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- ナノ -

2008年6月


身体が重い。何も見えない。…ああ、やっぱり私死んだのかなぁ。死んだんだろうなぁ。するとここは、天国だろうか。それとも地獄だろうか。

「みょうじ、起きろ」

頭に軽い衝撃が走る。揺さぶられるような感覚に薄っすら目を開けると視界いっぱいに映り込んだどこか懐かしい顔。……あれ、この人誰だっけ。

ぼんやりと見上げた先、初老の男は困ったような呆れ顔を浮かべると「次は当てるから起きとけよ」覚醒しきらない私の頭を持っていた教科書で叩きまっすぐ教卓へと戻っていった。

「はい今日はここまで」

ああ、先生か。理解したと同時に鳴り響いた終業の鐘。誰かが放つ号令に合わせて不揃いに起立し礼をする。淡々と教材を纏め出て行った教師を見送った途端、しんと静まり返っていた教室内は降って沸いたように騒々しくなった。

今日帰りどこ行く?クレープ食べに行こうよ。見覚えのある学生服を身に纏い楽しげに会話を交わす目の前の女生徒の姿をまだ抜けきらない夢心地で眺めていると「なまえちゃん」私を呼ぶ穏やかな声がする。

中学時代はおさげにしていた艶の良い黒髪を後ろに流し、胸元にチェックのリボンを飾った彼女は不思議そうな顔で目の前までやって来ると「珍しいね、授業中に居眠りするなんて」自身の記憶にあるそれよりも幾分か大人びた、けれど幼い笑顔を覗かせ言うのだ。

「ふふ、ここシャツの跡がついてるよ」

私の頬を指で突き屈託なく笑った親友の――…

「…やっちゃん」
「うん、なあに?」

頬に触れた彼女の手を弱々しく握れば「どうしたの?寝ぼけてる?」可笑しそうに笑ったやっちゃんが「ほら起きて」私の手を強く握り返し、まるで覚醒を促すみたいにゆらゆらと揺らし始めた。

……ダメだ、まだ頭が働かない。何がどうなってるのかさっぱり分からない。人工的な揺れに身を任せつつ、自分で自分の頬を思いきりつねってみたら痛くて少し涙が出た。なるほど、一つだけ理解した。

「やっちゃん…私、生きてた」
「え?うん、生きてるよ?」

なに、変な夢でも見たの?そう言って笑った彼女になんだか堪らなくなって抱き付けば突飛な行動に困惑の声を上げたやっちゃんはしばらくして「変ななまえちゃん」優しい声で呟いて僅かに震える私の背中を宥めるようにゆるりと撫でた。



HRも終わり「また明日ね」と部活に向かったやっちゃんを定まらない情緒で見送った後、私は自身の鞄の中から機種変したばかりなのかまだ真新しい真っ白な携帯電話を取り出した。

カレンダーを開いて表示された日付、西暦を確認し息を吐く。それは現代で予定されていたタケミッチとヒナちゃんの結婚式の3日前で、私が線路に突き飛ばされた日の翌日だった。おそらく私はまた戻ってきたのだろう。今度は12年前ではなく何故か10年前に。

10年前――…そう、ここはエマが死に、現代の私が消えてから2年後の…誰とも関わりのない本来のみょうじなまえの世界だ。



「…だよねぇ」

ふう、息を吐きながら携帯電話を閉じて硬い木目の椅子にだらりと凭れる。うんまぁそうだろうなとは思ってた。思ってたけど、二回目ともなるとさすがにへこむなぁ。

そう、電話帳を開いて悟った。現代でも味わったあの虚無感。過去で登録した筈のかつての友人の名前はどこを探しても見当たらず、万次郎からもらったあの猫のキーホルダーの姿もない。そして画像フォルダをいくら遡ってみてもあの頃撮った彼らとの写真はもちろん一枚も残っていないわけで……うわ、ダメージでかいわ。

中学最後のあの冬に“私”が現代に戻った後、記憶喪失のままこの2年を過ごしただろう過去の私。おそらく私のことを友人だと認識してくれていた彼らからしてみれば一方的に忘れられ関係を絶たれてそれっきりだ。…この結果は当然の報いだといえる。

けれど2018年で…現代で再会した彼らは一方的に関係を絶っただろう私を、12年も音沙汰のなかった私をあの頃と変わらない笑顔で迎えてくれた。思い出してくれてよかったと時には涙まで浮かべて温かく迎えてくれた。たった半年しか共にいなかったのに長年の友人のように扱ってくれたとても大事な人たち。二度と失いたくない人たち。

私はあの繋がりを今度こそ守りたい。



とはいえこれからどうするべきか…悩んだ結果、とりあえず学校帰りに佐野家へと足を運んでみた。しかし何度インターホンを押しても家主からの返答はなく静まり返ったそこには誰もいないようだった。

ポストに無造作に溜まっている投函物。門外から僅かに見えた生活感を感じない母屋の雰囲気を感じ取り妙な気分になったものの、いないのならば仕方ないと次に向かった場所は。


「はーい」
「あの、急にすみません…みょうじと申します。その、千冬くんいますか?」

あの夏よく出向いた見慣れた団地。そこの2階にある彼の家の前で姿勢を正す私の目の前に現れたその人はドアを開けるなり何故か瞠目した後で「あー今日はバイトないって言ってたからもう少ししたら帰ってくると思うよ、上がって待ってる?」と彼とよく似た笑顔を浮かべ快く部屋へと招き入れてくれた。

以前、彼女がいない時に少しだけお邪魔したことのある千冬くんの家。すっきりとしたダイニングキッチンで鼻歌を歌いながら夕飯の準備を進める千冬くんママは「そこ座ってて、何か飲む?」「みょうじさ…えっとなまえは?何ちゃんっていうのー?」とフレンドリーに声を掛けてくれる。

そんな彼女のおかげで次第に解けていく緊張の糸。やはり親子だからか、快活なその笑顔も雰囲気も千冬くんにとてもよく似ている気がした。

たわいもない世間話をしている最中「ねぇ、嫌じゃなかったらちょっと味見てくれない?」差し出された小皿に乗っていたのは肉じゃがだった。いただきます、と受け取って冷ましながら頬張った後で「おいひいです」感想を述べた時だ。玄関のドアが開く音と「ただいまー」間延びした彼の声が聞こえたのは。

「あれ、母ちゃん誰か来てんの?靴が…ア!?なまえさんがなんでここに!?」
「おかえり千冬、なまえちゃん来てるよ」
「いや言うの遅…」
「お邪魔してます、ごめんね急に。ちょっと話したいことあって…」
「あ、はいそれは全然…え?ていうかなまえさん、記憶は…」
「はいはい、もうそういう痴情のもつれ的なのは親がいないとこでやんなさいって。部屋行け部屋」
「は?ちじょ…なんて?」
「いいから」

混乱している千冬くんを有無も言わさず部屋へと押しやった千冬くんママは私を振り返ると「なまえちゃん、よかったら晩ご飯食べてってよ」何やら楽しそうな笑顔でそう言った。



「…そっか、やっぱそうだったんすね」

千冬くんの部屋。ベッドに凭れるように並んで座り、現代に戻ってから今までの私の出来事と未来の彼が話して聞かせてくれたタイムリープの仮説を伝えれば思い当たる節があるとでも言いたげに視線を斜め上へと飛ばした千冬くんが深く頷く。

「2年前、なまえさんの見舞いの後にタケミッチとそんな話してて。もしかしたらそうなんじゃねーかとは思ってましたけど…」

当たってたんだ…未来の俺、なんかスゲェ。そう言って目を輝かせた純粋な彼に過去でも未来でも頼りきりな自分が途端に情けなく思えてくる。

「ごめん、私、過去でも未来でも千冬くんに頼りっぱなしで…迷惑ばっか掛けてるね」
「え、なんで?迷惑とか思ったこともねーし…むしろ頼ってもらえて俺、嬉しいっすよ」

また会えたし。ニッと歯を見せ快活に笑った彼にじわり緩む涙腺。

ああ、ダメだ泣きそう。そう思った時にはもう既に手遅れだった。頬を伝って落ちたそれにぎょっと目を瞬かせた千冬くんは狼狽え視線をあちこちにやってから膝に乗せていたペケちゃんを抱き上げ目の前にだらんとぶら下げた。そして「見てなまえさん、ペケが言いたいことあるって」されるがまま抵抗もしないペケちゃんの後ろで甲高い裏声を当てるのだ。

「泣かないでなまえチャン、ほら、肉球触る?」
「……触る」

真っ黒なふわふわ毛並み。長い尻尾がゆらゆら揺れる。きみは相変わらず可愛いね。「みゃーお」ペケちゃんは自身の柔らかな足に触れた私を一瞥して仕方なさげにひと鳴きすると全てを諦めたように目を閉じた。なんかすいません。

涙は止まったものの鼻水だけはなかなか止まらなくて、垂れないように啜りながらそのおみ足を堪能していると「よかったっすね、なまえさん」ペケちゃんの横からからひょっこり顔を覗かせ笑った千冬くん。頷けば姿は丸見えだというのにわざわざ隠れて「ホッホ、好きなだけ触るがよいゾ」なんて今度はわざと嗄れ声を当てるのでつい吹き出してしまった。キャラ、安定しないなぁ。

「…ありがとう、千冬くん」
「エエッ?ペケにはないの?なまえチャン」
「ふふ、そうだよね、ペケちゃんもありがとう」
「どーいたしまして」

ペケちゃん越しに聞こえたその笑い声にほっと息を吐いたとき。くあ、目の前で大きな欠伸を一つして千冬くんの腕からすっと抜け出していった彼女。

「あ…」

颯爽と背を向け去っていくその姿を二人して眺め、どちらからともなく顔を見合わせると「俺…ウザかったっすか?」気恥ずかしそうな顔で千冬くんが笑うので「うん、割とね」照れ隠しにそんな意地悪を言ってしまう私はまったく大人げないにもほどがある。



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