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黒川イザナは未来を視る


※パラレルワールド設定
※関東事変イザナ→どこかの未来のイザナ




血溜まりの中に倒れる俺がいた。眠っているというのに目は開いたまま、なんなら息もしておらずなるほどこれが所謂永遠の眠りというやつか、なんてどこか他人事に俯瞰した。

死ぬことを怖いと思ったことなど一度もなかった。それよりももっと恐ろしいのはあると思っていた幸せが突然なくなってしまうこと。



「イザナ」

つい最近まで当たり前のように俺の隣で笑っていたその女は一人暮らし用の狭いワンルームの隅っこで呆然と涙を流していた。弱々しい声と何かが抜け落ちた表情でぼんやり虚空に視線をやるナマエは目の前に立つ半透明な俺には気付かない。

「イザナ…どうして、死んじゃったの」

青白い肌、やつれて覇気のない姿。あの頃の面影は微塵もない酷く痛々しい彼女を見て胸に鈍い痛みが走る。

お前、俺の前だといつだってヘラヘラ、バカみてーに笑ってたじゃん。

ついさっきまで物言わぬ何かに成り果てた自分を見下ろしていた筈が一転、見知ったその部屋でそれなりに大切だった彼女の泣き顔を前にどうすることも出来ず息を吐く。

「イザナ……っいざな、」

…呼んでも無駄だよ。俺、死んじゃったもん。

「…ど、して、どうして、私のこと置いてっちゃったの」

いや、まぁ、俺も死ぬとは思わなかったんだけどさ。

「っずっと、一緒だって言ったのに…」

……言ったっけ。

「ばか、嘘つき…っあいたいよ」

……ごめん。

絞り出すように漏れた悲痛な声を聞いて自分がもうこの世のものではないことも忘れ小さなその身体に手を伸ばす。

こんなことになるならあの日、もう一度彼女を抱きしめておけばよかった。変に意地を張らず、好きだよって。俺がいなくなっても泣くんじゃねーぞってそう言っておけばよかった。

当たり前のようにすり抜けていった両手を虚しく眺める。実体のないこの手では抱き締めることはおろか彼女の温度を確かめることすらままならない。

…そっか、死ぬってこういうことなんだ。

半透明な自身の手のひらを握り込んで開いて、ようやく実感する。失ったものの大きさを。

ナマエの笑った顔が好きだった。

「イザナ」俺の名前を呼ぶ柔らかな声も、無遠慮に触れてくる小さな手も何もかも。彼女のすべてが特別だった。笑っていてほしかった。泣かせたくなかった。出来ることならずっとそばにいたかった。いてほしかった。

ああ、そんなの今更だよな。

なあ、もし…もしも、いつかまた会えたなら…その時はちゃんと言うよ。お前のことが好きだって。

だからどうかもう一度――…




「ん…」

全身を襲うまとわりつくような気怠さに何度も寝返りを打った後でようやく重たい瞼を押し上げる。カーテンの隙間から入り込む朝日が眩しくて、無駄な抵抗と知りつつ布団を頭まで被るとふわりと鼻腔を擽る甘いにおい。

無性に食欲を唆られるそのにおいにつられるように、薄っすら沈みかけた意識が浮上する。

……ああ、腹、減ったなぁ。

微かに聞こえる作業音と匂いを頼りにたどり着いた場所。二人暮らし用のやや広めのリビングの向こう側。カウンターキッチンのその奥に目的の彼女の姿を見つけてのろのろ歩を進める。

そいつは鼻歌なんか歌いながら小鍋を覗き込み、時々ゆっくりと中身をかき混ぜていた。

今日の朝飯はなんだろう。

一歩一歩近付く俺に気が付いて顔を上げたナマエは「あれ?もう起きたの?今日は早いね」と柔和な笑顔を浮かべる。

「うん…腹減って目が覚めた」
「ふふ、そっか。おはよ、イザナ」
「…はよ」

もうすぐ出来るから顔洗ってきたら?そう言った彼女に気のない返事をして進められていく作業を眺める。小鍋からふたつのマグカップの中へ、ゆっくりと注がれていくスープ。コーンポタージュだろうか。

すん、鼻を鳴らしにおいを確かめた後でお玉を持つエプロン姿のナマエへと視線を移す。注ぎ終えたらしい小鍋をコンロの上に戻し、突っ立ったままの俺を見て「どうしたの」穏やかに問うその声にふと溢れた。懐かしいなんて気持ちと今言わなくちゃ、なんて強い強迫観念。

…おかしいな、毎日一緒にいる筈なのに。俺…どうしちゃったんだろう。

「イザナ?」

そう思ったのはどうやら彼女も同じようだった。何も言わず真横に立った俺を不思議そうに見上げたナマエは目が合うと途端に何かを察したように、持っていたお玉を空っぽになった鍋の中へ滑らせ両腕を広げた。まるですべて分かっているとでも言いたげに「ほら」なんて目尻を下げて。

「…なにそれ」
「ふふ、おはようのハグだよ」

きて。甘い声に誘われ、招かれるようにナマエの身体に寄りかかる。背中に回されたその手がリズムよく滑っていくのをどこか夢心地に享受していると耳元で小さく笑う声がする。

「起きて、朝だよ」

ぎゅっと強く俺の身体を抱き締めたナマエが「イザナはねぼすけさんだね」なんて陽だまりのように温かな声を落とす。甘いにおいに釣られるようにその首元に擦り寄って深く息を吸えばじわじわ緩んでいく涙腺。

「…なぁ」
「ん?」
「好き」
「…ふふ、今日はほんとにどうしたの?」

照れたようにそうこぼしたナマエは震える俺の身体にも声にも触れず、酷く優しい声でこう続ける。

「私も好きだよ、だーいすき」

耐えきれず溢れた涙も彼女は見ないふりをしてくれる。代わりに慰めるように背中や頭を撫でながら「今日の朝ごはんはフレンチトーストだよ」「イザナ好きでしょ?」ってこれから食卓に並ぶのであろう自身の好物の話をする。

「うん…好き」
「美味しくできたの、一緒に食べようね」
「うん」

今度はちゃんと言えた。突然頭の中に降って沸いたように響いた誰かの声にそっと頷いて腕の中の愛しい人をさらに強く抱き締める。

「もう、苦しいよ」

呆れたような彼女の声をおざなりに聞き流す。ほんの少しだけ切なくて幸せな、とある朝の出来事だった。



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