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あなたという人間がきらい



二年ぶりに訪れた真一郎くんの店で醜態を晒してから数日、俺は馬鹿なりに今後の身の振り方について考えていた。ここがたとえ自身の脳が見せているただの現象だったとしてもかまわない。俺はもう二度と同じ過ちを繰り返したくはない。

そう、あと少しでマイキーの誕生日がやってくる。俺にとって二度目である“あの日”に刻一刻と近付くにつれ、恐怖とも後悔ともまた違う妙な感情に苛まれるけれど。



普段、滅多につくことのない学習机の前で。耳元で流れるアップテンポな曲に身を任せつつ、とりあえずこれから自分はどう動くべきなのか纏めてみるかと広げたまっさらなノート。奴と向き合うこと数十分、未だ一文字も記されることのない更地をただただ眺めて一息つく。……駄目だわ、なんっも思いつかねぇ。

指先でペンを弄びながら、ただただ過ぎていく時間に焦燥する。“あの日”までもうあまり時間はない。俺はどうにかしてあの日に起こった全てを回避しなければならないというのに…今日ばかりは出来損ないの自身の脳細胞に嫌気がさした。

耳元では頭を悩ませる俺を嘲笑うかのごとく希望ばかり歌う曲が流れていく。あの頃好んでよく聴いていた歌も今となっては痛むところに爪を立てられているような、そんな気分にさせるものばかりでなんだか心が冷えていくようだった。

おそらく、俺が経験した通りの展開が“また”訪れるのなら。数日後、否応なしにやってくるのではないだろうか。一虎に連れられて向かったバイク屋の前、ショーウィンドウに飾られた真一郎くんのバブに手を伸ばす日が。……いや、勿論そんなことをするつもりは毛頭ないけど。

「…ハァ、どうすっかなぁ」

回転椅子の背凭れに思いきり凭れ、一向に働く様子のない頭を悩ませていたその時だった。

「もう、圭介ってば」
「……あ?」

するりと耳から離れていったヘッドホン。遠ざかる音楽と入れ違いに届いたのは狭い部屋に響く高めの女の声だった。俺はこの声をよく知っていた。むしろ知らないはずがなかった。

「……ナマエ?」
「そうだよ、もう何回も呼んだのに無視するから。ていうかベッドフォンの音デカすぎ、耳悪くなっちゃうよ」
「あー…うん」
「それより何?どうすっかなぁって。珍しく悩み事?机なんかに座っちゃってさ…え?まさかとは思うけどもしかして勉強してた?うわぁ、明日雪降ったら圭介のせいだかんね?」
「…うっせぇなぁ、雪なんか降るかよ。夏だぞ今」
「あは、それもそうだ」

俺のヘッドホンを手にけらけらと笑い声を上げる目の前の女。ミョウジナマエ。小6の春、この団地で出会った彼女とは当初なかなかソリが合わずそれはもうバチバチな関係にあった。気が強くて意地っ張り、何かにつけて突っかかってくる全然可愛くねー女。

だが絶対的なその印象はいつしか酷く生温いものへと変化していた。気付けば俺の心のど真ん中、一等大事な場所にふてぶてしく居座るナマエのことをどうしようもなく好きになっていたから。

「圭介?どしたの、難しい顔して」

不思議そうな顔で「熱でもあんの?」こちらの気持ちなど露知らず、無遠慮に伸びてきた手が額に触れる。柔く温かな掌に心臓が一瞬だけ跳ね上がった気がしたけれど努めて冷静に振る舞う俺に彼女が言う。「なーんて、まさかね…馬鹿は風邪引かないっていうし」再びあの笑い声を上げた後でふっと、穏やかな笑みをたたえたナマエ。

緩く下がる目尻、そこから覗く色素の薄いビードロのような瞳をぼんやりと見上げて、何故か。すとんと失くしていた何かが綺麗に収まったような気がした。

「あのさ…」
「うん?」
「お前、もしさ…俺が盗みとか、そーゆーことしようとしたらどうする?」
「は?何それどういうこと」
「いやただの例え話だけど、お前ならどーすんのかなって」
「そんなん、殴ってでも止めるに決まってんでしょ」
「そっか…うん、そうだよな」
「何よ急に」
「いや、なんでもね」

呆れ返ったように、けれど断固として言ってのけたナマエに背中を押された気がした。俺は何をぐだぐだと思い悩んでいたんだろう。そうだ、止めればよかったんだ。駄目なことと知りながら流されて一生消えない罪を背負わせるくらいならあの時殴ってでも、殴り合ってでも止めればよかったんだ。……それが例え、互いを分かつことになろうとも。

「ナマエ」
「なに?」
「ありがとな」
「え、何が?」

意味が分からないと首を傾げたナマエの頭をひと撫でして立ち上がる。よし、そうと決まれば行くしかない。畳の上に無造作に放っていた携帯を拾い操作し始めた俺の背中に向かって落とされた「は?え?なん、頭でも打った…?」なんて小さく聞こえた彼女の声に対してはまたの機会に弁明させてもらうとしよう。



「どーしたんだよ場地、急にこんなとこ呼び出して」
「あーまぁちょっとな」

訝しげに眉を寄せた一虎に曖昧に返しながらいつも集まる神社の石垣に並んで腰掛ける。さて、どうやって切り出すべきか……。

一虎がマイキーの為にとあのバイクに目をつけていることは“知って”いる。けれど俺はまだ本人から直接その話を聞いたわけでもない上にここ最近は一虎とあまり行動を共にしてはいなかった。

というのも実は少し、ほんの少しだけ…もしものことを考えて避けていたというのが本音だった。おそらく一虎があの話を持ち掛けるのは東卍の中で俺しかいない、そう思っていたから。みんなとそれなりに仲良くやっていても一虎にとって一番の親友は俺で、その逆もまたそうで。だから……

「…なぁ、一虎」
「うん?」
「もうすぐさ、マイキーの誕生日だな」
「っそうそれ!俺さ、ずっと考えてたことがあって!場地に言おうと思ってたことがあんだけど」
「ああ」

途端に輝いた表情と上擦った声。ああやっぱりか…と落胆にも似た感情が押し寄せる中、嬉々として一虎は続ける。マイキーの誕生日、バブを贈ろう。いい店知ってんだ。そう言って無邪気な笑顔を覗かせて。

「場地も見たら絶対気にいるって!めっちゃかっこいいんだぜ!」
「へぇ、つか贈るってどうやって?」
「そんなん決まってんじゃん盗むんだよ」
「…盗む?」
「そっ!俺ら中坊がバイク乗るには先輩から譲ってもらうか盗むしか手はねーじゃん?」

なぁ一緒に行ってくれるだろ?場地!

一切の曇りも知らないと言いたげな…いっそ清々しいほどに純粋なそれを俺は今からぐちゃぐちゃにする。不安定で脆い一虎の心をもしかすると壊してしまうかもしれない。……それでもやらなきゃならない。だって一虎は俺の大事な仲間で親友だから。

「悪ぃ、それ俺行けねぇわ」
「…え?」
「散々碌でもないことばっかしてきたけどさ…オフクロのこと、もう泣かせたくねーんだ」

その言葉を聞いて酷く傷付いたような顔をした一虎に向けて無理矢理笑みを浮かべてみせる。ごめんな…でもこうでもしなきゃ、きっと俺は一生自分を許せないから。なぁ一虎、俺のことは許さなくてもいいからさ。

「マイキー喜ばす方法なんて他にいくらでもあるだろ?だから、だからさ…そういうの、もうやめようぜ?一虎」

揺れるその男の瞳を真っ直ぐに見ていたつもりだった。あわよくば伝われと願ってすらいた。けれどそれはいつしか逸れ、ずるずると素知らぬ方向へと落ちていく。ついにこちらへ戻ってくることはなかった一虎の双眸は温度のない石畳へと注がれて「…なんだよ」小さく漏らされたその言葉を最後に俺たちは決別した。

肩を落とし、のろのろと神社の階段を降っていく一虎の小さな背中を俺は見えなくなるまで見送っていた。きっと数日中に起こるのであろうその日に備えて俺は一人、心の中で奮起する。きっと最後までプランはゼロだ。けれど確かな想いだけはここにある。

一虎…俺の大事な親友。もう二度とお前を犯罪者になんかさせねぇよ。