なぜこのマンモス校はここまで広い癖に教室と保健室の距離がこんなに離れているのだ。しかも人気がなくジメジメした場所なんて衛生概念が疑わしい。
 漸く息も絶え絶えに保健室に着くと扉を開けた。些か立て付けの悪いドアの向こうは薄暗い。教師はいないのだろうか。

 ふ、と。雨のにおい。涼しい風が頬を撫でる。顔を上げると、見知らぬ女生徒がいた。においと風の正体はカーテンを捲って窓を開けているせいだ。
彼女が振り返る。それに一層痛くなる米神に咄嗟に手をやった。


「……いたいの?」


 鈴が鳴るような声だった。女生徒はそう言うとカーテンを離して薬棚に近付いた。
 どこかで、見たことがあるような。タイの色からして同学年。このマンモス校ならではの「顔は見たことあるけど知り合いというほどではない」というやつだろうか。だが、それ以上に彼女を知っているような、そんな自分に驚く。深く探ろうとしても頭痛が邪魔でそれが出来ない。


「どうぞ」


 差し出された白い錠剤二粒と水。白くて柔らかそうな手にその錠剤は今にも溶けてしまいそうだった。


「……なぜわかった」


 自分の唸る声さえ今の頭には荷が重すぎたようだ。少し目元が痙攣する。朝よりも痛みを増すそれに悪態をつきたい気分だ。


「知っているから」


 そう言って彼女はそっと笑んだ。

 「知っている」って、なんだ?俺の知らないところでそんな情報でも共有されているのだろうか。俺から誰かにこの頭痛の話をしたことなんて少ないはずだ。なのになぜ彼女はそれを知っている?誰かから聞いたというには少し、引っかかる。


「君は、前もそうだったね」


 前?まえってなんだ?俺はお前と会ったことがあるのか?
 そう問いても彼女は微笑んで首を振るだけだった。わけがわからない。電波だろうか、と思案した俺の手を彼女が取る。触れた人の暖かさに少しだけ肩が揺れた。彼女はその俺の手に錠剤を握らせると「早目に飲んだ方がいい」と言った。特に断る理由もないので素直にそれに従うと、満足そうに目を細めて奥のベッドを指差した。
 何故こうも甲斐甲斐しく介抱するのだろう。それに一抹の気持ち悪さと猜疑心を持ってもいいというのに、俺の心はそれが当たり前のように受け入れていた。しっくりくる、とでも言えばいいだろうか。
 白いシーツの上に皺を作る。冷たいそれが馴染んで気持ちが良いと思った。一瞬目を閉じて開けた先にいる彼女はまだ微笑んでいて、俺が寝るとわかると「おやすみ」と笑った。だが、彼女は動けなかった。俺の指先のせいで。


「……あの?」


 困惑したような表情で俺を見る。無理もない、俺ですら驚いている。更に空いたシーツを叩いて座らせるなんて。それにしょうがないな、と言うように座った彼女に動揺を隠せない。名も知らない、女を自分のパーソナルスペースに居座らせるなど。


「……薬が効きにくいのも変わっていないね」


 ーーーお前は、誰のことを言っている?


「……なぜ、知っている」


 先程と似たような質問を投げても彼女ははにかむだけだ。睨みつけてもまるで意味がなく、その眼差しからは敵意は感じられない。煩わしい女共の下品な視線でも、友人を労わるような視線でもない。脳内のありったけの辞書を引っ張ってきても見知らぬそれに、俺は心地良いとまで思っていた。ここまで考え事をできるまで頭痛は治まりつつあった。雨足も遠退いている。近々晴れるだろうと、ぼんやり思った。


「……ーーーは、変わらないですね」
「……あ?」


 微睡み始めた俺に、彼女は零したように呟いた。それに少しだけ浮上した意識を誤魔化すように俺よりも体温の高い指先が髪を梳く。


「船も、刀も、能力も、ピアスも、刺青も。何もなくても、貴方はあなたらしい」
「……どういう、ことだ、」
「いいんです。忘れて」


 自嘲するように笑った彼女はいつの間に敬語になったのだろうか。薬が効いてきたのか重たい眠気に抗えなくなってくる。優しい指先が離れていくのを惜しく感じるほどに、俺は毒されていた。もう一度「おやすみなさい」と彼女が吐息で言うのを瞼の裏で聞いた。スフィンクスの謎かけのようなそれは回らない頭で考えても仕方ないことだった。

 ーーー夢を見た、気がした。何の夢だったか、直前のことというのにまるで思い出せない。頭痛はすでに消え去っていて、薬のおかげか些かすっきりとした目覚めだった。
 三日越しの雨は上がった後だった。カーテンの向こうの窓は閉められていて、着いた水滴が流れていく。それに目を細める。
 誰かの名前をつぶやく。夢で呼んでいたような気がするそれは、何故だかストンと自分の中に収まった。

 彼女が呼んだ「キャプテン」と言う言葉とその眼差しが敬愛の情を抱いていると気付いたのはその後だった。




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