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少年は夢を見た


ぼんやりと物思いに耽るナマエの姿は思えばよく見かけていた。ただ彼女を目で追ってしまっている内に気付いたことがある。

どこを見ているか分からないその瞳に浮かんでいるのは諦めとほんの少しの羨望だってこと。


ある日の放課後、日直の最後の仕事である日誌作成に取り掛かった俺のもとにもう一人の日直であるナマエが教室の戸締りを終わらせて戻ってくる。

「終わったよ。日誌まだかかりそう?」
「ああ、あとはこれだけ…どうした?何か予定があるのか?」
「ん。いや今日早く来いって招集あってさ」
「珍しいな」
「なんか締め切り前でやばいらしい」
「締め切り…?そういえばあまり詳しく聞いたことはなかったがナマエの所属している部活は…あーなんてったっけか?ド忘れした」
「漫画とアニメを愛し生み出す研究部、略して漫研」
「それだ!相変わらず長くて覚えにくい部活だな!で、主に活動は何をするのだね?」
「んー最近は締め切りに追い込まれてピリピリしてる先輩を気遣いつつ、気付いたらゴミの山が生成される部室の掃除をしてるかな」
「んっ!?それは…楽しいのか?」
「まぁこんな世界もあるのかーって勉強にはなるよね」
「そ、そうか…俺はてっきり体育での走りを見るに、ナマエは運動部所属かと思っていたよ。陸上とかな」
「あー…鋭どいね東堂は。中学の時は陸上してたよ」
「ということは、やめてしまったのか?」
「…まあね」
「…そうか」

何故?そう問えばいいのだろう。けれど、それ以上の追随は許さないと彼女の横顔が語っていた。それに、聞いたところではぐらかされるのも分かっていた。ああ、また一線引かれたな。そう思うのはこれまでも似たようなやり取りを数回繰り返しているからだ。

俺から視線を逸らし黙り込んだナマエを盗み見る。踏み込むな。聞こえた声はナマエのものか、それとも臆病な自分のものか。ただ女々しくもナマエが見ている景色を追ってしまう辺り、俺もなかなか諦めの悪い男なのだろう。

ぼんやりと窓の外を眺めるナマエの視線の先にはグラウンドのトラックを周回する一人の男子生徒の姿があった。

「…知り合いか?」
「…ううん、知らない人」

不思議そうな顔をしているだろう俺を一瞥して、学年も性別も違う、知り合いでもないその生徒を何故かひたすらに見つめ続けている彼女はきっと無意識だったのだろう。ぽつりと一言、零したのだ。

いいなあ、と。

ナマエが見ているものは、世界はどんなだろうか。もっとナマエのことを知りたい。近付きたい。そう思うのに、引かれたボーダーラインを飛び越える勇気はまだ出そうにない。

ペンが紙の上を滑る音が室内に響く。薄らと運動部の声が聞こえるが、普段と比べると静かでほんの少し窮屈だった。



高校生活二年目。俺達自転車競技部にも等しく二回目の夏がやって来る。部内ではレースだインターハイだと忙しかったが、強豪校である箱根学園でレギュラーになるには相当な努力と時間が必要であった。つまり今年もレギュラーに選ばれる事はなかった俺の毎日は特に何も変わらない。悔しさは勿論ある。だがその感情を引きずることはない。来年こそ必ず、あの場所で巻ちゃんと走るんだ。

それはさておいて、出会って一年。俺とナマエの距離は相も変わらず平行線のままだった。

新開やフクも含めて考えると、出会った頃に比べ圧倒的に会話も増えたし、無視される頻度も減ったがやはりナマエはどこか一線引いているようでなかなか掴み所がない。近付けたかと思いきや離れていく。そんな状態がずっと続いていた。

この感情をなんと表現すべきか悩むけれど、一人の男としても友人としても、ナマエのことを知りたいしどうにかして距離を縮めたいと思う。

らしくもなく、俺は焦っていたのだろうか。だからなのか、簡単に触れてしまった。きっと一番触れられたくなかった部分に。

「そうだ、そういえばナマエは?兄弟はいるのか?」
「あー…うん、いるよ。弟が一人」

口煩い自分の姉に対する不満から展開したこの話題に喜々として突っ込んでいった俺は今思えばかなり不躾であった。けれど初めてナマエの口から聞かされる自身のことに高揚していたのは確かだった。

これでようやく少しはナマエに近付けるなんて、そんなバカなことを思っていた。しかしこの時、少しは心を開いてくれているだなんて勘違いをしていた俺は彼女が今まで見たことのないような険しい表情をしていることに気付いていなかった。ナマエ自身の話を聞かせてくれたことと、一つ彼女について知れたことに完全に浮かれていた。

「そうか!弟はいくつだ?やっぱり姉弟だからな、ナマエに似て口が悪かったりするんだろう!」
「おい、それどういうこと。言っとくけど、多分全然似てないから」
「ん?そうなのか?」

いつもと同じ軽口も、この瞬間だけはいつもと違った。「だって半分しか血繋がってないし」吐き捨てるように紡がれたその言葉に俺の思考も場の空気も凍った。どこか仄暗い瞳を覗かせて溢れたそれは、もしかするとナマエの底にある部分なのかもしれない。

しかしそれもすぐに消え、取り繕うように続いた「そんな感じだよ」の声を最後にこの会話はお開きとなる。

これ以上は聞かないで。はっきりとそう言われた気がした。誰にでも他人に聞かれたくないことや、話したくないことはある。それなのに俺ってやつは…何をしているのだ。

彼女を傷付けてしまったかもしれない。どうしよう。頭の中にあるのはそればかりで、うまく言葉が出てこない。視線を泳がせまさに挙動不審な俺に対し、ナマエは困ったように表情を緩めると、変な東堂。そう言った。

「そうか?変ではないな、変では…よし!もしナマエさえ良ければ今度の長期休みにでもうちに泊まりに来るといい!」
「え…何?なんで急に東堂ん家?」
「ふふふ、実は言っていなかったが我が家は歴史の長い由緒ある温泉宿でな」
「へえ、温泉?」

気付けばそう漏らしていた提案にナマエは不思議そうな顔をしていたが、先程よりも幾分かはマシになった雰囲気にほっと静かに息を吐く。実家をダシに使ってしまったような気がして情けないが、使える物は使って何が悪いのだと自分自身に言い訳をしていてはたと気付く。

本来ならば俺は宿に自分の友人を招くということは滅多にしない主義だ。長い付き合いの親友を自室に上げたことはあれど温泉に入れたことはないし、ましてや異性を実家に誘うということは今までたったの一度もない。なのに、俺はどうしてこんなことを軽々しく口走っているのだろう。

「うちの温泉はいいぞ!効能は疲労回復、神経痛、神経麻痺、筋肉痛、肩こり、腰痛、ストレス解消、リウマチ性疾患、健康増進、美肌効果うんぬん」
「ちょ、は?怖いんだけどどこのサイト丸暗記してんの?」
「ワッハッハ!ゴーグル先生で東堂庵 温泉 効能で調べればすぐに出てくる!ほら!」
「うざ、カンニングじゃん」
「ワッハッハ!!うざくはないな!」
「うざいよ」
「どこがだ!?」
「そういうとこ。でも温泉入りたいから楽しみにしてるね」
「うむ!

ただ、そんな俺の考えは甘かったのかもしれない。その事に気付いた時には、既にナマエは限界を迎えていたのだと思う。



その日も一つを除いては特段いつもと変わらない一日だった。

金曜日、週の終わりのHR。夏期休暇まではあと残り僅か。一日一日と長期休暇が迫るのを目前にしてクラスメイト達の表情は明るくなっていく。放課後になると担任から寮生宛に帰宅届けが配られた。全員が楽しみに待っていただろうそれを、ただ一人だけ苦い顔で見つめていたナマエの横顔だけがどうにも胸に引っかかっていた。


ロードで山を走り終え、寮に帰宅した俺はさっさと汗を流し、夕食を済ませて部屋に戻る。明日は珍しく部活が休みだ。といっても自主練はするつもりだから朝早く起きるつもりでアラームはかけた。

ナマエに電話をかけてみようか。そう思い立ち履歴を開いてお目当ての人物の名前を見つける。今日のことも気にはなったが、この行動は俺の最近のルーティーンでもある。ただナマエはいつもこの時間の電話には出ない。というより、基本俺の電話には出ない。悲しながらこの数ヵ月で学んだことの一つである。

次の日の朝、何故出ないのかと毎回本人に問うていたが決まって意図的無視だと返されるのでそれ以降本人に詰め寄るのはやめた。ただただ自分の毎日の日課のごとく、見慣れたその名前を押すだけだ。

相手のいない電話の音を数コール聞いた後、メールを送るまでが日課だ。今日もそうしよう。そうして三回を超えた呼び出し音を終了のカウントダウンとして数えていたら。

「…もしもし?」
「んっ!?ナマエか?お、俺だ、東堂だが」

まさかの声がして、慌てて携帯電話を耳に当てる。自分の声が思いの外裏返ったことには触れられないまま「うん、知ってるよ」そう返ってきたナマエの声がほんの少し、いつもと違うように聞こえたのはこれが久しぶりの電話越しでの会話だからだろうか。

「ナマエ?」
「なに?」
「いや、なんだ…珍しいな!いつもの意図的無視はどうした?」

今日もそうだと思っていたからな、声が聞こえてびっくりしたよ!なんて、言わなくてもいい事までベラベラ喋る俺に対してナマエは一瞬、何かを言いかけて、それから歯切れが悪そうに謝った。今、何を言いかけたのだろう。もしかしたら何か大切なことだったのかもしれない、と。この時の俺はどうやら妙に冴え渡っていて。

「何かあったのか?」
「え…?」
「最近、なんだ、その…元気がないだろう」

ナマエにとってはその一言が、きっとほんの僅かなきっかけになったのかもしれない。

「…帰りたくなくて、家に」
「え?」
「夏休み。帰省したくないんだ。家族と上手くいってないから」

笑っちゃうでしょ?と更に小さくなったその震えた声に堪らなくなってつい、大きな声で返した。笑うものか、と。向こう側で息を飲む音が聞こえて、ああ俺の声も同じように震えていたのかもしれないと妙に落ち着いた頭で考えた。

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