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新開悠人と真波姉2

箱根学園。隼人くんがいたこの学校に後を追うように入学したのは全国でも強豪校として有名な自転車競技部に入る為だ。そして新開悠人として名を轟かせる為。決して隼人の弟として有名になりたかったわけではない。

だがしかし現実は酷だ。入部当日、興味津々な顔で囲まれ聞かれるのはやはり隼人のことばかり。相変わらずどこに行っても隼人くんの影が付き纏う。まったくこりごりだ。俺は隼人じゃない、悠人だ。

そう思うのに、へらへら愛想笑いを浮かべる自分はかなり滑稽だ。分かってはいてもモヤモヤと漂う汚い感情は消えてはくれない。そしてついに、見世物みたいな扱いに対して手が出てしまった。今しがた俺を写そうとしていた電子機器が地面にぶつかって割れた音を聞いてはっとする。信じられないものを見るかのように俺を見上げた隼人の幻影を追う先輩。…いや、悪いのはそっちでしょ。

入部早々やらかしたとは思う。けれどそれからは何かが吹っ切れたように、色んなことがどうでも良くなった。主に人間関係。そうだ、俺は仲良しごっこなんかに興味はない。ただ誰よりも早くゴールを獲って、新開悠人の名を轟かせるんだ。

今まで溜めていたものを吐き出すように、とにかく舐めてくる奴には噛み付いた。隼人くんの弟だという理由で平坦が得意だと勝手に決めつけていたらしい先輩のことは山でちぎって置いてった。そうするといつの間にか俺と関わろうとする人間は減っていき、耳障りな言葉を投げかけられる事もなくなっていった。


入部して一ヶ月近く経った頃。珍しく朝練が休みの日。朝起きる時間は変わらないのに練習がないことが何だか物足りなくて、ちょっと山でも登ろうかと部室に向かう。部室には誰もいなかったが鍵は空いていて、ロードが数台消えているところを見ると俺以外の誰かも同じことを考えていたようだった。

ほんの少し苛つきながら荷物を投げ捨てるようにロッカーに置き部室を出た。それが一時間程度前のこと。

適度な運動を終えて戻ってきた俺は未だに誰の姿も見えない室内を見渡して息を吐く。授業が始まるまでもう少し時間がある。とりあえず汗を流そうとシャワールームに向かっていると洗濯室の向こうからタオルに埋もれるようにして歩いてくる誰かの姿が目に入る。

自転車競技部のマネージャー、真波ナマエ。腕に収まっている積み上げられたタオルの山は先程まで彼女が畳んでいたのだろう。俺を視界に入れると柔らかく微笑む。

俺はこの人が苦手だ。

「おはよう悠人。朝から精が出るね」
「っす」
「今からシャワーかな?はいタオル」
「あざす」
「今日は校外に出て平坦練習だね。聞いてる?」
「あーはい」
「そっか。16時スタートだからそれまでにアップ終わらせて校門前ね」
「…はーい」

周りが俺を意識的に避ける中、この人だけは物怖じせず笑顔で近寄ってくる。こっちが故意に避けていることに気付いてるだろうに、態度を変えることなく接してくる。何を考えているかさっぱり読めない。ふわふわしてるくせに肝心なところは見せないっつーか、余裕っつーか。つまりは、なんか、癪に触る。

しかし彼女に対する感情はある時を境に変化するのだ。


それはいつもと同じ部活終わり。その日も自分の担当場所の掃除を終えて、マネージャーの方の真波さんに挨拶をした時だった。

「ジュースでも飲まない?」
「はい?」

なんて笑顔で誘われ引き止められて。一体何を企んでいるのだろうと首を傾げる俺を無理矢理ロッカールームに押し込んだ彼女に対し、ぶっちゃけ気が重いがこれを機にその読めない腹でも探ってやるかと思い直す。予想では主将である泉田さんや黒田さんに、先輩に靡かない生意気な後輩の指導でも頼まれたってとこかな。どうせ女なら無下には出来ないとか考えて。

…本当、先輩後輩だとか仲間だとか。反吐が出る。

まぁいい。説教だったらさっさと退散しよう。

だらだらと着替えを終えて部室を出ればトレーニングルームの掃除を終えた真波さんが後片付けを始めていた。これから部室棟の消灯と確認、戸締りをするんだろう。案外時間がかかるその作業を思い出して長く息を吐き出した。…ああ切実に帰りたい。

部活中は電源を切っているスマートフォン。取り出し見るとメッセージアプリに新着を告げる数字がいくつか。その中には数ヶ月前にこの場所にいたであろう兄の名前もあって。…隼人くん、いつ帰ってくるんだろ。

一人一人、メッセージの内容を確認して返信しているうちに気付けば随分と時間が経っていた。お腹だって減ったし、汗も早く流したい。帰っていいかな。そう思った瞬間、ようやくあの人が部室から出て来る。俺に気付いていないのか、ぼんやりした顔で空を見上げて小さく息を吐いた。

割と待たされてイライラしていた。嫌味の一つでも言ってやりたい。でもなんか自分から声をかけるのは嫌だな。そうして悶々としていると一歩踏み出した真波さんがようやく俺の存在に気が付いた。驚いたようで、大きな目をこれでもかと開いている。と思ったらほっと息を吐くように笑った。

そんな顔されたら言いたいことも言えなくなる。ぐっと飲み込んだのは相手を攻撃する言葉。そのかわりに、遅いんですけどと少しの不満をぶつけたら開いた距離を埋めるように彼女が俺に近付いてくる。

「ごめん悠人、待たせちゃったね」

そう言って笑う真波さんは申し訳なさそうにしながらも少し嬉しそうだった。人を待たせておいてと思わなくもないが、もしかしたら避けていたことに気付いていたのかもしれない。どう返そうか、そう悩む間もなく俺の口からはねちねちと嫌な部分を突く言葉が飛び出す。こうすればきっと今度こそ申し訳なさそうな顔で、俺から距離を取るだろうと思ったのに。

「そっか、待っててくれてありがとうね。練習ハードだしお腹空くよねぇ。あ、そうだパワーバーあるよ。夕飯前だけど食べる?チョコバナナ味」

何がそんなに嬉しいのか。へらへら笑いながらパワーバーを俺に差し出した真波さんはどうやら言われた言葉の意味を深くは考えない人らしい。もしくは気付いていないのか。身構えていただけに何だか毒気を抜かれる。ただ目の前に差し出されたパワーバーを見て、そういえば隼人くん好きだったっけチョコバナナ味、なんて。気付けば自分自身で掘り起こしてしまった地雷を踏み抜いて自爆した。一気にテンションだだ下がりだ。

いらないと突っぱねた俺を見ても真波さんは特に何も言わなかった。まるで何もなかったみたいな顔で自販機の前まで移動して俺に好みを聞きながら「どれにしようかなー」なんて声を漏らす。しばらく悩んだ後、彼女は結局CMでよく見る炭酸飲料のボタンを二回押した。

「はい、待たせたお詫びにしちゃ質素だけど」
「あざす」

真波さんの手から受け取ったそれを両手に収めたものの、このぼんやりとした雰囲気が妙に居心地悪い。まったく読めない。一体何がしたいのだろう。わざわざ俺を呼び止めて、こうして二人分の飲み物を買って。いくら部長たちから頼まれて説教をする為だとしても、この人のメリットはなんだ?

ペットボトルの蓋を開ける音と炭酸が弾ける音が続く。無意識で見やった先、ちびちびと炭酸飲料を含み飲み下す彼女は何も言わない。何も言わないまま、ぼんやりとした表情で校外へと続く門の向こうを眺めているようだった。

なんてマイペースな人だ。何も考えてなさそうなその横顔を見ると同時に苛立ちが襲う。俺はこんなことの為だけに待たされたというのか。このままでは埒が開かないと若干、いや多分な嫌味を込めて声を掛ける。するとどうだろう。向けられた敵意に気付いてすらいないのか、へらりと笑った彼女がこう言うのだ。

「んー私ね、ずっと悠人と話してみたかったんだ」

呆気に取られつい言葉を失った俺。やはりどこまでもマイペースな女である。座って話そうと石段に腰掛けた彼女にこれ以上の抵抗は無駄だと諦めたもののやはりいけ好かなくて、たっぷり間隔を取って隣に座った。

そこから彼女による一方的な会話が始まった。困ったことはないか、自転車に乗るのは楽しいか。自分は自転車に乗ったことがないから、などなど。まったく不思議でたまらなかった。ならば何故、マネージャーになんてなったんだろうとつい小さな好奇心が芽生えて。

「ふーん…自転車に興味ないのに、なんでマネージャーやってるんすか?」

そう口にした時、しまったと思った。興味なんてない筈の彼女のことをまさか自分から知ろうとしているなんて。けれどそんな俺の葛藤なんて露知らず次から次へと新たな情報が舞い込んでくる。入部した理由や後悔、今はそれなりにマネージャー業を楽しんでいるらしいこと。自身の兄弟のせいで先輩からの当たりが強いこと。

「双子なの。私が姉で、向こうが弟」
「へぇ」 
「悠人は兄弟はお兄さんだけ?」
「…そうっすけど」

隼人くんの名前が出た途端、急激に冷えていく気持ち。どうせあんたも言うんだろ?隼人は“神だった”って。

「そっか、私も。二人きりの姉弟だよ」
「先輩。兄貴…隼人くんのこと知ってるんでしょ」
「そりゃね。一年間だけだけど同じ自転車競技部にいたから、私も」
「凄かったんでしょ隼人くんは。神なんでしょ。みーんな口揃えて同じことばっか言うからいい加減耳にタコが出来そうですよ」
「そうなんだ」
「そうでしょ。うるさいんですよどいつもこいつも。口開けば隼人くん隼人くん。どこ行っても隼人くん。俺は――…悠人だ」

もううんざりだ。うんざりなんだよ、何もかも。俺に隼人を見るな。重ねるな。俺を見ろ。天才スプリンターの新開隼人の弟じゃない。自分だけの力で全てを倒し、誰よりも先に登ってきた俺を…新開“悠人”を見ろよ。

そこまで言い放ってハッとした。やってしまった…勝負になんの関係もないマネージャー相手に何熱くなってんだ俺は。決まり悪く視線を落としていれば空気を読むことを知らないのか、あっけらかんと言葉を続けていく彼女。

「私、マネージャーなんてやってるけど正直自転車のこと未だに全然分からないし、というかあまり興味もないんだけど」
「…いやそれまずいでしょ」
「それでも隼人さんが凄かったんだっていうのは私でも分かったよ」
「!…だから、なんだっていうんです」
「それだけだよ」
「え?」
「凄かった。それだけ。…え?何かおかしい?」

不思議そうに首を傾げ、まるで子供みたいな瞳で俺を覗き込む。……おかしいかって?ああ、おかしいに決まってる。

「だって、神ですよ。伝説なんですよ?有名人なんですよ隼人くんは。自転車やってたら知らない人間なんかきっといない。みんな言うんだ。隼人はすごい。隼人を見習え。隼人になれって…なれるわけ、ないのに」
「うん、そうだよ。だって悠人は悠人だもん」
「!」

まっすぐ俺だけを見て放たれたその言葉が、本当は…泣きたくなるほど嬉しかった。そうだ、誰もが隼人くんの面影ばかり追う中でこの人は…この人だけは、最初から唯一俺のことを“悠人”って呼んでくれてた。

救われた気がした。何気なく放たれたその一言に。

だけどまだ、なんとなく、この人に感謝するのは癪だから。ちょうどいいタイミングで現れてくれた彼女の片割れに内心ほっと息を吐いた、惜春の夜。


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