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2018年3月初旬


エマが死んだ。そう聞いて呆然とする私に千冬くんはいろんな言葉を掛けてくれたけれど正直あの後どんな会話をして彼と別れたのか、どうやって自宅まで帰ったのかさえあまり覚えていなかった。


ここ何日か寝ようと思ってもちゃんと眠れない日が続いていた。目を閉じるとあの日の…2006年で過ごした最後の日の出来事を思い出して、ちゃんと出来なかった自分と救えなかった後悔が押し寄せ上手く息が出来なくなる。

そのせいか普段しないような小さなミスを連発し、上司に怒られ沈んだ私を見兼ねた同僚が「…大丈夫?なんかあった?よかったら話聞くよ」と優しい言葉を掛けてくれたのだけど、どうにもあの話をする気にはなれなくて無理矢理笑顔を貼り付け「ごめん、ありがと大丈夫」と返すに留めた。

…しっかりしなければ。ぼんやりしてる場合じゃない。私のせいで誰かの命を脅かすのはもう嫌だ。



千冬くんから頻繁に届く身を案じるメッセージ。その多くは『ちゃんと飯食ってますか』だった。あの頃も彼はよく私のことを気にかけてくれていた。受信BOXを埋め尽くす松野千冬という名に気付けば随分と救われていたことを思い出す。

いつの間にか再び登録されていた同じ名前。12年前と同じくまたしても彼の存在に救われてしまっている私はいつまで経っても情けない先輩のままだ。


仕事終わり、疲れた身体を引き摺りながら職場を出て届いていた千冬くんからのメッセージに『うん今から帰って食べる』そう返すと数分もしない内に入った着信。母親かやっちゃん、職場関係以外でかかってくることなんて滅多にないそれに挙動不審になりながらも通話ボタンをタップすれば彼は開口一番「じゃあ今から飯でも行きませんか」と脱ぼっち飯の魅力的なお誘いをしてくれる。

ただし頭も身体も仕事終わりで疲れはピークに達していた。出来ることなら今は食事よりもベッドの上でゴロゴロだらだらしたい気分なのだが…どうするべきか。数秒頭の中で悩んだものの、一人でいるとおそらく出口のない問いを永遠と繰り返してしまうだろうしまぁ明日は休みだし…といろいろなものを秤にかけた結果その誘いを受けることにした。

千冬くんは私の職場からほど近い居酒屋を指定すると「俺もちょっとしたら店閉めますんで」と慌ただしく通話を切る。仕事終わり、きっと千冬くんは職場から車でこちらにやって来るだろう。だとすると軽く15分程度は掛かるはず。ならばゆっくり歩いて時間を稼ぐかとスマホをポケットに入れ夜の繁華街へと繰り出した。


のんびり歩いて約10分。指定された店の看板がようやく見えて来た頃、私は周囲をぐるりと見渡し約束した相手の姿を探した。…うん、まぁさすがにまだ来てないよなと思いつつ鞄の中からスマホを取り出し『店の前にいるね』と短いメッセージを送っておく。歩きスマホは危険だと分かっていながらもつい一瞬、画面を注視していたら。

「っあ、すみませ……え?三ツ谷?」
「…おう、久しぶり、みょうじ。つか前見て歩け?俺じゃなかったらあぶねーぞ」

とんっとぶつかった誰かの身体に慌てて顔を上げて瞠目した。目の前で眉を下げ仕方なさげに笑ったその人はあの頃よりも随分と伸びた髪をお洒落なツートーンカラーに染め、変わらず耳元にごついデザインのピアスを飾る、かつての友人。

「…久しぶり三ツ谷、大きくなったね」

12年ぶりに会った中学時代のクラスメイト、三ツ谷隆は私のその言葉に対しきょとんと目を瞬くと「親戚のおばちゃんじゃねーんだから」そう言って吹き出した。笑顔を浮かべる12年後の、大人になった三ツ谷を何とも言えない気持ちで見ているとその視線をどう捉えたのか。彼はまっすぐに私を見た後で「…そっか、千冬の言う通り思い出したんだな」まるで噛み締めるようにぽつり、言葉を紡ぐと整ったその顔をくしゃりと歪め笑って。

「おかえり、みょうじ」

あの頃と何一つ変わらない、柔らかく細められた酷く優しい双眸にずっとギリギリのところにあった私の気持ちはいとも容易く決壊した。



「とりあえず俺ビール。みょうじは?」
「ん、私もビール。千冬くんはどうする?」
「あー俺は今日車なんでノンアルで」

りょーかい、そう言って店員さんを呼ぶ三ツ谷を横目に私はメニュー表に目を落とす。


千冬くんが指定した居酒屋の前で12年ぶりに三ツ谷と再会した私はそれはもう小さな子供のように泣きじゃくった。

「仕方ねーなぁ」そう言ってあの頃と同じように…いやあの頃よりもっと広くなったその胸を泣き止むまで貸してくれた三ツ谷は仕事終わりでただでさえよれよれぼろぼろのこの酷い顔を周りの目からそっと隠し通してくれた。

店の前で泣くという醜態を晒し、目をパンッパンに腫らした私の手を引き予約していたという居酒屋の個室へと誘導した彼は「もうちょいしたら千冬も着くって」と冷えたおしぼりを私の手に乗せた。

どうやら元々今日は彼ら二人でご飯の予定だったらしく、待ち合わせをしていたところ千冬くんから「なまえさんもいいですか?」と急にメッセージが入り、なんとなくピンときたのだと三ツ谷は言った。


それから私たちより10分ほど遅れて個室に入って来た千冬くんは「お疲れ様で…っえ!?三ツ谷くんもしかして泣かしたんすか!?」と私の顔を見るなり狼狽した。久々の再会に感動しただけだと笑って誤魔化せば「そう…ならいいっすけど」とどこか納得のいかない表情で唇を尖らせた私たちの可愛い後輩。

おそらく自分だけ仲間外れにされているとでも思ったのだろう、気に入らないと表情で語る彼を上手に宥めたのは「千冬、それより早く乾杯しよーぜ。俺腹減ったわ」ドリンクメニューを広げ「とりあえず俺ビール」そう言って歯を見せ笑う三ツ谷だった。



「そういや、このメンバーで集まるのって初めてじゃね?」
「確かにそうっすね」

届いたグラスをぶつけ合い乾杯を済ませてから、お通しに手を付けた三ツ谷がそう言った。千冬くんはノンアルコールカクテルについているストローをくるくる回しながら「中学ん時はなかったかもなぁ」と続ける。確かにあの頃を主軸に考えた時、千冬くんと三ツ谷が二人で出かけるイメージはあまりないかもしれない。

「ていうかさ、三ツ谷は今何してんの?」
「俺?あー…一応デザイナー。駆け出しだけど」
「デザイナー!?すご!さすが元手芸部部長だね」
「なんだよそれ。そういうみょうじは何してんの?」
「私は看護師してる。母親がそうだったから小さい頃から憧れてて」
「へぇ!そっちこそすげーじゃん。子供の頃の夢叶えたん?」
「んーまぁ、そういうことになるのかな」
「そっかぁ…あ、注射とか打てんの?」
「はは、一応ね」
「げぇ、俺注射だけはマジで無理なんすよねー…特にあれ、血採られるやつ…なんかぞわぞわするっつーかキモチワリーっつーか」
「ふーん?そっか、千冬くんは注射が怖いのか」
「は?いや別に、怖くなんてないっすよ!ただいつまでも慣れねーしキモチワリーってだけで。ね、三ツ谷くん」
「いや、俺は平気だけど?ていうか割と好き」
「はぁ?あんなの好きとか、頭打ってんじゃねーすか!?」
「あ?誰が頭打ってるって?」
「ナンモナイッス!サーセン!」

凄んだ三ツ谷からさっと目を逸らし誤魔化すようにグラスをあおった千冬くんを見てつい声を上げて笑ってしまう。一虎は置いといて、自分よりも年上の同性といる時の彼はなんだかとても生き生きして見える。末っ子属性というか可愛がられることに慣れているというか。

けれどそう見えるのはもしかするとただ私が浸っているだけかもしれない。あの頃と同じ“後輩”の千冬くんと“先輩”である圭介と過ごした、懐かしいあの日々に。

思い出を振り返りつつ笑みを浮かべたままビールを口にする私を見て表情を緩めた三ツ谷は「みょうじが看護師かぁ…」そう呟いてどこか遠い目をした。一杯目の酒をほとんど飲み干し目を伏せるとしみじみ「大人になったんだなぁ」とまるで私の親のような口ぶりでこの12年を浸るので、つい揶揄いたくなって「パパ、もう一杯ビール飲む?」なんて可愛こぶってドリンクメニューを差し出してみる。

すると勢いよく口の中のものを吹き出した三ツ谷は「ちょっ三ツ谷くんきったね!」と服に半分ビールが掛かったらしい千冬くんのことなんてガン無視で唖然とした顔で私を見た。そして「なんかそれ…ちょっと違う意味に聞こえたわ」と顔を青くし身震いするので笑いを堪えるのに苦労した。ごめんて、睨まないで。

しかし大人になったのは目の前にいる彼らこそだと思う。二人ともそれぞれ自分のやりたいことをやっているし、独立までしているのだ。「みんな大人になったよね」小さく呟いた私の声に三ツ谷と千冬くんがどんなことを思ったかは分からなかったけれど、落ちた沈黙をかき消すように続々と届き始めた料理を前にして空腹を訴える腹の虫が一際うるさく鳴いた。

居酒屋のメニュー表を飾る料理たちはどれもとても美味しそうに見える。だし巻き卵にチーズか明太マヨのどちらかをトッピング出来ると聞いて私はかれこれ5分は悩んでいた。だってどちらも捨て難い。

「両方頼めば?」
「うんそうする」

刺身に手をつけていた三ツ谷の呆れたようなその一言に押され二つ注文するとややあって届いたそれはどちらも涙が出そうなほど美味しかった。目を輝かせて咀嚼する私を見た千冬くんが嬉しそうに笑って「よかったっすね」そう言った。



宴もたけなわ。お会計を済ませ店を出た頃にはもう終電も走っていないような深い時間となっていた。「二人とも送りますよ」当たり前のようにハンドルキーパーを買って出てくれた千冬くんは駐車場まで車を取りに行くと私たちの側を離れていく。小さくなっていくその背中を三ツ谷と二人見送っていると、彼は何を思ったか。今思い出したといわんばかりに私もよく知る彼の話題を口にする。

「マイキーってさ、いつも何考えてっか分かんねーけど…とりあえずひたすら自由なやつって感じしねぇ?」
「はは、する」
「中学ん時あいつさ、暇だからって気まぐれに俺ら呼び出してちょっと遠出しよってツーリングに誘ったかと思いきや腹減ったからやっぱファミレス行こ、とか平気で言いやがんの。ちょっと遅れただけで機嫌悪くなるからさ、いっそいで準備したのにそれ…あん時はマジでイラッとしたね」
「ふふ、うん、なんか想像つく」
「だろ。…でもさ、あいつ、本当は人一倍繊細なんだよな」

遠くかつての仲間に思いを馳せるように、三ツ谷はゆっくり目を閉じると私の知らないあの日の話を語って聞かせてくれる。

「エマちゃんの葬式が終わってすぐ、あいつほとんど毎日お前の病室に通ってた。みょうじのばあちゃんと母ちゃんに会う度頭下げて、自分のせいだって何度も何度も謝って…あのマイキーがだぜ?」
「…なんで、」

あれは、あの事故は万次郎のせいなんかじゃない。むしろ責められるべきは私の方だ。エマを守れなかった。万次郎の大事な家族をちゃんと守ることができなかった駄目な私のせいなのに…どうして。じわり、浮かんだ涙のまま三ツ谷を見上げれば彼は少し困った顔をして続きを紡ぐ。

「お前の家族はあいつのこと一度も責めなかったよ。むしろ迷惑かけてごめんねって、守ってくれてありがとうって泣きながら感謝してた。…でも、そう言われてる時のマイキー、なんかすげぇ辛そうな顔してた」
「…ん」
「ようやくお前の目が覚めたって連絡あった時、あいつさ、泣きそうな顔して笑ってたよ。よかったって、ちょっとだけ目の下に隈なんか作って。何年も一緒にいたのに俺、マイキーのあんな顔はじめて見たんだ」

その先の残酷な未来を知ってしまっている私はもう、彼の話をこれ以上まともに聞くことは出来なかった。堪えきれず流れ落ちる大粒の涙を隠すように両手で顔を覆うと隣からも小さく鼻を啜る音がした。…三ツ谷も、泣いているのだろうか。

「それからちょっとして、目が覚めたお前に会いに行ったんだ。そしたらさ…誰?って戸惑った顔で言われた。俺らのこと、なんにも覚えてねーって…夏からの記憶がねーんだって」
「っうん…」
「俺さ、あん時めっちゃ辛かった…ダチに自分の存在忘れられるのってこんなキツいんだって思った。でも、じゃあマイキーは…?お前のことめちゃくちゃ大切に思ってたあいつはずっと、どんな想いでいたんだろうってそう思ったら…っもう、だめでさぁ」

みょうじが悪いわけじゃないのに、こんなこと言ってごめん。そう言って三ツ谷は片手で自分の顔半分を覆った。初めて見る彼の涙に罪悪感とも後悔ともまた違う苦しみが胸の奥から押し寄せてくる。

「っごめ、みつや…ごめん、辛い思いさせてごめんね…っ」
「…っ」
「だいじなこといっぱい…忘れてごめん…っ」
「っちが、みょうじは悪くねぇよ…っ」

三ツ谷の言う通りだと思った。真ちゃんもエマもいなくなって、血の繋がりはなかったにしろ真ちゃんと繋がっていたイザナまでいなくなって…万次郎はどんな思いで私の病室へ通ってくれていたんだろう。目覚めた私が再会してから今までの、二人に関するすべての記憶を持たないと知った時…彼は一体どれほどの孤独に苛まれただろう。

「どうしよう、三ツ谷…私、また万次郎を傷付けちゃった…っ」

私の大切な幼馴染み。わがままで強がりで、自分を大切にすることを知らない…とてもとても優しい人。生まれてはじめて何よりも守りたいと思った、大好きな人。

「どうしよ…っう、どうしよぉ…」
「ん、お前も、しんどいよなぁ…」

隣に立つ彼の服を握り締め嗚咽を漏らす私と、鼻を啜りながらも私の背中を優しく撫でてくれる三ツ谷と。いい大人が二人して往来のある店先で泣いているという異様な光景に通行人たちからはたびたび好奇の目を向けられる。けれどそんなもの今は気にしてる余裕なんてなくて。

「…っ万次郎に、会いたい…」

会って、謝って、今度はちゃんと笑顔で好きだよって言いたい。震える涙声でそう言った私に三ツ谷はややあってから「…そうだな、そうだよな」と何度も頷きながら私の背を撫でる手に力を込めた。



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