――次の日。
オレは、どうにも眠れなくて……。 外が明るくなり始めた、朝5時前に起きてしまった。 これ以上横になっていても仕方がないから、起き上がって階段を下りる。 リビングに下りると、兄貴が驚いたように肩を震わせた。
「び…っくり、した……。壱、何してんだよ?」
「……眠れないの・・・」
今年サラリーマンになった兄は、毎朝6時過ぎの電車に乗って、ちょっと距離のある会社に通っている。 トーストを頬張る兄貴の横を通り過ぎて、ソファに座った。
「そういや、さ」
トーストを頬張って、新聞を眺めながら兄貴が口を開いた。 就職してから、時事くらいは抑えなきゃまずいとかで、新聞を読み出したんだってさ。 「なーにー?」と相槌を打つと、兄貴が言葉を紡ぐ。
「この間、奈緒に会ったんだけど・・・」
「奈緒……」
……オレにとって、一番の地雷。 その名前を聞くだけで、泣きそうになる。
「奈緒、すげえ美人に育ったよなー。オレにとっちゃ、壱とまとめて弟妹みたいなもんだけどさ」
「……だねー」
奈緒は、兄貴から見ても美人らしい。
「モテんだろ?それとも、そろそろちゃんとした?」
「そろそろ?……ちゃんと?」
兄貴の、意味分かんない言葉。 ……ちゃんと?
オレが首を傾げると、兄貴がふうっと息を吐いた。
「……まだぐだぐだしてんのかよ。お前らは、ちょっと近すぎたんだよなー」
「奈緒は……いつだって、オレに一番近いよ?」
兄貴が、近いことは好ましくないことみたいな言い方をするから……。 ちょっとカチンと来て、思わず兄貴を睨む。 だってオレ、奈緒が俺の傍にいないことなんて考えたこともなかったしね。
「いや・・・そういうことじゃねえ。……運命の人っつうのに会うのが、早すぎたんだな」
「……どういうこと・・・?」
兄貴は頭がよくて、いつだってオレの自慢だった。 でも、今日ばっかりは……。言ってる意味が、よく分かんないよ。
「お前が鈍いのは今にはじまったことじゃねえけど……。鈍すぎると、後悔することになるぞ」
「……あ、」
それ、確か前にも言われた。 「鈍すぎると、取り返しのつかないことになる」って。 ……紳くんに。
「それ、クラスの友だちにも言われた・・・」
「お?いい友だちがいるんだな」
トーストを頬張って立ち上がった兄貴が、オレの方に歩み寄ってきて頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 兄貴が就職してから、あんまりこういう機会もなかったし……。 思わず、笑みがこぼれる。
「壱、がんばれよ?」
「?……もっちろん!」
何をがんばるかはちょっと分からないけど……。 でも、いろいろがんばろう。
まずは、奈緒と今日話をして……。 昨日のことも、ちゃんと話をしよう。
奈緒が、0点って言ったのは……たぶんというか間違いなく、オレがアケミに手を出したせい。 酔っ払った奈緒は、「あたしだけを見て」って言った。 その本心は分からないし、そもそも素面の奈緒が同じことを考えているのかもちょっと不明だけど、それしか、考えらんないもんね。
で、奈緒に謝って……奈緒と離れたくないってこと、言おう。 奈緒がいない生活なんて、考えらんないし。
それで……採点のことは・・・どうしよう。 でも、今0点だし……一旦置いておくべき、だよね?
しばらく奈緒といて、信頼を回復して……。 それで、オレの中のどろどろな気持ちをきちんと整理したら、また採点してもらえばいい、かな? ……整理できる自信は、無いけど・・・。
大丈夫、絶対。 オレと奈緒が一緒にいないなんてありえない。 さよならなんて、ありえないよ。
……大丈夫。大丈夫・・・。
ソファの上で時間を忘れて物思いにふけっていたオレは、いつの間にか時間が経っていたことに気がつかなかった。 ……そういや、今日母ちゃんいないんだった!!
せっかく早起きしたのにも関わらず……。
オレが教室に飛び込んだのは、朝のチャイムが鳴る、直前だった。
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