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黒川イザナと恋人未満


※天竺登場から一年前の設定



「ただいまぁ」
「おかえり、今日早いね」
「うん…しんどくって、残業せずに帰ってきた」
「へぇ」

疲れたぁ、ソファに雪崩れ込み今日一日の疲れを吐き出した私を横目で見たイザナが徐に立ち上がる。ぺたぺたなんて可愛い足音を立ててキッチンへと消えて行った彼はしばらくして缶ビール片手に戻ってくる。ちなみにもう片方の手にはおつまみが乗ったお皿を持っていて、ソファの前のローテーブルに置くと寝転ぶ私の手を引いた。

「ん、ほらビール飲めば」
「はぁぁありがとう…ッカー!ビールうま!最高!大好き!」
「…調子いいんだよ、おっさん」
「はぁ?せめてそこはおばさんにしてくんない?性別超えんじゃん。…んーこれおいしい!イザナ作ったの?」
「うん、適当にね」
「へぇ、すごいねぇ。もう私よりも料理上手じゃん」
「だってナマエ下手だし」
「どーせ下手ですよぉ。でもさ、本当こんだけ上手かったらイザナはいつでもお嫁にいけるね」
「なにそれ。ナマエ、俺のこともらってくれんの?」
「…うーん、18歳超えたら考えなくもないかな」
「んだよ流しやがって」
「あーもう拗ねないでよぉ、いーちゃん」
「その呼び方きらい」
「なんで、こんなに可愛いのに」

色素の薄い髪の毛を揺らし、わざと勢いをつけて私の隣に座り込んだ彼は拗ねたような顔をして腕の中にクッションを閉じ込めた。お酒が少しばかり入って上機嫌な私はまるで小さな子供を宥めすかすかのようにイザナを胸の中へと招き、何度もその頭を優しく撫でる。そうすると幾分か表情を緩めたイザナが言う。「ナマエはいつも俺を子ども扱いする」ってほんの少しだけ、不服そうに。

「だっていーちゃん、私より7つも年下だし」
「そんなん、大して変わんねーじゃん」
「未成年だし」
「…もうちょっとで18だし」
「ふふ、そうだね、分かってるよ」
「…ナマエのばか」
「うんうん、ナマエは本当ばかだねぇ、こんなに可愛いいーちゃんをいじめてねぇ」
「うっざ、酔っ払い、近寄んな」
「えーまだ酔ってないしそんなこと言わないでよぉ。こーんなにイザナのこと好きなのにさ私」
「…ほんと?」
「ほんと」
「どこが好き?」
「んー全部」
「ふーん…じゃあいいよ、このままで」

満足したようにそう言うと彼はクッションに身を預け、抱き着く私にされるがままでテレビを観始める。出会った頃はそれこそ拾いたての子猫のように、見るもの全てを威嚇し傍に寄ることさえ許さなかったというのに。月日というのはまったく恐ろしい。

自身の短い腕の中にすっぽりと簡単に収まってしまう、無垢な瞳を寄せる目の前の少年のことが可愛くて仕方ない。けれどこの関係に未だに名前をつけることが出来ないのは多分、私がとんでもなく臆病者だからだ。

「ねぇ」
「ん?」
「…ううん、なんでもない」
「ふーん」

名前を呼ぶと少しだけ首を傾げて私を見上げる、その仕草が好き。

イザナの肩に頭を預けると、テレビに視線を戻した彼の手が暇つぶしのように私の髪の毛を弄ぶ。「髪伸びたね」無感動に発せられたその声に同意しながらふと彼と出会った日の、あの瞬間を思い出す。

降りしきる雨の中、イザナは全身ずぶ濡れで静かにそこに立っていた。異様な光景にも関わらず、誰もが見て見ぬふりで通り過ぎていく。絶望しか映していないような瞳で空を見上げるその姿を見ていられず、気付いたら彼の手を取り引いていた。このまま放っておいたらきっとどうにかなってしまう、そんな危うさが恐ろしかったのと、ほんの少しの偽善と。それから単に顔がタイプだった。理由なんてそれだけで十分だった。

しばらくして年齢を聞き腰を抜かしかけたのは今でもいい思い出だ。下手したらかどわかしと思われてもおかしくないことをしてしまったな…とつい遠くを見てしまうが、いつの間にか穏やかな表情で我が家に居ついた彼を見て、決してあの日の選択は間違っていなかったのだとほっとした。

「ねぇ、イザナ」
「ん?」
「明日暇ならさ、一緒に買い物行かない?なんか買ったげる」
「うん、それはいいけど…なんで急に?ボーナス出た?」
「まぁそれもあるけど、イザナ、もうすぐ誕生日でしょ。ちょっと早いけど18歳のお祝いしようよ」
「…いいの?」
「うん、いいよ。なんでも好きなもの一つだけ買ってあげる」

そう言うときらきらした目を向けたイザナだったけれど、一瞬何かを逡巡するように視線を彷徨わせると「くれんのは物だけ?」と窺うように私を見た。彼は分かっている。私がその顔にめっぽう弱いことを。

「まぁいいけど…何が欲しいの?」

もしかして私の名字?冗談半分で言ったにも関わらず、それを聞いた途端イザナは一等目を輝かせて「くれんの?」なんて言う。まったく恐ろしい子だ。それがどういう意味を持つのか、彼は分かって言ってるのだろうか。

「いやいや…え?本気?」
「うん。あ、でも別に俺の名字あげてもいいよ。ナマエはどっちがいい?」
「ん?これ誕プレの話だよね…?そもそも私たち付き合ってないし、結婚は違うんじゃないかなぁ」
「なんで?付き合ってないと結婚出来ないの?」
「うーん…出来ないというか、しないんじゃない?」
「ふーん…じゃあ付き合ってよ」
「は?」
「で、俺が18になったら結婚する」
「いや…え?」
「つーわけで今日からナマエ、俺の彼女な」
「ええ…うーん…」
「なに、俺と付き合うの嫌なの?散々俺の身体弄んどいて?」
「ちょ、人聞き悪いこと言わないでよ…そりゃイザナのことは好きだよ?でもさ、この関係に名前をつけるのが怖いの」
「どういうこと?」
「だって、いつか終わりがきちゃうから」
「はぁ?」

意味が分からない、そう言いたげな顔をしたイザナについ「そうなったとき、辛いもん」なんて子供染みた言い方をしてしまう。するとしばらくして呆れたように笑ったイザナは「言ったことなかったけどさ」と彼にしては妙に頼りなさげな声で私の手を取って、まるで不安を拭い去るみたいにゆっくりと指の腹で手背を撫でた。

「俺、孤児でさ。つっても昔は母親と妹と一緒に住んでたし、アニキもいたけど……でも、結局誰とも血は繋がってなかった。そんとき思い知ったんだ、俺はこの世界にひとりきりなんだって」
「…イザナ」
「でも、ナマエと結婚したら…血は繋がってねーけど家族だろ?」
「そう、だね」
「もしそうなれたら、俺…もうひとりじゃないかな」

淡々とそう漏らすイザナを見て、私の中の何かが音を立てて崩れていく。終わるのが怖いから、なくなってしまうのが怖いから。今あるものを失うかもしれない、そんな不確定で小さな恐怖なんて目の前の彼が抱えている深い孤独に比べれば取るに足りないくだらないものだ。

「…うん、そうだよ、ひとりじゃない。私がイザナの家族になったらきっと、ずっと、死ぬまで一緒だよ」
「そっか…だったら、嬉しいなぁ」

私の陳腐な言葉で彼の心が救われるとは思わない。けれど本当に嬉しそうな顔で「死ぬまで一緒か」なんて笑った愛しいこの人の傍にいられるなら、名字でもなんでもあげてしまうんだろう。何故なら私はこの子のことが可愛くて大好きで仕方がないから。


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