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束の間


徐々に夏も近付き暑くなり始めた5月の終わり。あれから万次郎は時々思い出したように私の家へとやって来る。主に夜中に。

「…ねぇ、なんでいつも夜中に来るの?私寝てたんだけど」
「なぁ、俺腹減った」
「えー…もーなんかあったかなぁ…パスタでもいい?」
「なんでもいい」

抑揚のない声でそう言った彼は突然の来訪者に目を擦りながらキッチンに向かった私の後をペタペタ足音を立てて追ってくる。キッチン棚から中途半端に封の切られたパスタ麺を取り出し、鍋いっぱいのお湯を沸かし、冷蔵庫から適当な野菜を取り出すまでの工程を何故か隣でぼんやりと見ていた万次郎は「長くなるなら風呂入る」と我が物顔で脱衣室へと歩いて行った。誰の為にやってると…まったく、どこまでも自由な男である。

当分沸騰する気配のない鍋の中をちらりと見やってから水音が聞こえ始めたその場所へタンスから引っ張り出してきた下着と適当な服を置きに行った。


彼が我が家に来るようになってから常備され始めた男物の衣類や簡素な調味料。何年もコンビニ飯が常だった筈のずぼらな一人暮らしはいつの間にか、料理アプリを見ながらなら普通に食べられる物を作れるまでにレベルアップした。

ぐつぐつと煮立った湯の中に一人前の麺を投げ入れる。はや茹で3分と記載されたパッケージを見て、パスタの茹で上がりを待つ間に切り分けていた野菜とソーセージを炒めた。湯切りを終えた麺と野菜を馴染ませながらケチャップを入れて出来上がったナポリタン。味に自信はないけれど某料理アプリで“ナポリタン 簡単”と検索し出てきた人気No. 1を参考にしたのでおそらくまともに食べられる出来にはなっていると思う。

何度かしているとはいえ、誰かに料理を作るのは少し緊張する。不安になり味見をしてみたらさすが人気No. 1のレシピなだけあって私作でも普通に美味しかった。感動。

ダイニングテーブルにお皿とフォークとを並べたタイミングで万次郎がリビングへと戻って来る。ちゃんと拭いてないらしい髪の毛からは雫がぽたぽたと垂れていて「髪濡れてるよ」「あとで」そんなやり取りをした後、彼は表情を変えないまま席に着くと湯気立つナポリタンに手をつけた。

10分もたたず全て平らげソファに移動した万次郎はお腹が膨れて睡魔がきたのか。ソファの背凭れに身体を預けると何度もその瞼を下ろしかけて開くを繰り返し、自身を襲う睡魔に抗っているらしかった。彼の目の下に浮かぶ隈は依然としてそこにあるけれど、久しぶりに会ったあの時よりかはうっすら和らいでいるように見えて少し安心する。

「髪は?」
「…やって」
「仕方ないなぁ」

脱衣室からドライヤーを持ってきて、両肩を濡らしながら舟を漕ぐ万次郎の背後に立つ。風量よりも音の方が大きい古いドライヤーを起動させ温風を当てると短く切り揃えられた彼の白い髪が遊ぶように跳ねた。

「乾いたよ。…万次郎?寝ちゃった?」

量の少ない髪の毛はあっという間に乾き、さらさらと指通り良く私の手から滑り落ちていく。ドライヤーのスイッチを切り声を掛けるもぴくりとも動かない身体にそっと顔を覗き込めばぴったりと閉じられている瞳と静かな寝息。

「ねぇ起きて、向こう行って寝よ」

ここで寝たら身体痛くなるよ。何度か肩を揺すりながらそう言うと薄らと覚醒した万次郎は開ききらない瞳を私に向け、ゆっくりと手を伸ばす。

「なあに?」
「…きて」

導かれるまま近付けば後頭部に回った手。引き寄せられ目を閉じる間もなく触れるだけのキスを落とした彼はそれから私のこめかみに頬をすり寄せる。ふわふわと微睡の中を漂っているらしい甘えるような仕草につい自身もつられてしまいそうになるけれど、だめだ。明日も普通に朝から仕事だしせめてベッドで寝たい。

「万次郎」
「…うん」

催促するように強く腕を引くとやっとのことで重い腰を上げた万次郎は目を閉じたまま私の腕に身体を預けるようにして歩くので部屋の中を移動するのに苦労した。


あの日以降、私と彼は身体の関係を持っていない。抱き締められたり唇同士が触れ合う程度のキスが降ってくることはあってもそれ以上の行為はあれっきり一度もなかった。

日が昇る少し前に万次郎はいつも決まってこの家を出て行く。それまでのたった数時間、私たちはシングルベッドの上でお互いを守るようにただただ抱き合って眠るのだ。

「ん…」

今日もまた万次郎は夜の終わりと共に消えかける。僅かな衣擦れの音だけ残しベッドから抜け出たその背中を薄目を開けて見上げると、身動ぎ声を上げた私をぼんやりとした双眸で見下ろした彼が「まだ早いよ」と開ききらない私の瞼をのろりと撫ぜた。

「…行くの?」
「うん」
「つぎは、いつ会える?」
「…近いうちにまた来る」

そう言って頬にかかった私の前髪を退け額に唇を落とした万次郎は「じゃあな」今度こそ目の前から姿を消した。



「三ツ谷、これとこれだったらどっち?」
「んー…どっちも可愛いけど、みょうじにはこっちの色の方が似合いそうじゃね?」
「じゃあこれにする」
「即決じゃん」
「うん、私もこっちの方が好きだと思って。買ってくるね」
「ん」

そう言った私に頷いて選ばれなかった方のフォーマルドレスを受け取り店のハンガーラックに戻した三ツ谷は「店の外で待ってんね」とお会計に進む私を見送った。


6月も半ば、タケミッチとヒナちゃんの結婚式が目前に迫ったある日の休日。特に予定もなくだらだらと家で過ごしていると前日の夜から断続的にメッセージのやり取りをしていた三ツ谷が『暇なら飯でも行かね?』と私を外へ連れ出した。

午後12時を少し回った頃。ここの店美味いらしいよと集合場所に選ばれた街中のおしゃれなカフェ。メニュー表までおしゃれなそこで女性人気No. 1だというワンプレートランチを堪能した私と、がっつり肉厚なハンバーグプレートをぺろりと平らげた三ツ谷が次に向かったのは近くに新しく出来たばかりの大型ショッピングモール。

そう、私はタケミッチたちの結婚式で着るフォーマルドレスをデザイナーである彼に選んでもらいたくてカフェを出る時ここへ誘ったのだった。

いくつか見て回り、ようやく二つに絞ったその中から彼が選んだのは繊細なレースが目を惹く上品なロングワンピース。実は意見を求めつつも気持ちは半分以上こちらに傾いていたので、最後の一押しが決め手となった。

「…あれ」

無事目的の物を手に入れた後、お互いの仕事の話をしながら適当にモール内をうろついてしばらく。歩き通しで疲れ切った足を休めようと寄ったコーヒーショップ。注文したドリンクを飲みつつスマホを開けば、ポップアップに表示された珍しい名前と簡潔なメッセージについ声が出た。

『今日の夜時間ある?ちょっと話したいことあんだけど』

送り主は羽宮一虎。彼とは時々会うことはあれどメッセージのやり取りはほとんどしないのでこうして文面でその名前を見るとかなり新鮮だった。…なんかあったのかな。なんとなく落ち着かない気持ちになって、夕方からならいいよと返信すると数分も経たずに送られてきた『了解』と猫が手をあげているスタンプ。

こんなスタンプ使うんだ…そんなことを思いながらじっとスマホを見つめていたら「どした?」フラペチーノに口をつけながら三ツ谷が不思議そうな顔で私を見るので「いや、なんでもない」と笑顔を返した。



ショッピングモールの前で三ツ谷と別れた私はとりあえず荷物を自宅に置いてから一虎に連絡を入れた。数分後、そっちに行くと返信してきた彼と待ち合わせた最寄駅前。しばらくしてのらくらと現れた一虎は「とりあえずどっか入らね?」と頷いた私を近くのファミレスまで先導した。

「で、話したいことってなに?」

ちょうど夕飯どき。席に着くなりお腹が空いたとそれぞれ頼んだメニューがテーブルの上に出揃ったところで疑問を口にすれば、付け合わせのコーンバターを口へと運ぼうとしていた一虎が「ああ」と思い出したように顔を上げる。

「マイキー関連でタケミチからなんか聞いてる?」
「…ううん、まだ何も」
「だと思った」
「え?」
「居場所とかは全然分かってねーけど、ナオトってやつが調べてきてさ。手掛かりは掴んだよ」

マイキーのこと。鉄板の上でじゅうじゅう音を立てるメイン料理にフォークを突き立てながら一虎は続ける。今、万次郎がどこで何をしているのかを。

日本最大の犯罪組織、梵天。過去でタケミッチと千冬くんから聞かされた、12年後の東京卍會。巨悪と成り果てたそれとなんら変わらない組織のトップに今万次郎はいるようだと一虎は語った。まだ確証は掴めていないけれど、今手当たり次第にその組織について調べているという。

「…それ、大丈夫なの?」
「どーだろうな、ヤベェかも」

下手したら殺されるかな。背筋が冷えるようなことを淡々と宣い、ライスを咀嚼しながら一虎が「本当はこの話タケミチから口止めされてたんだけどさ」と初耳すぎる事情を漏らすのでつい「なにそれ?」と低い声が出た。口止めって…一体どういうことだ。

「あいつ、お前のこと巻き込みたくねーんだと。12年前?なんか、襲われたんだろ?」
「…まぁ、うん」
「あの時より今回相手にする組織はやべぇし、ましてやそのトップはマイキーだし。気、遣ったんだろ」
「…そっか」

一虎のその言葉に結局またタケミッチ一人に全て背負わせてしまったのだと罪悪感にも似た気持ちでいっぱいになる。けれどこれで繋がった。彼から届く進捗メッセージが定型分と化していた理由が。

「あれ?ていうか一虎はなんで教えてくれたの?」

口止めされてたんでしょ。首を傾げた私を見て逡巡するように視線を一度よそへ投げた後、再びライスをフォークで掬った一虎は一言「別に、気分」とそう言った。けれど付け足すように「あ、でもタケミチには俺が言ったこと言うなよ」と強く念を押され、分かったと頷く。

「ありがとう…知れてよかった」
「ん、なんか分かったら俺から連絡入れるわ。お前、ねーとは思うけど妙なことすんなよ?」
「妙なことってなに、しないよ」

もう一度深く頷いた私を見て満足そうに食事を再開させた一虎に倣い、まだ手付かずだった自身の夕飯を口にする。ぬるくなってしまった味噌汁を啜り、味のしない米を噛み続けながら最後まで夜中に我が家へやって来るあの人のことを言い出せなかった弱い自分を責めた。



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