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君に嘘を吐く

いくつになっても消えない思い出がある。良くも悪くも記憶に縋りつくそれが、私にとって本当に"過去"になったのか。10年も経ってしまった今となっては分からない。

手元で今朝届いたばかりの葉書を弄ぶ。

青春と呼ぶのであろう、若かりしあの頃を思い出して胸が痛むのはきっと…私の中で燻るあの後悔が久しぶりに顔を出したせいなんだろう。



「…夏が終わったら、ナマエに話してぇことがあるッショ」

聞いてくれるか。

長く続いた梅雨が明けた、そんな夏の始まりのことだった。いつになく眉を下げて、自信なさげにそう言った彼の言葉に涙が込み上げたのを覚えてる。

私はそれなりに気付いていた。ただのクラスメイトに向ける目とは違う、特別な感情を込めた目で裕介くんが私を見ていたこと。そして彼も気付いていた。自分とそっくり同じ目で私があなたを見ていることに。

そう。私達は、所謂、両想いだった。

「うん…続き、待ってるね」

泣きながら溢した私の手を閉じ込めて、裕介くんは照れ臭そうに笑う。豆が潰れてごつごつした歪な手のひら。3年間でいくつも出来ては消えを繰り返したその血豆の跡を見るのが、変な話、私は好きだったのだ。

僅かに震えたその手に包まれたのは、これが最初で最後だった。泣き止まない私を困ったように、だけどどこか嬉しそうに見つめ返す顔を見たのも…これが、最後だった。



その日はたまたま、本当にたまたま。引退した筈の部活に顔を出していたせいで帰宅時間が大幅にずれた。そのまま帰れるようにと友人と一緒にスクールバッグを持って行ったはいいが、机の中に忘れ物をしたことを思い出して慌てて教室に向かう。

下駄箱で友人を待たせていることもあって、全速力で向かった目的の場所の前で息を整えてから、さあノートを取りに行きましょうとドアに手を掛けた時。中から聞こえてきた、あまりにも聞き覚えのある声に一瞬身体が硬直した。

「だから、ミョウジはただの友達ッショ」
「はあ?照れんなよ巻島」

俺らくらいにゃ教えてくれたっていいだろーが、と続いた野太い田所くんの声は笑い声と共に簡単に目の前の分厚いドアを越えてくる。

友達とはいえ他人の話を盗み聞きするなんて良くないことだ。それは分かってるのに私は何故かこの場から動けずにいた。

…あれ?いつもは名前で呼ぶはずなのに、なんで名字で呼ぶんだろ?なんて。こんな時ばかりいつもは鳴りを潜めてる筈の第六感なんてものが妙に働くから、厄介なんだ。

「照れてねーッショ、別に」
「はあ?なーんかここ最近のお前おかしいぜ。ちょっと前まで何かありゃすぐにナマエがナマエがっつって煩かったくせに」
「…あーもー田所っちうるせえ。あとナマエって呼び捨てにすんな。お前が勉強教えてくれっつーから居残ってんのに…する気あんのか?金城からもなんか言ってくれッショ」
「田所、お前英語のワーク埋めるんじゃなかったのか」
「そんなことは後でいんだよ後で。なあ巻島、お前本当のとこミョウジのことどう思って…」
「あいつのことなんか好きでもなんでもねえ」

続きを聞いてはいけない。それだけは分かってるのに、両足はその場に縫い付けられたみたいに動かない。やめて、言わないで。それ以上聞いたら、もう…

「ちょっと仲良くしすぎただけだ。ちょっと…特別、近付きすぎただけだ。俺にとっちゃただのクラスメイトで、それ以上でも以下でもねえから」

あ、終わったかもしれない。そう思った時には遅かった。ドサリと音を立てて肩から落ちたスクールバッグ。それをぼんやりと眺めたのは数秒。はっと我に返って腰を落としかけたのと、中から誰かの息を飲む音が聞こえた気がしたのはほぼ同時だった。

「っ!…ミョウジおま、今の聞いて…」
「あ、ごめ…聞くつもり、は、なくて」

何とも中途半端な体勢のまま、無惨にも目の前のドアが開く。そこから最初に顔を出したのは田所くんだった。バツが悪そうに眉尻を下げて私を見下ろす彼の後ろで、裕介くんが信じられないものでも見るかのような顔でこちらを凝視している。何故か私と同じように手に持っていたものを落としたらしい金城くんは…とても、困ったような顔をしながらそれを拾った。

暗く重たい沈黙が苦しい。けれどもう誰の顔も見ることは出来なかった。もの凄く、居たたまれなかった。

「…ごめん、私…っ!ごめん!」
「っ待てよ!おい!ミョウジ!ミョウジ!!…っ巻島ぁ!!」

落とした鞄を引ったくるように拾ったら、逃げるように走り出した。田所くんが必死に何か叫んでいたけれど私の耳にはもう、何も入ってはこなかった。

走った。廊下を走り出て、下駄箱を過ぎて、友人が摩訶不思議な顔で後を追いかけてきても止まることなく足を動かした。

本当は、ほんの少しだけ…期待してた。もしかしたらチームメイトにからかわれたのが恥ずかしくて、照れ隠しであんなこと言ったのかもしれない。明日になれば、またいつも通りの…特別な笑顔を私に向けてくれる裕介くんがいるって…そう、信じたかったのかもしれない。



「…インターハイ優勝、か」

校舎に堂々とかかった垂れ幕。季節は冬を迎えようとしているのに、そこだけは何故かあの夏のままのような気がして。私はどうしてもここで一歩、足を止めてしまうのだ。

彼らの夏は、裕介くんの3年間は、優勝という栄冠と共に幕を閉じた。あれから目が合いそうになる度に渋い顔で逸らした裕介くんの顔を、あの日、山のてっぺんにあるステージの上で。チームメイトと共に泣きながら笑い合っていたのを見たのが本当の意味で最後になった。

何も伝えられないまま、最後に送り出すことも出来ないまま、彼はとても簡単に目の前からいなくなった。

いなくなった、というのに。

『ナマエ』

私の名前を呼んで不器用に笑うあの顔だけはいつまで経っても消えてくれない。


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