※場地家については諸々捏造
明日はとても大切な人の誕生日。年に一回この日だけは必ず定時で職場を去って、昔からあるあのケーキ屋で彼が一番好きだったケーキを買うのがお決まりだった。就職と共に実家を出て移り住んだ1Kの部屋。一人暮らしにはちょうどいい広さのそこで、彼の為に買ったケーキをテーブルに広げ蝋燭をさし、火をつける。
真っ暗な部屋でゆらゆらと唯一光を灯す火を見つめながらいつの間にか薄ぼんやりとしか思い出せなくなってしまった彼の笑顔を瞼の裏に映す。「ナマエ」擦り寄ってきた野良猫を抱きあげてこちらを振り返り弾んだ声で私を呼ぶその人は、
「…圭介、誕生日おめでとう」
もうこの世のどこにもいない。
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私がその人と初めて会ったのは小6の春。我が家の玄関前で隣の部屋に越して来たのだと手土産片手に挨拶をしてくれた美人なお姉さんとその後ろで不貞腐れた顔を浮かべる少年。そう、その少年こそが圭介だった。
美人なお姉さんはバジです、そう名乗ると自身の母と楽しげに立ち話を始めてしまう。息子が、娘が、そんな話をしあう二人を見て、目の前の美人なお姉さんが後ろにいる彼のお母さんなのだと理解したところでこれ以上大人の話にはついていけないとちらり、未だ面白くなさそうな顔で佇んでいる彼の方へと視線をやれば。
「…んだよ」
不機嫌そうに放たれた、少し低めの声。声変わりがまだ完全に終わっていないらしい少年と大人の間の声。なんか…いいな、かっこいい。大人というものに漠然とした憧れを持っていたからか、不思議と惹かれた彼に向かって手を差し出して。
「えっと、初めまして、ミョウジナマエです。あなたは?」
「フン」
「…は?」
これでも私は思春期真っ只中だ。お年寄りや赤ちゃん以外の異性相手にどう接すればいいのか悩むお年頃だし、自己紹介なんて死ぬほど恥ずかしいことは出来ればしたくないと常々思っている。けれどどうせならお隣同士仲良くしたいと勇気を振り絞って友好的態度を示したというのに鼻を鳴らして無視するなんてあんまりじゃないか。だめだ、出会って5秒しか経ってないけどこの先仲良く出来る気がしない。
「挨拶も出来ないんだ」
「…あ?」
ぽつり、漏らした不満に彼が食い付く。射殺さんばかりの視線が飛んできてちびりそうになったがここは絶対負けない。こう見えて負けず嫌いなのだ、私は。
バチバチと散る火花。そこに言葉は必要ない。今にも喧嘩に発展してしまいそうな睨み合いを続ける子供たちの雰囲気に勘付いたのか、談笑しながらもこちらを見下ろした母組は何を思ったか「ナマエ!」「コラッ!圭介!」とそれぞれの子に強烈な拳骨を落とすことで勝手に喧嘩両成敗とした。普通に解せない。
とまぁそんな出会いではあったけれど母同士の交流があれば自然と子供たちも仲良くなるようで。お隣さんになって一年経つ頃には圭介も私もいつしかお互いを名前で呼び合い、部屋を行き来し、まるでずっと昔から一緒にいるかのような遠慮のないやり取りを交わす程には距離を縮めていた。
圭介は世間でいう不良だった。家で私に見せる顔とはまったく別の顔を持っていて、喧嘩に明け暮れては全身ボロボロで帰ってくることも少なくはなかった。おばさんはそんな圭介を見る度に泣いて、最後には拳骨を落とした。容赦なく落とされるそれに痛がって涙を浮かべる圭介が少しだけ可哀想だと思ったこともなくはない…自業自得である。
私はそんな圭介をいつも呆れた目で見ていたけれど特攻服に身を包みバイクに跨る彼は誰よりも輝いて見えた。
圭介はとにかく勝手な男だった。
「カッケーだろ、触ってもいいぜ」そう言うなり、別にいいと首を振った私に無理矢理バイクのボディを撫でさせて「羨ましいだろ?こいつに乗ればどこにでも行けんだ」と自慢げに語った。そして最後には、
「いつかナマエも乗せてやる。俺がちゃんと免許取ったらな」
じゃないとおばさんに怒られっからさ、照れ臭そうに笑いながら差し出された小指を見つめた私に言ったのだ。
「約束な」
その笑顔を見た時、ようやくこの気持ちに気付くことが出来た私はけれど少しだけ遅かったのかもしれない。
「…圭介、明日引っ越すんだってね」
「…ああ」
中1の夏、彼は友人と共にバイク屋に盗みに入り…そこで取り返しのつかないことをしてしまったらしかった。実際に手を下した友人は少年院行き、圭介は保護観察処分となったもののもうここにはいられないとおばさんが母に涙ながらに話すのを聞いた私は引っ越しの前日の夜、彼を呼び出しお互いの部屋の前から伸びる階段に腰掛けると隣に並んだ。
「そっか…寂しいな」
夜の団地に響いてはいけないと静かに吐露した私に圭介は何も言わなかった。けれどしばらくして俯いたまま小さな声で「ごめん」と言った。それが何に対しての謝罪なのか…私は未だに分からないままだ。
翌日引っ越していった圭介。同じ東京に住んでいる限りまたいつでも会える、そう信じていた。けれど連絡先の交換もしていなければ地区も学校も違うとなかなか会うことは叶わず。圭介が越して行ってから約一年後の秋の終わり、ようやく会えたと思ったら彼は棺の中で穏やかな顔をして眠っていた。もう二度と会えないところへいってしまった。
「…酷いよ」
話したいこと、聞いてほしいこと、まだまだたくさんあったのに。置いて行っちゃうなんてあんまりじゃない。ねぇ圭介は知らないでしょ。私ね、圭介のこと……
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はっと意識が戻った時、何故か私は自宅にはおらずケーキ屋の前で四角い白い箱を大事そうに抱えていた。箱の上部に貼られたシール印字にはお早めにお召し上がりくださいという一言と賞味期限である11/3の文字。
夢でも見ていたのか…一体どれが、どこまでが夢なのかは分からないけれどキラリと光った左手の銀色をぼんやり見つめていたら。
「ナマエ!」
聞こえたその声に導かれるように顔を上げる。辺りを見渡せば道路を挟んで向かい側、こちらに向かって歩いてくる見覚えのある男が笑顔で手を挙げた。それにどう応えていいか分からず呆然と見つめていれば不思議そうに首を傾げた彼は信号が青に変わるなり小走りで目の前までやってくる。
「おい、さっき呼んだの聞こえてねーの?」
「…圭介?」
「ん?なんだよ」
つか髪にゴミついてんぞ、そう言って笑った彼が私の頭に触れた瞬間、どっと涙が溢れた。何故だろう。理由は分からない。だけど、悲しくて辛いあの夢はもう二度とごめんだとそう思った。
「は!?急にどした!?」
「圭介、私…私ね…っ」
突然ボロボロと涙を溢し、腕の中のケーキの箱をそっと抱き締めた私に圭介は「どっかいてーのか!?」「誰にやられた!?」と傷でも確認するかのように手当たり次第私の頭や肩を触りだす。
「違う…」
「は?」
「私、ずっと圭介に、会いたかった」
「ずっと会いたかったって…俺ら毎日一緒にいんじゃん」
「ん…」
「ほら泣きやめよ」
伸ばされた袖でごしごしと目元を拭われ「いた…メイク落ちる…」涙声で零した私に「はー?文句言うな」そう言って。
「バイクあっち停めてっから」
歩き出した彼が私の腕からケーキの箱を奪う。この辺駐車禁止とかだりーよなー、ぶつぶつ文句を垂れながらも後に続いた私の手をちゃんと取り握った圭介が弾んだ声でこう言った。
「俺の好きなやつ、買ってくれた?」
ケーキの箱を持つ左手には私と同じシルバーリングが光っている。なぁ、聞いてる?不機嫌そうにこちらを覗き込んだ世界で一番大好きな人に「当たり前じゃん」そう返して。
「蝋燭もちゃんと買ってきたよ、3と1のやつ」
「いらねー」
「なんで」
しっかりと手を握り合って帰ろうか、私たちの家に。
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