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羽宮一虎と巡り合う


俺はその夏、奇妙な出来事を体験した。後にも先にもこの一度だけ。もしも体験していなければ、俺は彼女と一生を添い遂げることはなかったかもしれない。





それは中学三年の、ある夜のことだった。集会帰り、帰路を辿っていると静まり返った公園のベンチに一人の女が座っていた。横には白いコンビニ袋。こちらに背を向け、ガサゴソとその中身を弄っていた女はお目当ての物を見つけると「これだよこれ」と薬でもきめてんじゃねーのって声で楽しそうに笑う。…うわきめぇ。

これがもし男だったなら、後ろから飛び蹴りをかまし「きめぇんだよ、二度とこの辺うろつくな殺すぞ」くらい言っただろう。しかし相手は仮にも女だ。そこまでするのも気が引けた。なので何も見ないふりをすることにしてその場を通り過ぎる。通り過ぎて、何故か。妙にその女のことが気になった。

小さく見えるその背中を振り返ってまで視界に入れるなんてどうかしている。気付けば立ち止まっていた足はやっとのことで動き出すのだが、それはもう帰路へは向かっていなかった。

「…こんなとこで一人、何してんのおねーさん」

一人きりの女に近付けば、そいつは徐に振り返った。あの声からして相当キマっているに違いないと踏んだが、不思議そうな顔で俺を見上げたそいつは僅かに頬を赤く染めただけの普通の女だった。初対面の相手と目が合っているというのに、そいつは強そうな名前の缶チューハイを一口煽ると、ああいたの?くらいの反応をする。

「婚約者…いや、彼氏にふられたからさ、やけ酒してるの」

言葉だけ聞くとあっけらかんとしているのに、言うなり泣きそうな顔で笑ったこの女に俄然興味が湧く。それと同時に既視感を覚えて、その正体を探る内に気付いてしまった。こういう顔をする女に限って、自分の最善を他人に押し付ける。弱いふりをして気を引いて、結局は自分のいいように操ろうとする。こういう女を俺はよく知っていた。何故ならずっと身近で見てきたから。そう、だから嫌いだ。汚くて反吐が出る。笑えなくなるくらいまで叩きのめしてやりたくなる。

「ふーん?なんでふられたの」
「うーん…なんでかな。一緒にいるのが辛かったのかもしれないね」
「辛いって?おねーさん、なんかしたの」
「…どうかなぁ、そうかもしれないし、そうじゃないのかも」
「何それ、意味わかんね。そいつさ、どんな男?金持ち?優しい?おねーさんのタイプだったの?」
「君、人がふられたってのにめっちゃ楽しそうじゃん…私なんかのことそんな気になる?」
「うん、俺おねーさんみたいなタイプの女嫌いなんだよね。鼻につくっていうか。だからどうせなら今以上に絶望してくんねーかなーみたいな?」
「うわぁ…病んでるなぁ、最近の中学生は。私が酔ってて良かったね、素面だったら今の言葉に泣いてたよ多分」
「は?そんなのどうでもいいんだけど。つーか早く帰りたいからさ、どんな男だったのかだけ教えてよ」
「まったく勝手な子だなぁ。うーん…どんな男だったか、ね…まぁ多分お金持ちではなかったと思うけど、普通に生活出来る分は稼いでたんじゃないかな。後輩の子が起業してて、そこで働いてたよ。あと君みたいに可愛い顔してとっても口が悪かった。手を出されることはなかったけど、喧嘩した時とかまぁ酷かったよ言葉遣いが。昔ヤンチャしてたとかでさ、煽る煽る」
「…ふーん、なんかつまんなそうな男だね。どこが好きなの、そんなやつの」
「うーん、どこだろう…分かんないなぁ」

女は感情のない声音で淡々と漏らすと、また一口、酒を呑み込み長く息を吐いた。風に乗って漂うアルコールのにおいに眉を顰める。

「酒くせぇ」
「あーごめんごめん、これ4本目だからさ、だいぶ酔いきたぁ。度数高いんだよねこれ」
「いや知らねーし」
「さて、ここで問題です。元彼は別れ際、私になんて言ったでしょう。選んで答えよ」
「…は?急に何?怖いんだけど」
「その1、お前のこともう好きじゃなくなった。その2、俺じゃお前のこと幸せに出来ないと思う。その3、もっとまともな奴と一緒になれ。さぁどれでしょう」
「……」
「三択だよ、簡単じゃん。ね?選んでよ」
「めんどくせぇな…じゃあ1」
「ぶぶー正解は全部でしたー」
「あ?くそうぜぇな」

何が楽しいのか、けらけら笑い声を上げたその女はまた一口酒を煽り「あーつら」と笑った。全く辛そうに見えないがさっきから酒を呑むペースが上がっているところを見るとそれなりに絶望を味わっているらしい。いい気味だとしか思わないけど。

しかし、思えば俺はどうしてこんなに見ず知らずの女なんかに自分の時間を割いているのだろう。途端に馬鹿らしくなってきた。眠いし。

「なんか飽きたなーおねーさんの相手すんの」
「あ、そう?私は楽しいよー君と話せて」
「そんなのどうでもいいよ、俺帰るね」
「ふーん、じゃあまたね」
「うんバイバイ」

またね、そう告げられた声に特段なんの感情も湧かなかった。いっそ清々しいほど最初の興味は失せていた。今度こそ女を置き去りにその場を去ったのだけれど、去っていく俺を一度も振り返らないその背中に何故か内心面白くない気持ちでいっぱいだった。



あれから12年が経った。当時、俺は相当にイカれたやつだった。自分を守る為だけにいろんなやつを傷付けてきた。仲間の家族や、一番の味方でいてくれた仲間もこの手にかけた。償いきれない罪ばかりだが俺はこの先も一生それらを背負って生きていく。

少年院を出所後は千冬の温情で、奴の経営するペットショップでしがない店員をしている。自分一人生きていくのはどうとでもなる。最悪その日暮らしをしたっていい。俺には誰かと一緒になろうと思えるほどの余裕もなければ、学歴も貯金だってない。あるのは前科だけ。

この先もきっと大した人生は送れない。そう言った俺に、それでも俺がいいのだと泣きそうな顔で笑って言ってくれたナマエに、あんな一方的に別れを告げるなんて。やっぱり俺は、どう転んでもまともな奴にはなれないらしい。



きっかけは些細な口喧嘩だった。自分を否定されるような言葉を掛けられて、つい、キレてしまった。これでも昔に比べると少しは感情を抑えられるようになった方だ。ただ未だに、自分にとってはそうじゃない、けれど相手にとっては正しいと思うことを押し付けられるのだけは我慢ならなかった。

だから、その時吐いてしまった言葉の全てはナマエと過ごす内に徐々に溜まっていったフラストレーションだ。育った環境や価値観の相違、結果を大事にするかその過程を大事にするか。言い出したらキリがないけれど少しずつ積み重なっていったそれらの行き場が集約されてしまった。

「別れよ」
「…は?それ本気で言ってる?」
「…本気だよ。俺、もうお前のこと好きじゃなくなったわ」
「…そんなもんなんだ。一虎にとって、私ってその程度なんだ」
「ナマエみたいにまともに育ってきた奴には俺の気持ちなんて分かんねーよ。人間なんてさ、簡単に裏切んだよ。裏切れんだよ。だからさ、お前が俺を裏切る前に…裏切られて傷付く前に、全部なかったことにしたい」
「…分かんないよ。なにそれ。私のこと、信じられないってこと?」
「…怖いんだよ。裏切られるのが、捨てられんのが」
「…なにそれ」
「だから…こんな俺とじゃ駄目だろ。俺じゃ…お前のこと幸せに出来ないよ」
「っそれが、一虎の本心なの?」
「うん。だから…もっとまともな奴と一緒になれよ」
「…そう、分かった」

最後のは、多分…俺が持つには烏滸がましいちっぽけなプライドと意地だった。

ナマエは俺にとって陽だまりのような存在だった。どんなに暗いところにいてもその眩しい笑顔を見るだけで救われた。誰かを想う、温かな気持ちを教えてくれた。だからこそ、何も持たない自分に、酷く暗い場所で生きてきた自分に劣等感を感じていた。

怖かったんだ。ナマエとは違って、何も与えることの出来ない自分はいつか簡単にいらないと、そう言われてしまうんじゃないかって。

「さよなら一虎、大好きだったよ」

俺は本当にどうしようもないやつだ。自分のせいで小さなその背中が震えているというのに、言ったそばから未練なんてたらたらなのに。去っていくナマエを追い掛けることすら出来ないなんて。



「…この公園、懐かし」

どれだけ落ち込んでいても当たり前のように日々は巡る。仕事終わり、どうしても家に帰る気にはなれなかった俺は傷心旅行ならぬ、傷心散歩に繰り出した。もうじき日付も変わろうかという頃、放浪の末辿り着いたのは当時住んでいた家の近くの小さな公園だった。あの頃から何も変わらないそのベンチに腰掛け一息つく。

ナマエに別れを告げてから数週間経った。あれから彼女から連絡が入ることは一度もなかったし、かといって未練しかない自分から何かアクションを起こすことは出来ずにいた。

昔、この公園で会った、妙な女のことはぼんやりとだが覚えていた。今でこそポピュラーなあのストロングな缶チューハイ片手に、まともじゃない元彼の話を淡々とするまともじゃないあの女。思えば今の自分とそう歳は変わらないだろう見た目だった気がするあの女は今頃どうしているだろうか。

たった一度きりの邂逅。女の顔や雰囲気など記憶は朧げだが、飲んでいた酒の名前は覚えていたし何よりふられたと言って泣きそうに笑った、弱々しくも気丈なあの態度がいつまで経っても頭から消えなかった。

つまらねー男なんてさっさと忘れて、まともなやつと幸せになっていたらいい。あの時、嫌いだと、汚いなどと胸の内とはいえ罵った、自分の物差しでしか他人を測ることができなかった馬鹿な俺をどうか許してほしい。今なら、立場は真逆かもしれないけど、あの時のあんたの気持ちが少しだけ分かる気がするよ。

「…会いてぇな」

自分から遠ざけたくせに、よくもまぁそんなことが言えたものだと自嘲する。けれどもう一度、ナマエに会いたい。会って謝って、そして出来ることならずっと彼女には俺の隣で笑っていてほしい。そう出来る自信はまだないし、もしかしたらまた同じようなことで傷付けてしまうかもしれないけど、それでもこの先、死ぬまで一緒にいるならナマエとがいい。

俺でもいいと、俺がいいと言ってくれたナマエに言いたい。俺もお前が、お前じゃないとダメなんだって。

「…こんなとこで一人、何してんの?おにーさん」
「え?」
「暇なら一緒にお酒でも呑まない?足りなくって、またコンビニ行って買ってきたの…呑まなきゃやってらんなくてさ」

どうぞ、手渡されたストロングな缶チューハイ。女の華奢な手の中にも同じもの。こんな夜更けに、酒と共にこんな公園に来るなんて絶対まともな人間ではない。…呑まなきゃやってられないとは、まったく一体何があったのか。声だけでそれが誰なのかは分かっていた。分かった上で付き合ったその茶番に一瞬にして駆け巡ったいつかのやり取り。

ああ…そうか、そうだったのか。どうして今まで忘れていたんだろう。あの時、先に声を掛けたのは自分の方だったのに。

「…またつまんねー男の話でもしてくれんの、おねーさん」
「そうなの、聞いてくれる?ああ、そうだあの問題なんだけどね、実はもうひとつ追加で言われたことあったの思い出したんだ。えっとね」
「…知ってる。裏切られて、捨てられるのが怖いって?」
「そう、よく知ってんね。前の内容は端折るけど、覚えてるよね?はいじゃあ問題です、私が言われた言葉は次の4つのうちどーれだ」
「…全部、だろ」
「ぴんぽーん、大正解!すごいねぇ、なんで分かったのぉ?」
「…なに?酔ってんの?それ何本目だよ」
「これで6本目でーす」
「増えてるし…」
「だからぁ、呑まなきゃやってらんねーって言ったでしょ。もう好きじゃなくなったとか、幸せに出来ないとかまともなやつ探せとか…そういうの、恋人に言われる辛さが君に分かる?え?一虎くん」
「…スイマセン」
「裏切られるのとか、捨てられるのが怖いとか…そんなの、私だって一緒だよ」
「え…?」
「私だって不安だったよ。もし、一虎に裏切られたらどうしよう…捨てられたらって」
「…ナマエ、」
「でも、そんな不安よりもずっと、一虎のこと好きだって気持ちの方が強かった。だから一緒にいたんだよ」
「…うん」

泣きそうなくせに、やはり無理して笑おうとする目の前の彼女にまずはあの時の非礼から詫びることにする。ごめん、俺、とんでもなくイカれたガキだったよな。お前の言う通り病んでたよ。そんで、12年経ってもまだまだガキでほんとつまらない男で。一回手離してようやくお前の大切さに気付くような…どうしようもない馬鹿でごめんな。

「ナマエ、あんなこと言って、お前のこと傷付けてごめん…でも俺、俺…」
「…もう好きじゃないって言ったの、反省した?」
「うん…反省した」
「ん、なら許す」

これが最後だからね。そう言って緩く目尻を下げたナマエの薬指にはつい数週間前に贈ったばかりの、約束のしるしが光っていた。まだ有効だと言わんばかりのそれに込み上げてくる何かを呑み込み、下手くそな笑顔を返した。

さっきの俺へ、一つだけ言いたいことがある。確かに俺はつまらねー男だしまともな奴にもなれねぇ。だけど俺以外の男とナマエが一緒になるなんて絶対に嫌だし、こんな夜中の公園で6本目の酒を涼しい顔して飲み干すこの女も存外まともではない。

手の中で汗をかいている缶のプルタブを開ける。一口含んで苦い顔をした俺を見て悪戯な顔をしたナマエが「あの時、飲みたそうにしてたでしょ?」なんて見当違いなことを言うものだからつい、堪えきれずに涙が溢れた。


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