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2005年8月31日


2005年8月31日。中学三年生である私にとって今日は中学最後の夏休みだ。じわりと滲む汗を拭いながら蝉の声が響く公園を抜けて、見えてきた団地を見上げる。まさかこうも彼と深く関わるだなんてあの時は思いもしなかったのに。いつの間にかそれが常であるかのように、今日も私はその場所へと赴く。

うだるような暑さも、きっとあともう少し。

「あら、なまえちゃん」
「あ、おばさんこんにちは」
「こんにちは。今日も暑いわねー」
「ですねー茹だりそうです。今からお仕事ですか?」
「そう、今日は午後からだから」
「毎日お疲れ様です」
「いつも気遣ってくれてありがとうね。なまえちゃんの爪の垢を煎じて圭介に飲ませてくれないかしら」
「いやーそれはちょっと…あ、圭介家にいますか?」
「ふふ、冗談よ。圭介ならさっき千冬くんとコンビニに行くって出掛けたから多分もうすぐ帰ってくると思うわよ。暑いから家で待ってなさい」
「はーいありがとうございます。あ、これ母からおばさんに。冷蔵庫で冷やすよう言われたんで圭介に渡しておきます」
「わー嬉しい!お母さんには後でメール入れるけどなまえちゃんからもお礼を伝えてくれる?」
「はい」

自宅の鍵を私に手渡し「出掛ける時はいつもみたいにポストに入れておいてね」と言い残し仕事場に向かう圭介の母親を見送る。

2018年から気付けば2005年の私として過ごすようになって半月。あれから私はほぼ毎日のように圭介達と一緒にいる。というのも、ひょんなことからここにいる私が未来の私だということを圭介に知られてしまったからなんだけど。



墓地で再会を果たした数日後、そういや連絡先消したから教えてと圭介の家を訪ねた私を呆れた顔で部屋へ招き入れてくれた彼は某有名カップ焼きそばの湯切り最中だったらしい。タイミングわりーなぁと不満を零しつつ、お前昼は?まだなら食う?と常備してあるそれを出してくれたので有り難く頂戴することにする。

「…そういやこの辺で見かけねーなって思ってたんだけどお前ん家引っ越した?」
「あ、うんじゅう、じゃなくて…2年前にね。おばあちゃんの調子が良くなくて一緒に住むことになってさ」
「ふーん。ばあちゃん、今は大丈夫なのか?」
「うん、ちょっと耳が遠いくらいだよ。引っ越した後割とすぐ元気になったし今もピンピンしてる」
「そりゃよかった」
「うん…ただ、もう数年したら認知症になっちゃって施設に入るんだけどね」
「…は?もう数年って…てかニンチショーって何?」
「…え?」

麺を口元まで運びかけた手を置いて、圭介が不思議そうな顔で私を見る。認知症という言葉を知らないらしい彼を見て、そっか、私も中学生の時はそんな言葉聞いたこともなかったよなー…あれ?と。そこまで考えてようやく自分の失態に気が付き血の気が引いた。

やばい、今のは完全にやらかした。

「いやーえっとーそう!お母さんが言ってたんだよね!看護師だから!」
「…ふーん?」
「認知症ってのは脳の病気のことらしいよ!はいここテストに出るから覚えておきなさい!」
「いやセンコーかよって」

探るような目をしている圭介をまっすぐ見れず、明後日の方向に視線を飛ばしながら言い訳をかます。さすがに苦しい気もするがここは知らぬ存ぜぬで通すしかない。ねぇとりあえず早く食べようよ、ペヤング伸びちゃうよ。

やや冷め気味の麺を咀嚼しながら、先程からリビングで流れているお昼のニュース番組に視線を固定する。一度どこかで耳にしたような内容も時々あるものの、流石に15年も経っているとほとんど記憶にない為どれも新鮮に感じる。へーそうなんだーなんて独り言を漏らしながら観ていると先に食べ終えたらしい圭介が頬杖をつき、私を見てこう言った。

「…なんかさぁ、俺、お前のこと分かんねーなぁって思うことあんだけど」
「え、なに急に…別れ間近のカップルみたいなこと言うね?」
「いやそれだけは無理だけど」
「あん?」
「なんつーか、上手く言えねーけどぉ…たまに俺の知ってるなまえじゃないような気がするっつーか」
「っ!」

真剣な顔をして、まるでそれが答えだろうとでも言いたげな圭介から今度は視線が逸らせない。誤魔化そうと思えばきっといくらでも誤魔化せた。だけど私自身、誰にも言えないこの再体験を一人で抱えるのはいい加減苦しくなってきていた。だからつい、口走ってしまったのだ。

「あのさ…多分、信じられない話なんだけど。私、本当は28歳だって言ったらどう思う?」
「…は?」

ああ、人って本気で驚いたらこんな顔するんだなぁという表情で固まった圭介。しばらくすると、ようやく今の言葉を理解し始めたらしい。首を捻ってもう一度、は?と短い疑問符を浮かべた。

「だから、私、本当は28歳なの。今から13年後の2018年から気付いたらここに来てた」
「おま…マジ…」
「いやドン引きじゃん」
「そりゃ急にんな事言われりゃな」
「そうだよね…なんかごめん、忘れて」

確かに、急にそんな非現実的な話を聞かされても信じられるわけがない。もし私が逆の立場でもそうだろう。今ので100%やばい奴だと思われただろうな…あ、その顔はもうこいつとは関わりたくねーなーとか考えてるやつだ絶対。つら。

「おい、なに泣きそうな顔してんだよ」
「だって…絶対やばい奴だと思ったでしょ」
「まぁ思ったけど」
「もう私とは関わりたくないって思ったでしょ…」
「いや、別にそこまでは…」
「…私も、なんでこうなったか全然分からないんだ。あの日、同年代くらいの男の人とぶつかって、そしたらその人写真を落としたのね。中学生くらいの男の子が何人か写ってて、そこに万次郎もいてさ。多分、万次郎の知り合いなんだと思う。だから、咄嗟に追いかけたんだけど…その途中で私、トラックに跳ねられたんだよね…多分」

あの時の状況を思い出しながら喋るものの、最後の記憶があやふやなせいか尻すぼむ。あの時握り締めていた筈の写真は目が覚めたら何故か消えていたし、今これといって提示できる証拠もない。

これ以上どうすることも出来ず、私をじっと見ていた圭介を見返せば、彼は何かを逡巡するかのように視線を巡らせた後大きく息を吐いた。

「その、なんだ…2018年?でぶつかった奴、こっちで見たことねーの?」
「いや見たことはないけど…え?てか、今の話、信じるの?」
「信じるか信じねーかで言ったら、正直あんま信じられねぇ。…でも、嘘じゃねーんだろ?」
「…嘘じゃないよ」
「ん、分かった」

つーか13年後ってどうなってんの?全然想像つかねーんだけど。圭介は笑いながらそう言ったかと思いきや急に慌てたように立ち上がって。

「なんで泣くんだよ!」
「だって…」
「あーもー泣くなって」

その勢いのままテーブルの上のティッシュペーパーを凄い勢いで毟り取り、私の顔に押し付けた。きっと彼なりに慰めようとしてくれたようだが押し付ける力が強すぎて痛みが勝り余計に涙が出た。昔からこの男は馬鹿力なのだ。

「うっ圭介ぇ、これ痛いよぉ…」
「あ、わり」



たった半月前のことを随分と昔のことのように思い出しながら、もしあの頃の私がこの現状を知ったらどう思うだろうと想像して、あり得ないかと独り言ちる。渡された鍵を使い、見慣れた場地家の玄関を潜り抜けた時、聞き覚えのある声がふたつ階下から聞こえて。

「おーい圭介〜、千冬く〜ん」
「あ?なまえ、お前いつ来たの」
「たった今。そこでおばさんと会ってさ。二人はコンビニでしょ?何買ってきたの」
「えっと、ジュースとー」
「バカ隠せ千冬、たかられんぞ」
「うわ圭介うざーい」

閉まりかけていたドアから顔を出せば、白い袋を下げた千冬くんと圭介がちょうど帰ってきたところだった。他人の家なのにも関わらず我が物顔で「はいお帰り」と声を掛けた私に圭介が「俺んちだけどな」とテンポ良く返してくる。玄関で靴を脱ぐ二人を見守っていると千冬くんが思い出したように私を見て持っていた袋を掲げてみせる。

「なまえさんのアイスもちゃんと買ってきたっすよ」
「さすが千冬、最高かよ」
「でしょう。もっと言ってください」
「君がナンバーワン」
「うわ…なまえさんセンスなっ」
「ちょっとこの後輩くそ生意気なんですけど」
「おい馬鹿共、くだらねーことやってっとアイス溶けんぞ」
「あ、そうだったガリガリ君が溶ける…場地さんこれ冷凍庫入れてもいいっすか」
「おー」
「圭介、これお母さんからおばさんにって預かったやつね。千冬くーんこれも冷蔵庫〜」

いつしか当たり前になっていたこの光景。きっとこれから先も当たり前にあると思ってた。昼食は済んでいる筈なのに、腹が減ったと言い出し例のカップ麺を引っ張り出した圭介と、俺もっすと言い出した千冬くん。結局1個しか残ってなかったけど仲良く二人で分け合う姿を見て、ああこれもいつもの光景だなぁ、なんて。

まだまだ青い彼らが少し眩しく見えた、そんな夏のこと。

まさかこれが君と過ごす最後の夏になるなんて、この時の私は知る由もない。



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