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新開悠人と真波姉

甘いマスクとは裏腹に、どこか冷たくて生意気で。何でもないような顔をして人一倍負けず嫌い。そんな彼の名は新開悠人。どういう経緯かは聞いてないが、先輩の携帯を壊したとかで今部内でとても浮いてる彼の事を私はほんの少し心配している。

自転車競技部。伝説のスプリンター新開隼人さん。卒業した今でも部内では崇められている彼の弟でもある悠人は、先輩の名前が出るといつも苦しそうに顔を歪めている。部員のみんなはその事に気付いていないのか、自分達の目に焼き付いている隼人さんの栄誉をここぞとばかりに語るのだ。

…比べられて、重ねられて。目の前にいる自分を通して誰かを見られてるその感じ。確かに気持ちの良いもんじゃないもんね。


「ふわぁ…おはよーナマエ。今日も早いね」
「おそよう山岳。もー何度も起こしたのに。朝練の時間だいぶ過ぎてるよ」
「いやぁ、つい二度寝しちゃって」
「黒田さん怒ってたよ〜。こーんな目吊り上げて、真波はまた遅刻かァ!?って」
「あっは、似てる。でも今日はいつもより早く起きられたと思ったんだけどなぁ」
「うんまぁ確かにいつもより五分早いけど…遅刻には変わりないからねぇ」
「そっかー」

怒られるかなぁ、なんて言いながらも焦ることなくゆっくりと部室に向かった山岳を見送って溢れる溜め息。今日も私の弟はマイペースでとても自由だ。

山岳の遅刻も今に始まったことではないけれど毎回小言を言われる私の身にもなってほしい。お前の片割れどうなってる、なんて。まるで小姑みたいにネチネチ文句を垂らす黒田さんを思い出してまた溜め息を吐いた。

真波ナマエ。それが私の名前だ。箱根学園自転車競技部クライマー真波山岳の双子の姉で、マネージャー歴は二年目に入る。ロードレースに興味があったわけではないけれど特に入りたい部活もなく、じゃあ一緒に入る?なんて軽く山岳に誘われて入部したのが運の尽き。

強豪校。王者箱学。それが自転車競技部の二つ名だった。インターハイでの優勝は当たり前。選手の練習量はとにかく鬼。つまりそんな選手を支えるマネージャー業も右へ倣えで鬼だった。入部してから毎日馬車馬のように働かされて体力とメンタルは随分鍛えられたけど。

ロードに乗っている山岳はすごい。そしていつだってキラキラ輝いてる。強豪校の名は伊達じゃない。部員はレギュラーじゃなくても実力のある人ばかりだ。そんな人達の中で去年、予選を勝ち抜いて箱学史上初の一年生レギュラーをもぎ取った山岳は本当にすごい奴だ。

双子なのに全く違う。似ているのは顔くらい。私は、特にこれといって得意なものもなければ抜きん出たものもない。勉強も運動も平均。至って平凡な女子高生。

…だからいつも比べられる。不思議ちゃんで、遅刻魔で、天才な真波山岳と。


もうすぐ外周を走っている先輩達が戻ってくる。十分間のインターバルだ。時間はあまりない。準備しているボトルとタオルをすぐに渡せるようにしなければ。洗い終わった空のボトルを籠に入れて山岳の後を追うように部室に戻った。



「ナマエ、後は頼んだよ」
「はい泉田さん。お疲れ様でした」
「ああ、また明日。暗いから気を付けて帰るんだよ」
「大丈夫です、山岳いるので」

泉田さんの声を最後に、先輩達の背中を見送る。颯爽と去っていく泉田さん。あいつにもちゃんとやらせろよと小言を残していく小姑黒田さん。そしていつも手を振りながら帰って行く葦木場さんに頭を下げて、扉が閉まったのを確認してから息をつく。部室や練習場の片付け、掃除は一、二年生が分担して行っている。担当制なので各自割り当てられた場所をすればいいのだけど、山岳はいつも気が付いたらいない。多分、どこかで寝てるかまだ走ってるんだろうけど。

「…いつもごめんね銅橋くん」

同じ二年生の銅橋正清くん。鋭い目付きや強気な態度、荒々しい走りとは裏腹に彼はとても真面目だ。今もこうして山岳の分まで文句も言わずに黙々と掃除をしてくれている。…内心苛立ってるとは思うけど私の前では態度に出さずいつも尻拭いを共にしてくれる。いわば相棒だ。今後もよろしくお願いします。

「いつもの事ながらお前も大変だな」
「分かってくれる?はぁ…なんか、毎日山岳のことで怒られてる気がするんだよね。主に黒田さんに」
「黒田さん厳しいもんな」
「ね。まぁ山岳が全部悪いんだけど」
「ハッ間違いねぇな」

掃除が終わり次々と部室を後にする部員達。響いていた話し声が少しずつ消え、聞こえなくなった頃にようやく私はラストスパートをかけた。銅橋くんは少し前に自分の担当場所が終わって帰って行った。手伝うと言ってくれたけどここは私の担当なのでと断ったのだ。

外を見て私を見て、それからなんとも言えない顔をした後「気を付けて帰れよ」という言葉を残して背を向けた銅橋くんを見送って今に至る。

さて、もうちょっと頑張るか。早く帰りたい一心でひたすらに床を磨く。帰ったら山岳に文句言ってやる。言っても無駄だろうけど。また一つ溜め息を吐いた時、まだ残っていたらしい部員が一人近付いてきた。

「お疲れっしたー」

新開悠人、彼である。

「お疲れさま、悠人。もう終わったの?早いねぇ」
「っす」

声をかけるとスッと目を逸らし、短く答えた彼は何故か私とはあまり話してくれない。先輩や部員に突っかかっていく姿なら何度か見た事はあるけど、そういえば誰かと会話らしい会話をしているところは見たことがないかもしれない。

「ねぇ、悠人」
「…なんですか?」
「喉乾いてない?」
「は?」
「あとちょっとで終わるから待ってて。ジュース奢ったげる」
「いや、別にいい…」
「ほら着替えておいで!ほらほら!」
「って、ちょ、なんすか!押さないでくださいよ!」

なんだよ、そう溢しながら戸惑った顔をして更衣室に入っていった悠人を見送って私はマッハで残りの掃除を終わらせた。決して手抜きはしていない。

結局最後まで残っていたのが自分だったこともあり、部室棟の戸締りを確認し帰り支度を済ませた頃には随分と時間が経ってしまっていた。奢る、だなんて口実で引き止めたものの随分待たせてしまっただろうし彼はもう帰っただろう。

人っ子一人いない、暗くて静かなグラウンドを見渡して溜め息を吐く。話せるチャンスだと思ったんだけどな。

そういえば、山岳はどこだろう。あいつの鞄はまだ部室にあったから持って出て来たけど。鞄があるってことはまだ走ってるのかな。ただ山岳はたまに鞄の存在を忘れて帰ってしまうのでいまいち行動が把握しづらい。自由だからな〜あいつ。

とりあえず部室の鍵を職員室に持って行こうと一歩踏み出した時、視界の端に光がちらついた。もしかして山岳か?と目線をやれば、そこにいたのは建物に寄り掛かるようにして携帯を覗き込んでいる悠人だった。

彼は私の姿を認めると緩慢な動作で携帯をポケットに入れる。そして不満気な顔で、遅いんですけど。そう言った。まさか本当に待ってくれているとは思わなかったから驚いた。避けられ続けていたけれど、ようやく話すチャンスが巡ってきたことにも安心した。

「ごめん悠人、待たせちゃったね」
「結構待ちましたよ。腹も減ってるし早く帰りたかったけど、待てって言われたんで待ってました。で、なんですか?俺になんか用ですか?真波先輩」
「そっか、待っててくれてありがとうね。練習ハードだしお腹空くよねぇ。あ、そうだパワーバーあるよ。夕飯前だけど食べる?チョコバナナ味」
「…いらないです」

さっきまでの勢いはどうしたのか。チョコバナナ味のパワーバーを差し出すと、視界から外すように顔を背けた。声のトーンも落ちて眉間に皺も寄っている。理由は分からないが、なんだか少し怒っているようだ。もしかしたら、彼の地雷に触れてしまったのかもしれない。なんだろ…パワーバーは部員ならよく口にしてるものだし…もしかして味に問題が?チョコバナナ味が嫌なのかな?

よく分からないがそっとしておいた方がよさそうだ。気を取り直して、何がいい?先輩ぶってそう聞くと、なんでもいいっすと返ってきた。部室棟の目の前にある自販機の前に立ち、どれにしようか少し悩んだ挙句適当なジュースを二本買う。…あ、これよくCMで観るやつ。

彼に一本手渡すと、あざっすと小さな声でお礼を言って両手で受け取る。その姿を確認して、自分のペットボトルに手をかけると途端に弾ける泡の音。あーこの弾けるような刺激が渇いた喉に染み渡るわー。これ今度山岳にも買ってあげよ。

ぼんやりとそんなことを考えていると、その間にもちらちらと私のことを値踏みするかのような視線が飛んでくる。

ああ、何だか警戒してるのに餌につられて寄ってきちゃった野良猫みたい。私、猫好きなんだよねぇ。そういえば荒北さん、よく野良猫に餌やってたなぁ。黒田さんもだけどあんまり懐いてくれないから必死になってアピールしてたっけ。あの時の黒田さん面白かったなぁ。

「で、なんです?さっさと本題に入ってほしいんですけど。何か話があるんですよね?」
「へぇ、すごい。よく分かったね」
「分かりますよ、それくらい空気読めます俺だって。なんです?態度がなってない新入生に注意ですか?主将からの伝言役ですか?大変ですねマネージャーも」
「んー私ね、ずっと悠人と話してみたかったんだ」
「…は?」

まー座って話そうよと石段に腰掛ければ、理解できないと言いたげに顔を歪めていた悠人はおずおずと私との間にたっぷりと二人分開けて隣に座った。それから、で?と視線で続きを促してくるから。

「黙々と練習してて真面目だなーとは思ってるんだけど、いつも一人でいるじゃない?何か困ったことはないかなって」
「困ったこと?別にないですよ、そんなの」
「そう?ならいいんだ。ちょっと気になっただけだから」
「はぁ、それはお気遣いどうも」
「それからさ、自転車に乗るのは楽しい?」
「楽しい?先輩、変なこと聞くんすね。自転車は個人プレーですよ。いくらチームで走ったってゴールを獲るのはたった一人だ。俺は誰よりも早く山を制してその先にある最速の称号を得たいだけですよ」
「そっか。じゃあ楽しくはないんだ」
「いやだから楽しいとか」

そんなの、そう言いかけて黙った悠人。表情は髪の毛に隠れてよく見えない。けれど一瞬ピリついた空気に、彼が苛立っているのだと気付いた。もうこれ以上は突っ込んで聞かない方がいいのかもしれない、けど。

「そっかぁ。私、乗ったことないからどこがいいのか全然分からなくてさ」
「ふーん…自転車に興味ないのに、なんでマネージャーやってるんすか?」
「あー誘われたから、かな。まぁ特にやりたいこととかなかったし、何も考えずにふらーっとね。ま、入部したその日に後悔したけど」
「…それよく後輩に言えますね」
「あはは、ごめんごめん。先輩らしくなかったね。でもまぁ今は入って良かったかなって思ってるよ。誰かさんのせいで先輩からの当たりは強いけど」
「誰かさん?」
「そ。山登りながら、生きてる!なんて嬉しそうにしてる誰かさん」
「ああ、クライマーの…不思議ちゃんって呼ばれてるあの先輩」

と、きょうだいでしたっけ。顔を上げて、ようやく私の事をしっかりと見た彼に笑顔を見せる。似てるでしょ?そう言えば、まぁそれなりになんて言葉が返ってきた。まじまじと私の顔を見ている悠人。そういえば悠人と山岳が話すとこ見たことない気がするなぁ。どんな話するんだろ。山岳の先輩らしい姿ってなんか想像つかない。

「双子なの。私が姉で、向こうが弟」
「へぇ」 
「悠人は兄弟はお兄さんだけ?」
「…そうっすけど」
「そっか、私も。二人きりの姉弟だよ」
「先輩。兄貴…隼人くんのこと知ってるんでしょ」
「そりゃね。一年間だけだけど同じ自転車競技部にいたから、私も」
「凄かったんでしょ隼人くんは。神なんでしょ。みーんな口揃えて同じことばっか言うからいい加減耳にタコが出来そうですよ」
「そうなんだ」
「そうでしょ。うるさいんですよどいつもこいつも。口開けば隼人くん隼人くん。どこ行っても隼人くん。俺は、」

悠人だ。呟くようにそう言って俯いてしまった悠人。再び隠れてしまった表情。顔は見えない。けれどその声は何だか少し、泣き出してしまいそうな。

「私、マネージャーなんてやってるけど正直自転車のこと未だに全然分からないし、というかあまり興味もないんだけど」
「…いやそれまずいでしょ」
「それでも隼人さんが凄かったんだっていうのは私でも分かったよ」
「!…だから、なんだっていうんです」
「それだけだよ」
「え?」
「凄かった。それだけ。…え?何かおかしい?」

そう言えば悠人はぽかん、と。呆気にとられた顔をした。信じられないものでも見るかのように私の顔を覗き込んで、おかしいでしょ…そう声を絞り出す。

「だって、神ですよ。伝説なんですよ?有名人なんですよ隼人くんは。自転車やってたら知らない人間なんかきっといない。みんな言うんだ。隼人はすごい。隼人を見習え。隼人になれって…なれるわけ、ないのに」
「うん、そうだよ。だって悠人は悠人だもん」
「!」
「顔が似てても同じじゃないよね。同じになれるはずもない。違う人間だから。そうだよ、私も私だから。山岳じゃないから」

比べられて、重ねられて。だけど私たちは別の人間だ。決して同じにはなれない。それを妬んだことも羨んだことも、渇望したこともあるけど。

「あれ〜?なーんだナマエ待っててくれたんだ」

車輪の音とヘッドライトの明かり。それから間の抜けた奴の声が聞こえて、何だか気が抜けた。ヘルメットを中途半端にぶら下げて自転車に跨る自由な男。真波山岳。

「まさか。誰かさんの掃除担当場所もしてたら遅くなっちゃっただけ。悠人は私が付き合わせたんだけどさ」
「え?」
「あちゃーごめんナマエ、掃除のことはすっかり忘れてた。今度お詫びする」
「いいよもう。次はないからね?」
「はーい。あ、悠人もナマエに付き合ってくれてありがとね」
「あー…はいっす」

山岳と私に挟まれて何だか複雑そうな表情で立ち上がった悠人。それに倣うように私も重い腰を上げる。じんわりと手の平を湿らせていたはずのペットボトルの汗はいつの間にか乾いて温度を失っていた。重さの消えたプラスチック容器をゴミ箱に投げ入れて気付く。悠人の手の中に収まるそれは未だに質量と温度を保っている。

「二人でジュース飲んでたんだ?ずるい、俺にも買ってよナマエ」
「これは掃除を頑張った悠人と私へのご褒美だからだめ。もう毎回フォローするのも大変なんだからね?小姑黒田さんにはいつもの如くネチネチ小言を言われるしさぁ。掃除サボってどこ行ってたの山岳?」
「いや〜ちょっと山に呼ばれてさ」
「まぁそうだろうなとは思ってた」

へらへらと目の前で笑う片割れ。まったく、いつものことながら呆れて物も言えん。隣に置いていた私と山岳の分、二人分の鞄を差し出せば意図を汲んだらしい。「はーいお詫びに持ちまーす」とそれらを纏めて肩にかけ、ぐるんと背中に回した。雑だなぁもう。

「付き合わせてごめんね悠人、遅くなっちゃったね。お腹空いたでしょ」
「いや別に…」
「じゃあまた明日ね!気を付けて帰るんだよ」
「っす」

お疲れっした、そう言って背を向けた悠人。確か、彼は寮生だったか。門限はまだ大丈夫だとは思うが食事や入浴は時間制だと誰かから聞いた気もする。明日も朝から練習はある。支障がなければいいけど…引き留めて悪いことをしたかもしれない。そんな思いで小さくなっていく背中を見ていただけなのに。

「ねえナマエ、もしかして悠人のこと好きなの?」
「は?」

妙に真面目な顔をした山岳から、まさか色恋沙汰の話題が出るとは。そっちの方に驚いた。

「好きか嫌いかって聞かれると、好きだけどさ」
「ふーん」

この時、何も考えずにそう答えたことを私は後に深く後悔することになるのだが…… まぁその話はまたの機会にということで。


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