小説 | ナノ

 私は夕焼けが好きだった。とろりとした橙も、目を刺す淡い黄色も、夜を支配する藍が侵食するまでのその短い時間が好きだった。
 立ち寄った島のログは三日で溜まるらしい。今日は機嫌のいい私が率先して船番を引き受けた。先週立ち寄った春島で良い土産を買ったからだ。
 白いソフトケースを開けて細いそれを取り出す。春島名産のタバコ。タバコといっても普通のタバコではない。葉が不思議なことに果実の味がするのだ。ニコチンは一切ない。ただ豊潤なフレーバーが口内を占めるのだ。店主に勧められて気に入った非喫煙者の私が大量買いしたのは言うまでもない。おまけで貰ったマッチ箱を開けるところりと一本だけ転がった。舌打ちをして明日の脳内買い出しリストにチェックを入れる。残り一本となったそのマッチを擦って一息吸えばすぐに火は移った。


「……はあぁぁー……」


 盛大な溜息と煙を吐き出すと、白いそれが橙に染まった。船の縁に背を預けてタバコを指先に挟む。大好きな夕陽と苦くないタバコ。最高。


「ちゃんと番犬してるか?」
「……ペンギン?」


 梯子を登って現れたのはペンギンだった。見慣れたポンポンが橙に染まり、揺れる。「差し入れだ」とペンギンに寄越された紙袋はまだ温かった。スパイシーな肉の香りにぐぅ、とお腹が鳴った。


「……ありがと」
「飯まだだったか。ちょうどよかった」
「えっ、聞こえた?」
「さぁな」


 そう言って意地悪そうにクスクス笑うから、ずるい。真っ赤な顔は夕陽で隠せるだろうか。誤魔化すようにタバコを一つ吸って灰を零した。


「ニイナ、タバコ吸ってたか?」
「ううん。これ、前の春島の名産。果物の味がするの。不思議でしょ」
「へぇ。俺にも一つくれよ」


 私が背にしている縁に腕を乗せて私を見遣る彼に心臓が跳ねる。いつもより近い位置で更に手まで寄越される。思ったよりも綺麗な指先だった。それにソフトケースを持たせると指先が触れた。サラリとした存外低い体温に動揺する。慣れた手つきで尻を叩いて一本を咥える横顔から目を逸らす。心臓に悪い。


「……いいけど、火ないよ」
「ここにあるだろ」


 言っていることがわからなくて顔を上げると、近付く男に目を見開いた。触れたのはタバコの先。きゅっ、と肺がなったのは気付かれていないだろうか。そしてチリチリと音がしたのはどっちなのか。
 普段目深に被った帽子の鍔が触れないように少しズラしてくれたおかげで滅多に見れないペンギンの顔が露わになる。切れ長の伏せた瞳に並ぶ睫毛は長い。夕陽のお陰で白皙の陶器に似た肌に影を落としている。美しい芸術に心奪われて目が離せない。ーーーほんとうに?
 邪な心が鎌首を持ち上げた瞬間、甘い吐息が煙に紛れた。瞳が素早くかち合うと空気が震えてペンギンが「見過ぎ」と笑った。夕陽がペンギンの虹彩を変えていた。満足そうに大きく息を吸って煙を吐く彼が「甘いな」とまた笑った。


「最近ニイナから香っていたのはこれか。俺はてっきり女心にでも目覚めたとばかり」
「あの島で私がダースで買ったのは香水じゃない」


 苦々しげに皮肉ると彼はイタズラそうに笑った。また目深に被った帽子のせいで瞳は見えずとも口元はそう形作る。隠れた目元に代わって私のタバコが彼のツナギのポケットから覗いていた。まだ開けたばっかりなのに。


「香りは合格だがタバコは似合わないな」
「あら、セクシーの間違いじゃなくって?」
「口さえ開かなかったらな」


 イラっとした。腰にあるダガーを軽く振ると仰け反って避けたペンギンから帽子が落ちる。タバコを嗜む見慣れない男がまた笑う。
 ペンギンの向こう側、夜が迫っていた。頭上に不恰好に欠けた白い月が上がる。何故だかペンギンには夕陽よりも夜が似合うと思った。


「悪い。からかっただけだ」
「……随分機嫌がいいんだ」
「まァな。珍しいモン見れたからな」
「へぇ?」


 潮風に髪が乱された。鬱陶しいそれを適当に耳に掻き上げて隣の男を見遣る。サラサラと揺れる髪と煙の先にいたペンギンが瞳を細めた。その薄い唇に食まれたタバコは私と同じものだ。それを持った指先の、薄めの唇の向こうの、フィルターの奥底。赤い舌が翻る。


「夕陽の中で伏目がちにタバコを吸うお前の気怠い色気が好みだった」


 一寸。呼吸の仕方を忘れた私は、グッ、とまずいところに入った煙に噎せる。慟哭を繰り返す私に今度は声を上げて笑いやがった。涙目になって睨むとタバコを挟んだ指先で口元を隠して喉が震える。細められた瞳に煙が揺れる。


「ッ、……けほっ、冗談キツイ」
「俺は思ったことを言ったまでだが?」
「嘘つき」
「まさか」
「……出てって。今晩の船番は私だ」
「お前の船じゃない。俺もクルーだ」


 吐き出した煙に紛れて口元が歪んでいる。彼はクールだけどノリはいいし割と饒舌に話すほうだ。そんな彼の見たことない表情。普段でも戦闘でも見たことのない、例えるなら、そう、


「っ……たまのホテルくらい、楽しんできたら?」
「明日だって構わないさ」
「ぁ、わたし、戻る。夜食ありがと」
「ニイナ」


 足元の冷めきった紙袋を掴んで足早にその場を去ろうとして腕を掴まれた。ペンギンの帽子の上に紙袋が落ちる。やめてくれ。もう口実の夕陽が夜に侵食されている。沈み切る前の抵抗の橙が、ペンギンの背に隠される。私の赤い顔は果たして暗がりに隠れることはできるのだろうか。


「船内は禁煙だ」


 投げ出された二つのタバコが重なり合って海に心中した。聴けなかった悲鳴に代わって夜の声が響く。頭の中で夕陽の断末魔を聞く。
 タバコを持っていた指先で私の輪郭をなぞる。香りが移った温度の低いそれに、くらくらする。私と同じものを吸っていたというのに、潮風に紛れるペンギンの吐息は余計甘く感じた。私の好きな香りすらも侵食して、次は何を奪うというのか。ああ、彼もまた、


「そんなに物欲しそうな目、するなよ」


 例えるならそう、男の瞳。
 その唇がニヒルに歪む。そうしたらあとはその唇で私を暴くだけ。




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