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佐野万次郎の回想


※本編9話 佐野万次郎視点




「お前、千冬と仲良いよな」
「え?なに急に…うんまぁ仲は良いよ」

とある午後、俺の部屋。かつてシンイチローが使っていたソファの上にうつ伏せになり携帯を触っていたなまえは、真正面のベッドであぐらをかき自分を見下ろす俺を不思議そうな顔で見返した。そして急に何かを思い出したかのようにぱっと表情を明るくさせると「これ見て」と今さっきまで見ていた携帯の画面を俺の方へと向ける。

「なん?猫?」
「そう、千冬くんが飼ってる猫のペケJちゃん!可愛くない?この間抱っこさせてもらったんだけどめっちゃふわふわ毛並みでさぁ…」
「は?千冬ん家行ったの?一人で?」
「ううん、タケミッチも一緒」
「…ふーーーーん?」

百歩譲ってまぁこいつがあいつらとダチなのは認めよう。ただ気に食わない。年頃の男の中に女が一人、何かあってもおかしくはないその状況が超絶気に食わない。果たしてこいつはそういうことを分かって行動しているのだろうか。いやぜってぇ分かってねぇわ…ムカつく。

ま、相手が千冬とタケミッチだから?ねーとは思うけど?あったら…いや起こる前に殺すけど?

わざとらしく“ふ”と“ん”の間に強弱までつけ不機嫌をアピールしたというのになまえは険しい表情をしているだろう俺をじっと見つめた後で申し訳なさそうに眉を下げ「あ、ごめん…万次郎も行きたかった?」なんて的外れにも程があることを宣うので一気に全身の力が抜ける。こいつまじなんなん…くそ、可愛い顔しやがって。わざとかコラ。

「別にぃ…俺猫好きじゃねーし」
「ふーん。じゃあ万次郎は飼うなら何がいい?犬?鳥?それともメダカ?」
「お前それバカにしすぎじゃね。んー…ライオンかな」
「は?急に何言ってんの?」
「強いじゃんライオン。知らんけど」
「いやまず一般家庭で飼えないしそれ…」
「ふーん?興味ねーしどーでもいー」
「なにそれ適当だなぁ」

呆れたようななまえの声を半分聞き流しながらごろんと身体を横に倒す。




つい数ヶ月前、2年ぶりに再会した幼馴染みのみょうじなまえ。あの夏、シンイチローが死んで、その悲しみを…空虚を受け入れられなかった俺たちは生まれて初めて離れ離れになった。気付けばこの街から消えていた彼女を探そうともしなかったのは、きっとこれでいいのだとこれが正解なのだと何度も自分に言い聞かせたからだ。

しかしあれから2年経ち、芭流覇羅と…一虎とぶつかった日。自身の命を投げ打ってまで俺と一虎を繋ごうとしてくれた場地が眠るその場所で俺はもう一度なまえと出会った。

2年前よりも随分と大人びた顔で俺を見つめる彼女に何かを言おうとして、でも言葉が出なくて。そんな時、突然見舞われた酷い雨。一瞬で上から下までずぶ濡れになり、髪の毛からいくつもの雫を落としながら小さなくしゃみを漏らしたなまえの手を気付いたら引いていた。

連れ帰った自宅。エマに促されるまま順番に風呂を済ませ久々に囲んだその食卓でなまえはあの頃と同じように笑っていた。エマやじいちゃんと楽しげに会話をする姿を盗み見て内心ほっと息を吐く。なまえはそんな俺の視線に気付いているのか、時々窺うような目を向けてくる。

それがなんだかむず痒くて落ち着かなくて、まともに目すら合わせられずぶっきらぼうな言葉しか出てこなかった。

同日、深夜。小さく降っていた雨も止み月が顔を出し始めたその時分にうっすらと覚醒した意識を引きずって俺は自分の部屋を出た。母屋の玄関扉の鍵をのろのろと開け後ろ手に閉める。…トイレ。小さく呟いたその声は静かな廊下に響くことなく落ちていく。

目当ての場所へと辿り着いて用を足し、水で濡れた手を適当に振りながら自室に戻ろうとした時、廊下の向こう側に一人佇む彼女が見えた。

縁側に続く掃き出し窓から雨上がりの空を見上げ目を細めたなまえは、その横顔に淡い月の光を纏いそっと静かに目を伏せた。人工的な明かりのない不確かな環境がそうさせるのか、神秘的にも見えたその光景にまるで引き寄せられるかのようにそちらに足を向ける。

「…寝れねーの?」

声を掛ければややあって俺を視界に入れたなまえが「トイレ?」そう言って首を傾げた。まともにかち合ったその視線に頷きつつ目の前まで近付くと俺の寝癖を見て笑ったなまえが「おやすみ」と酷く優しい声で言う。子守唄のようなそれに瞼を下ろしかけるも、離れていこうとするその背中を認めた瞬間、俺は咄嗟にその名を呼んでしまっていた。

「なまえ」

呼べばしっくりとくるこの名前。なまえは振り返り、自身の名を呼んだ俺を瞳に映すと首を傾げて次の言葉を待っていた。不思議そうな、けれど穏やかなその顔は似ているわけもないのに何故かアニキを彷彿とさせた。…こんななまえ、俺は知らない。

2年前。アニキを返せと涙ながらに叫び、敵を見るような目を俺に向けた…あの時の愚かで幼い彼女はもういなかった。だからだろうか。誰かに言うつもりなんてなかった、心の奥底に仕舞い込んでいた筈の感情が溢れ出したのは。

「場地…死んじまった」
「…うん」
「一虎もパーも、捕まっていなくなった。残ったのは、ケンチンと俺と、三ツ谷だけ。創設メンバーはもう、半分しかいねぇ」
「そう」
「…俺、間違ってたのかな。どこを、何を、間違ったんだろう」

それは自分自身への問いでもあった。俺はなにを間違えたのだろう。どうすればよかった?何が正解だった?考えれば考えるほど分からなくなる。目の前がすべて真っ黒に塗り潰されるみたいに視界がぐらぐらと揺れる。…分からない、もう何も分からない。

そんな俺を呼ぶ声がする。万次郎って一番好きな呼び方で、物心ついた時にはもう既にシンイチローと同じくらい俺の世界の中心だった彼女の柔い声がする。

なまえは言った。俺が間違ってたかどうかは分からないって。ただ場地が俺のことも一虎のことも仲間だから守りたいのだと、きっと他の誰にも漏らしていないだろうその本音をここにだけは伝えていたのかとそう思ったら何だか複雑な気持ちになった。

だから一虎に会いに行ったと、ずっと一虎のことが憎かったとなまえは言った。ここにきて初めて見せた弱々しい彼女の表情は今にも泣いてしまいそうだというのに無理に貼り付けた笑顔のせいで酷く痛々しく、ぼんやりしていると自分までつられてしまいそうだった。唇を引き結び、自分もそうだと告げた俺になまえは「酷いことを言ってごめん」と深く頭を下げる。

…それは俺の台詞だと喉元まで出かかった言葉はすんでのところで呑み込んだ。アニキがいなくなって自分と同じくらい傷付いただろうなまえに、日に日に生気を失っていく好きな女に優しい言葉の一つも掛けてやれなかったことを俺は未だに悔やんでいた。いろんなことが重なりすぎて自分のことでいっぱいいっぱいで、出来たのは精々その手を引っ張って思い出から遠ざけることだけだった。

途端にじわりと熱いものが込み上げる。悲しいわけでも辛いわけでもないのに後悔という名の消えない罪は今でも俺を苦しめる。情けない顔を見られたくなくて逃げるように掃き出し窓を開け縁側に腰を下ろすとしばらくして後を追うようになまえが俺の背後に立ったのが分かった。

なまえは間違ったこと言ってねぇよ。漏れたその言葉は紛れもない自分の本心だった。…そう、悪いのは全部俺だ。シンイチローが死んだのも、場地が死んだのも。仲間が次々いなくなるのも。全部全部俺が悪い。だから俺が苦しむのも、悲しむのもおかしいんだ。そうして今までずっと暴れ出してしまいそうなこの心をひとり守ってきた。誰にも明かさず悟られず、付けいる隙さえ与えないように自分の身も心も守ってきたのだ。それなのに。

「万次郎、違うよ…それは違う」
「…でも、じゃあなんで…?なまえ…俺のせいじゃなかったら、なんで、シンイチローは殴られて死ななきゃいけなかったの」
「っ万次郎」
「なんで…シンイチロー、もういねぇの?」
「万次郎、ごめん…ごめんねっ」

なまえはいとも容易く俺の心に、身体に触れてくる。握ったら折れてしまうんじゃないかと思うほど細いその腕を震わせて俺の頭や肩を強く引き寄せ、当然のように自身の胸の中に招き入れる。聞こえる彼女の心臓の音。どくどく、やけに早鐘を打つそれは果たしてどちらの音なのだろう。ぎゅっと更に強く抱き締められた時、堪えきれずに溢れた涙。

…ああ、どれくらいぶりだろう。こうして誰かに身を預けたのは。柔らかくて温かくて優しい、いい匂いがする。なまえってこんなんだっけ。こんな甘いにおいだったっけ。

「っ真ちゃ、真ちゃんは…もう目には見えなくなっちゃったけど、今も絶対万次郎の側にいる。大丈夫、一人じゃないよ。エマも先生も万次郎の仲間も、みんな万次郎のこと大好きだよ。ね、今度は私も万次郎のこと守る。だから、だから…」

必死になって俺を慰めようと言葉を紡ぐ涙声に気付けば涙は止まっていた。あんなに真っ暗だった世界は今、小さな月に照らされて僅かな明かりを灯していた。目にいっぱいの涙を溜めたなまえを見上げる。彼女は泣いていない俺を見ると濡れた睫毛を一度伏せ、下手くそに笑った後でシンイチローの声真似をしてみせた。

お世辞にも全然似ていないアニキの真似に気付いたら泣いていたことも忘れて笑っていた。俺を包むなまえの細腕に触れる。こんなちっせぇ手で、身体で、俺を守ると宣った目の前の女に俺は何をしてやれるだろう?……そんなこと聞いたらきっとお前は言うんだろう。私が万次郎のこと守るって言ったばっかだけど?って張り合うみたいに悪戯に。

ああ、そうだよな。なまえはそういうやつだったよな。



「…万次郎?ねむいの?」

頭上から聞き慣れた声がする。薄く目を開ければ触っていた携帯を仕舞ったらしいなまえが目の前までやって来ていて「もう、仕方ないなぁ」と零し、俺が足元に追いやったままだった毛布を引っ張った。「風邪ひくよ」短く告げて肩まで引き上げられたその毛布からは嗅ぎ慣れたにおいがしてついうとうとしてしまう。

けれどまだ足りない。いつものあのタオルケットを探して毛布から手を出すと「ん」となまえがすかさず俺の手にお目当ての物を握らせる。……だがまだだ。まだ足りない。

「…なまえ、ここ」
「ん?あれ、起きたの?」
「ちがう…寝そう…はやく」

「きて」目を閉じたままぽんぽん隣を叩くと「えー…狭いもん」なんて不満を漏らしつつも俺が指定した場所のスプリングが軽く沈んだ。目を開ければ片足を上げてベッドに腰掛けたなまえが伸ばした俺の手を取るところだった。

「なぁなまえ」
「ん?」
「…俺、千冬もタケミッチも好きだけどさ」
「うん」
「あんま一緒にいるの…なんかやだ」
「え?」

ぎゅっと握ったその手を胸の中に抱きこんで目を閉じる。香水とは違うなまえの甘いにおいに急激に襲ってきた睡魔。抗えず意識を手放し細い彼女の腕に擦り寄りながら寝息を立てる俺は知らない。呆気に取られたなまえがじわじわと頬を染め「ばかだなぁ」愛おしそうに口元を緩めて俺の頭を何度も優しく撫でたことを。



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