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ひとしれず春になる



※続きものの為、前話からどうぞ
綺麗な嘘で、言葉を紡ぐ
ちんぷんかんぷん ましろさま



ああ、嫌だ。思い出したくないことばかり頭を巡る。

グラスの中、揺蕩う氷を見下ろして溜め息を吐いた私に「あーあ、幸せ逃げちゃうよ」なんて残り少なくなった枝豆を摘みながら友人が言う。……大丈夫、幸せなんてもうとっくに逃げてるから。

「私さぁ、なんであんな人好きだったんだろ…見る目ないよねぇ」
「まぁ、昔から男運だけはないよねぇナマエって」
「いやそこ普通慰めるとこじゃない?酷いね本当に友達?」
「うわ〜面倒くさ〜」
「面倒くさい!?」
「てかさ、同じようなやり取り何回したと思ってんの?」

あー今日はもうお酒禁止!これは没収します!そう言って友人の手によりあっさりと手元から消えていったグラス。大粒の結露が二人掛けの小さなテーブルに染みを作っていく姿をのろりと見つめて、まだ半分以上残ってるのにもったいないなぁ。どこかぼんやりしながら強奪者を睨めつけた私に突き付けられる「はいはい、八つ当たりしないでね」もっともな正論。彼女の言う通りこれは完全な八つ当たりである。分かっている。分かってはいるけれど。

「だって…忘れられなくて」
「…ナマエ」
「思い出すだけでも腸煮えくり返る。一発くらい殴ればよかった」
「あ、そっちね」

そう、彼と決別して数ヶ月が経った今でも私はあの日の屈辱を忘れられずにいるのだ。

生まれてこの方、乗ったことはおろか目にしたこともないような高級車。きっとこの先も一生入ることはないだろうハイブランド店と非日常。けれどそれすら凌ぐほどの肩書を持っていた彼はずっと私のことを騙していた。

信じていたものが全て虚構で塗り固められたものだと明かされた時、胸に宿ったのは泣きたくなるくらいの失望とそれから羞恥だった。

私とは違う特別な人。世界を股にかける伝説的なヒーロー、オールマイト。そんな彼と共にいるのが大した個性も持たないただの庶民ではそもそも釣り合いなんて取れる筈がなかったのに。

「ほんと…惨めだなぁ」

言ったっきり落ちた沈黙。言葉を探しているのか、困った顔でこちらを見ている友人に「ごめん、切り替える」アルコールのせいで火照った身体を醒ますべく一気に冷水を煽り深く息を吐き出して。

「…よし決めた、今度こそ良い人見つけるわ」
「ん。じゃあ私ナマエの為に合コン企画するよ」
「ほんと?理想高くてもいい?」
「いいよ、譲れない条件ある?」
「んーまずは将来性のある人かな。大学院卒、年収は800万以上あって…あ、老後ひとりは嫌だから健康な人がいい。あと結婚願望もあって子供好きで絶対嘘吐かないってのも追加で」
「……」
「冗談だって、引かないでよ」

特異なものでも見るかのような視線に耐えかねてそう零せばほっとしたように息を吐いた彼女。そりゃ、理想を上げ出したらキリがないけどさ?

「ごめん、やっぱり合コンはいいや…まだそういう気力が湧かないことに気付いた」
「まぁそうだろうとは思ってたよ」
「え?どういうこと?」
「だってナマエ、なんだかんだ言いながらその彼の事まだ好きじゃん」

そういえば彼とよく訪れていた大衆居酒屋の一角で。呆れたように、けれど確かな自信をもって落とされたその言葉に唇を噛みつつも結局最後まで何も言い返せなかった私。抱く理想に一つも掠らないあんな男のどこが…そこまで考えて、何故か無性にむなしくなって。もう氷しか残っていない手元のグラスを傾けた。



彼と別れてから一年が経とうとしていた、蒸し暑い夏の夜のことだった。友人である彼女が零したあの言葉をここまで必死に思い出さないようにしてきたことに理由はないけれど。いい加減新しい恋でもするかな、なんて妙に前向きな夜に事は起こった。

お風呂上がり、突如入った緊急速報。敵による神野区破壊をまざまざと映し出す自宅のテレビに視線をやりながら「やば…」なんて乾いた声を漏らす。至る所から立ち昇る黒煙、逃げ惑う人々、現場の状況を緊迫した声で伝えるキャスター。流れる映像をどこか他人事に眺めていたその時だ。

「 ─────現在オールマイト氏が元凶と思われる敵と交戦中です!」

その名前を聞いた瞬間、弾かれたように画面へ一歩近寄った。ドクドク、うるさいくらい鳴り響く心臓と背中を流れていく冷や汗。この一年、彼の名前を聞かない日も姿を見ない日もなかった。いつだってテレビの向こう側、私の知らない貴方の姿がそこにはあったから。

「っ!俊典、さ…」

けれど一瞬だけ晴れた黒煙の先にいたのは私のよく知るあの人だった。記憶に残る姿よりも随分と痩せこけて全身血だらけのボロボロで。今にも倒れてしまいそうなほど弱々しい出立ち。誰がどう見ても劣勢だろうに、それでも彼の瞳だけは決して輝きを失ってはいない。

青く澄み渡る空みたいな色。かつてそこに当たり前の顔で映っていた自分のことを思い出して胸が詰まる。

平和の象徴、オールマイト。誰もが彼を称え焦がれ助けを求めた。そんな思いに彼は今、必死に応えようとしている。たとえ自身の身体が限界を迎えても、秘匿が漏れても…命さえも賭けて。誰かを救わんと戦い続ける彼の、八木俊典という一人の男のことが未だにどうしようもなく好きなのだ私は。

いてもたってもいられず飛び出した部屋。とはいえ、この状況で身動きが取れるわけもなく。夜が明け尚も人でごった返す最寄り駅の大きな液晶の前、勝利を収め、方々から歓声を受けるその姿を見つめながら震える手でメッセージを送った私はひとまず彼の無事に安堵して。

数時間後に掛かってきた一年ぶりの電話越し、涙声でされた謝罪と会いたいと漏れた小さな声に我慢していた筈の涙が溢れて止まらなかった。