苦く、甘く
「おい、名前」
『…………はーい。何ですか師匠』
たっぷり間を空けて返事を返した私は何も、「どうせ師匠のくだらない命令なんだろうなめんどくせ」とか思っていたわけではない。…いや思っていたわけではありませんよ師匠だからお願いですからそのスーツから覗くそれ仕舞ってください。黒光りのそれ仕舞ってください怖いです。
「チッ…俺がソファに座った時は何を用意するって教えた?」
『ええ?もうー何ですかリモコンですか』
「なわけねェだろエスプレッソだバカ弟子。さっさと淹れろ」
『いや。それくらい自分で、』
ごりっ
「淹れるよな」
『勿論です師匠のエスプレッソを淹れることが私の幸せですから』
「頼んだぞ」
『お任せください!』
はあーあ…何で私が。無駄に高い豆を取り寄せて、師匠がエスプレッソを飲むが為だけにわざわざ、わ ざ わ ざ !部屋にキッチンまで作ってあるというのに何故私が作らなければならないんだ。自分で淹れればいいじゃないか。これだから俺様は…
ごりっ
「何か言ったか、名前」
『アハハやだな何も言ってませんよ』
だから銃を頭に当てないでください。痛いし怖いしで手が震えてエスプレッソが溢れそうです師匠。既に若干溢しちゃってます師匠。
「そうか、だったら早くしろ。溢すなよ」
『……はい』
そうして私は今日も背後から鋭い視線を感じながらエスプレッソを淹れるのだった。私くらいだろうなぁエスプレッソ淹れるのに命懸けな人って。私もさすがにこんなことで死にたくないため、全力でエスプレッソを淹れているが、おおよそ毎日やっていてもこのティータイムならぬエスプレッソタイムは慣れない。
というか、この時間は全く生きた心地がしない。それは確実にビシバシと、え。目からビーム出そうとしてます?って言いたくなるくらい痛い師匠の視線の所為だ。見つめられてるとかそんな甘いもんじゃない。これは、監視だ。
私が失敗しないか見ているのか、待ちきれなくて見ているのか。どちらにせよどんだけエスプレッソ好きなんですか師匠!
「そうだな、取り敢えず不味かったら銃三発ぶっ放つくらい好きだぞ」
『師匠パワハラって知ってます?』
「力のある者が偉いのは当たり前だぞ」
『ああダメだ私いつか死ぬ』
間髪入れずに至極当然のことのように言い切った師匠に、私は本気で転職しようかと思った。
コポコポと音を立て、いかにも高級そうなカップに注がれていくエスプレッソ。珈琲豆の良い香りが鼻を燻る。ストレートで飲む師匠のエスプレッソに牛乳や砂糖を入れようものなら即乱射されるため、そのまま師匠の前にカップを置いた。
『どうぞ』
「ん」
一言だけ返事を返した師匠は嫌味なほど長い指を取っ手に絡ませ、これまた嫌味なほど形の良い口元にカップを寄せた。エスプレッソを飲むだけでここまで絵になる人もそう居ないに違いない。顔はいいもんなーこの人。
「名前」
『うあっはい!ななな何でしょうか師匠!?』
「お前は一生転職なんざさせねーからな」
『………はい?』
思わず首を傾げる。何の話かと一瞬思ったがすぐに気付いた。ってゆーか聞いてたんですか?いい加減、読心術使うのやめてください。
『…何でですか』
「お前が居なくなるとエスプレッソを淹れるやつが居なくなるからな」
『いやいやメイドが居るじゃないですか』
そう反論した私に、師匠は眉を寄せて吐き捨てた。
「メイドが淹れるエスプレッソは不味いんだよ」
(それはつまり私の淹れたものは美味しいってことですか師匠!)