小説 | ナノ


 トラファルガー・ローには太陽が似合うと思う。

 そう言うと絶対批判を喰らうっていうのは知っている。夜とかアングラとかセクシーとかそっち方面が似合うというのも知っている。俺も大半はそう思うけど、時々、偶に、キャプテンには太陽が似合うと思う時があるんだ。
 例えばベポと柔らかく降り注ぐ太陽の下お昼寝している時とか。初めて見た時死ぬほど吃驚したことを思い出す。ああ、この人も昼間に外に出る時があるんだなって。いつも悪人面が成りを潜めて眉間の皺も幾らか和らいだ顔を帽子の隙間から見た時に多分、それが最初に似合うなって思った時だ。
 次は偶に帽子を取ったまま甲板に出た時とか。暗いところでは黒髪でも太陽に透かすと紺青が見える髪が好きだった。案外子供っぽく振る舞う時もある人だと知った時に発見したんだ。甲板で洗濯をしていたペンギンの背後に忍び寄って洗い桶に沈めた時だ。結局シャチだと勘違いしたペンギンによって同じように沈められていたけど。その時に風に揺れた紺青も、濡れて額に貼りついた紺青も綺麗だったのを覚えている。
 あとは、そうだ。太陽の下で、柔らかく笑んだ時だ。不敵もニヒルもなく、キャプテンとしてでもなく、ただのトラファルガー・ローとしての笑みを。どのくらい前だっただろうか。その時の笑みも台詞も一語一句覚えているというのに、それがいつの事だったかだけは覚えていなかったのだ。





 ニイナは夜が似合うと思う。

 クルーは揃ってあの阿呆は太陽の下で笑っている方がいいと言うだろうが、俺は時たま違和感を感じる。夜に船内で会う事は多いが甲板で出会す事が少ないから滅多に見れねェが、その機会に恵まれると俺はやっぱりニイナには夜が合うと確信する。
 まずはその髪だ。シルバープラチナの髪は潮風で傷む様子を見せない。月明かりに煌めく海面と同じに夜風にたなびくプラチナが輝く様を、俺は目を細めて見ていたはずだ。その陶器のような青白い肌も相まってビスクドールのようだった。
 そして振り向いたその瞳だ。ニイナの虹彩は光に透かすと青の色彩を持つが、夜の暗さに群青を映す。ガラスのような透けた青も嫌いではないが、海面の僅かな光を反射して星空のように輝く瞳が息を呑むほど美しいことを俺は知っているのだ。
 それで、嗚呼、其処からは曖昧なのだが、笑んだのだ。ニイナが。昼間の明るい太陽のような満面な笑みではなく、しっとりと柔く、微笑んだのだ。それに心を鷲掴みされたように息苦しくなったことだけは覚えている。見たこともない、ニイナのその感情に戸惑ったことを。じわりと己の内側に滲む感情を察したことを。

 ニイナが俺の名前を呼ぶ。この世に生を受けた時からある固有名詞だと言うのに、初めてその名を呼んだニイナはまた笑んだ。そしてそれを初めて聞いた俺は……どうしただろうか。





「……最近、またキャプテン部屋に篭りっきりだよなー」
「ああ、最近いい本が立て続けに手に入ったみたいだからな」
「そろそろ減らさないとキャプテンの部屋だけ重くなって浮上できなくなるんじゃないか」


 その冗談に食堂内がドッと湧いた。比喩なのだがちょっとした危惧があるのは事実だ。だが、そんなことよりも一番最初の言葉に安堵した。一人早目の夕食を取っていた俺は口の中のものを飲み込んでからポツリと呟いた。


「……そっか、キャプテン生きてたのか」
「ニイナクン!?」


 どうしたんだお前、キャプテンの命狙う刺客とか勘弁しろよ、どういう意味だよ、と矢継ぎ早にされる質問に煩わしそうに眉を寄せてまたポテトサラダを咀嚼した。玉ねぎがシャクシャクして美味しい。


「……お前らはさ、キャプテンにどれくらい会ってない?」
「はあ?三時間前か?」
「俺は二日くらい見てないな、すれ違ってて」
「……一日一回は会うかな」
「そうか。俺は一ヶ月会ってないぞ」


 行儀悪くスプーンを振るうと一瞬静まった後大きな驚愕の声に耳を塞ぎたくなった。驚き過ぎだろう。海王類のトマトソース煮も美味しい。


「お前……冗談だよな……?」
「この一ヶ月の間二回は島に立ち寄ったぞ……?」
「その前にこの狭い船内ならすれ違うなり姿を見るなりするだろ」
「それがどっこい、一ヶ月だ。まあ、話は聞くし生きてるとは思ってたけど」


 完食した皿にスプーンを置いて水を飲み干す。氷がからんと虚しい音を出した。仲間たちは呆れたような、信じられないようなものを見るような、そんな視線を寄越した。煩わしい。


「なんつーか……すげェな」
「お前の無頓着さとキャプテンの引きこもりの偶然の産物だな」
「奇跡重なり過ぎだろ」
「……多分、お前らのせいだぞ」


 そう、ほとんどがこいつらのせいなのだ。夜目の利く俺が夜の見張り台に立たせられるせいでほとんど昼夜逆転気味なのだ。ちょうどショートスリーパーのキャプテンが寝る時間に見張りをしてて、起きる時間には俺が寝ているのだ。俺が飯を食いに食堂に行く頃はキャプテンは部屋に篭ってるし。多分一番接点薄いと思う。
 だけど、一つだけ仲間に打ち明けられない秘密がある。


「ご馳走さん」
「……ニイナ、本当にすまん」
「俺たちも頼り過ぎだよな……」
「今度から金取るぞ。そうだな、今日はシャチからか」
「シャチに合掌」
「「「合掌」」」


 二日酔いだというシャチはまだ寝込んでいる。交代するはずのシャチがいないので今から朝方までの長期の見張りだ。しこたま寝込んだので眠くはないが暇だろうな。またキャプテンとすれ違うのか、と溜息をついて席を立った。ついに仲間たちは黙祷まで始めた。誰だ、シャチの写真持ってきたやつ。可哀想だから後払い制にしてやろうか。
 甲板に出ると真っ赤な夕日が沈む頃だった。今日の夜食はなんだろう。スコーンと熱いミルクティとかもいいな、真夜中のお茶会だ。


「おーい、そろそろ夕飯だぞー」


 甲板に転がっている数人の仲間に呼び掛ける。赤く染まったツナギがのろのろと船内に入って行く。ペンギンも俺に近づいて来て片手を上げた。


「よっ、ニイナ。シャチは?」
「まだ潰れてる」
「はぁ……いい加減酔い覚ましが効いてもいいと思うんだが」
「ああ、早くしないとまたキャプテンにバラされて強制的に酒抜きされるぞ」
「そうだな、シャチに合掌」
「なにそれ、流行ってんの」


 両手を合わせて神妙な顔をするペンギンのポンポンを軽く弾くと、笑いながら俺の肩を数回叩いて扉を閉めた。誰もいなくなった甲板をぐるりと見渡して一息ついた。閑散とした光景が寂しく見える。
 防寒のための毛布を抱え直して見張り台に足を向けた時、後ろの船内に続く扉がまた開いた。ペンギン辺りが忘れ物したのだろうか、と足を向ける方向を変えると、一ヶ月ぶりのキャプテンがいた。


「……キャプテン?」
「よぉ」


 ゆったりした笑みを携えたキャプテンはそのまま扉に凭れて近寄らない。一ヶ月ぶりのキャプテンはなにも変わっていなかった。そりゃたった一ヶ月でなにか変わるわけじゃないけど。


「久しぶりですね。部屋に篭ってたんですって?」
「ああ。まぁ、ひと段落ついたから偶には外の空気でも、ってな」
「でも、もう夕飯ですよ」


 随分遅い息抜きだ。太陽の下でベポとお昼寝していればいいのに。キャプテンに夕日なんて不釣り合いだな。


「メニューは?」
「海王類のトマトソース煮です。ああ、ポテトサラダが美味しいですよ」
「そうか」


 短い返事で薄く笑ったキャプテンはいつも通りだった。いつも通りすぎて、この一ヶ月はなかったものに思える。お互いに思うことはあっただろうに、言葉にしないのはどちらも様子を見ているからだ。
 夕日が自己主張を濃いものにして群青を消し去る。半日ほど時間を巻き戻せたらその青を見ることができただろうに、最近の俺はタイミングが悪い。

 果たして、世界から二人が足りなくなっても、気付かれないんだろうか。いっそ、彼を手に入れるために夕陽の届かない場所へと逃避行してしまおうか。
 キャプテンが微かに俺の名前を呼んだことで現実に帰る。格好良く口角を上げたキャプテンがアウトローに夕日塗れになって映画のワンシーンのようだと思った。返り血とはまた違う赤い色に塗られた俺らは存在さえ塗りつぶされたようで不快だ。ほら、キャプテンのその射抜く視線だって相応しくないみたいに。不愉快を隠さずに目を細めるとキャプテンがひらりと背と手を翻した。休憩は終わったようだ。


「ニイナ」
「はい?」
「またな」
「……え、」


 広がったサークルの中でキャプテンが毛布になった。移動が面倒なのはわかるが、急にやめてほしい。というか、毛布はもう持っているのでいらないんだけど。そのままにしておくのも偲びないので、もう一つ毛布を抱えて見張り台に続く梯子に手をかけた。
 そして、どっぷりと夜に沈むまであのキャプテンの言葉と去り際に喉を震わせた意味を考えるのだ。





 胸の前に交差させた毛布を掻き抱いた。やはり夜は冷える。冬島が近くなればこの比ではないだろうが、空気が澄んで遠くまで見れる所は評価したい。定時確認、四方敵船異常なし。それを何度繰り返しただろう。もう東の空が明るんできた。ちょうど俺の左側、余った毛布のある方。航海士さんは今は南の方に向かっているらしい。毛布一枚で事足りるわけだ。
 それでも一番冷える明け方は風が吹けば毛布の隙間から差し込んでくる。やっぱりもう一枚追加しようかな、とキャプテンが置いてってくれた毛布に手を伸ばした時、薄いブルーの皮膜が伸びてきて、


「ーーーふぅおう!?」
「……なんつー声出してんだ、馬鹿」


 音もなく一瞬で毛布がキャプテンに戻った。そりゃ吃驚するわ、阿呆。


「な、なんっ……ていうか、まだ起きてたんですか!?」
「誰かさんが寂しいと思って休憩がてらだ」


 そう言ってキャプテンが長い足を折り畳んで隣に座ると両手に持ったうちの片方、湯気の立つマグカップを押し付けてきた。そうして寒ィ、と俺の毛布の片側を奪って潜り込んできた。猫か。キャプテンの分の毛布はシャンブルズしてしまったので仕方なく招き入れた。掻き抱いた前を開けられたことによって冷気が一層体を撫でて肩が震えたが、それも直ぐに隣の体温が移れば忘れられる。
 その体温が移る前にマグの中身を覗くと珈琲のようだった。薄暗くて見えにくいが、この香ばしい匂いは間違いない。しかも煎れたてだと分かった。俺のためなのかどうか聞く言葉を珈琲と一緒に飲み込むと湯気と同じ色の溜息になった。キャプテンもお揃いだ。毛布の中で身動ぐと意図せずキャプテンの腕と擦れ合った。
 キャプテンの方から朝日が昇り始めている。白むそれを背負うキャプテンの瞳が夜を見た。


「……俺は、お前には夜が似合うと思う」


 そうして笑む彼はいつかの面影に重なった。ああ、思い出した。一ヶ月前だ。一ヶ月前の最後に話した日の朝方。その時にこんな風に朝日を背負って、柔らかく笑んで、それで、言ったんだ。


「……俺はキャプテンには太陽が似合うと思います」


 俺の後ろにある夜を喰らい尽くす朝焼けが迫る。日付が変わる前に焦がれた逃避行は成功したようだ。朝も夜もあるここで、俺達は二人きりになれたのだ。漣が優しく祝福する船の一番高い所の、毛布の中でキャプテン腕が動いて手が重なり合った。


「……ニイナ」


 キャプテンが俺の名前を呼ぶ。優しい響きを携えたそれが一ヶ月前の朝に重なる。その後に続く言葉も同じだった。


「……好きだ」


 ああ、嗚呼、この人は。皆に恐れられる死の外科医としてではなく、皆に慕われるキャプテンとしてではなく。トラファルガー・ローとして、ただの一人の男として、俺に愛を囁くんだ。眉間の皺も、射抜く眼光も、不敵な笑みもなく、慈愛を湛えたその表情で、俺を瞳に映すんだ。
 全てをかなぐり捨ててでも、俺を好いてくれると決めたんだ。なんて罪深い人だろう。なんて、愛おしい人だろう。触れられた手を取り直して、俺は強く握った。


「……ロー」


 胸の内に荒ぶるこの感情に押されて、声が掠れた。幸せにしよう、この人を。俺に全てを託してくれるこの男を、受け入れる誠意を見せなくてはいけない。


「……愛してる」


 お互いに一月前を繰り返す。ローは朝に、俺は夜に告げた事を。お互いに手を握り締めてその感触を確かめる。これ以上何か言ってしまったら泣きそうになってしまう。俺は感嘆の吐息を閉じ込めるように、ローの唇を塞いだ。ちょうど、その真上で朝と夜が交わり合っていた。


「……一ヶ月記念にキスとかお子様じゃねェか」
「超純愛だね、俺達」


 お互いに額を合わせて笑い合う。触れた掌が震えてその存在を露わにした。珈琲の香りが遅れてやってきて、なんだかんだ俺は緊張していたんだと気付いた。一ヶ月前に実った恋の筈なのに、今更緊張とか本当に子供のようで。


「何時まで見張りだ?」
「もう交代のはずだけど……」


 俺が言いかけた所で下の方から扉の開閉音と足音が微かに聞こえた。丁度いい時間だったようだ。それにローがいやらしく笑う。


「ならいい。足りねェ所だったからな」
「……ローさん?」
「まだお前に言いたい事、お前が言いたい事、あんだろ。俺は餓鬼じゃねェ、一ヶ月お預けは辛ェんだよ」


 俺の唇にリップ音を立ててからサークルが船を覆う。下の方で驚いた仲間の声が聞こえた。朝日を背負って不敵に笑うローもいいな、と思ったと同時に繋がっていない刺青塗れの手が回る。後に残るのは冷めた珈琲のマグカップ二つだけだろう。




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