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2006年1月下旬


千冬くんとタケミッチが我が家にやって来てから数日。私は彼らから聞かされた未来の話を時々思い出しては反芻しつつも、今はそれどころじゃなかったと頭を抱える日々を送っていた。何故なら志望校の推薦入試がもうすぐそこまで迫っているのだ。

毎日毎日勉強漬けで頭がおかしくなりそう。こんなに勉強したのっていつぶりなんだろう…それこそ高校受験だとか大学受験の時以来か。学生時代の私、よく耐えられたな…。

頭の痛い思いをしながらも、ここが追い込みの時期だということは過去の経験で痛いほど分かっている。一度経験したものの、私の就きたい職業は変わらないのでその道へ進む為にここは踏ん張りどころだということも。それにしても再来月にはもう中学卒業だなんて、少し信じられない。



勉強の合間に、ふと2018年の自分を思い返してみる。相変わらず友人はやっちゃん一人で、真ちゃんを引き摺って恋人を作る気にもなれず、毎日をただ生き急いでいた。

あの日、目の前まで迫っていたトラックを見て死を覚悟した瞬間、私は半分安堵して半分絶望した。このまま逝けば、もしかしたらあの世で真ちゃんに会えるかもしれないなんて不確定な希望に縋りかけて。けれど心のどこかでは、このまま後悔を残したまま、二度と万次郎に会えないままでいいのか?と自問する声もあった。

結局どちらを選ぶことも出来ずに、気付いたら過去にいた私はそこでいろんな出会いと繋がりを得た。…失くしてしまったものもあったけど、それでも今、しっかりと前を向いて進むことが出来ているのは私を想い手を引いてくれた彼らがいるお陰だと思う。

携帯を手繰り寄せ、連絡帳を開いた。かつては親とやっちゃんのみで構成されていたそこに彼らの名前が並ぶのを見ただけで、何だかとても勇気づけられるのだから不思議なものだ。

やるか。自然と口をついて出た前向きな言葉、自分自身に喝を入れて最後の追い込みに取り掛かった。



なんとか無事に入試も終わったある日のこと。お昼過ぎ、携帯に着信を知らせたのは万次郎で「試験終わったん?ならちょっとドライブでも行かね?」と久しぶりに私を外出に誘った。その誘いを二つ返事で受け、寒いから厚着してこいよとのアドバイス通りコートの下に何枚も着込んで家の前で万次郎が来るのを待つ。

「お待たせ、厚着してきた?」
「うん、下にいっぱい着てきた。万次郎は…薄着だね。寒くないの?」
「ん?俺もこの下にいっぱい着てる」
「そうなんだ…ていうかどこ行くの?」
「んーそれは着いてからのお楽しみ」

大晦日同様、我が家の前でバイクを停めた万次郎の後ろに乗り込み、行き先を尋ねてみるも返ってきたのはそんなサプライズじみた返答だった。これは多分何度聞いても答えは同じだろうなと早々に質問を切り上げ、移り変わっていく景色を堪能することにしたが、しかし寒い。

ヘルメットを被りマフラーに顔を埋めても、通り過ぎていく風はとても冷たくて凍えそうだった。運転している万次郎は私以上に全身で風を受けているだろうに平然としていて、普段から乗り慣れている様子が窺えた。



「着いたよ」

しばらく道なりに走らせていたバイクがようやく停車する。大きく伸びをして運転席から降りた万次郎は、よっとなんて掛け声と共に海壁の上へと飛び乗った。

周りをぐるりと見渡してみる。万次郎が行き先も告げず私を連れて来た場所、そこは何の変哲もないただの海沿いのようだった。海を隔てるコンクリートの塀を挟んだ向こう側には、まるでそこに浮かんでいるかのように見える工場地帯があって、それ以外は何もない。

「なまえ、こっち」
「うん…うう、寒いなぁ」

万次郎の後に続くように海壁へと登り、その隣に腰を下ろせば冷たい潮風に髪の毛が煽られて反射的にマフラーを引き上げる。私を見て、そんなに寒い?なんて聞いてくる万次郎の温度感覚は一体どうなっているのだろうか。

「風冷たい」
「そ?気持ちいいじゃん」
「顔が痛い」
「じゃあこれ貸してやるよ」

そう言って自分のマフラーを外した万次郎は、それを私の顔にぐるりと巻いた。いやあの、ミイラマンじゃあるまいし…これじゃ何にも見えませんけど。

「万次郎、見えない」
「もーわがままだなぁ、なまえは」
「え?そんなことある?」

理不尽すぎる。不満を零した私を軽くあしらって「ほら、これで見えるだろ?」何故か困ったように笑いながら私の鼻が隠れるくらいまでの位置にマフラーを整えてくれた万次郎に、仕方なくこれならいいと頷き返す。一瞬頬に当たった彼の手はこの寒気に比べて随分と温かかった。顔を上げると驚くほど近くにその顔があって息を呑む。しかしそんな私とは対照的に、万次郎はその体勢のまま微動だにせず、視線だけをどこかに投げて何かを思案しているようだった。

「…万次郎?」
「ここ、よくシンイチローとドライブに来てた場所なんだ」
「…そっか」
「今でもたまに一人で来る。何にも考えたくないときとか、何か決断しなくちゃなんねーとき」
「そう…今日はどっちなの?」
「今日は…どっちもかな」

言ったっきりぼんやりと、海面へ視線を落とした万次郎。何かあったのか、そうでないのか。こればかりは本人にしか分からないし、もし話したくなったら自分から言ってくるだろうとゆっくり腰を上げる。

「どこいくの?」
「あそこの自販機。なんかあったかい物買ってこようかなって…万次郎なんかいる?」
「んー…あったかいお茶がいい」
「分かった」
「なんか腹減ったな…あ、たい焼き発見。なまえも食う?」
「どこにあったのそれ」
「ポケットに入ってた。ちょうど二個」
「じゃあ、あとで貰う」

先に飲み物買ってくる、そう告げて道路を挟んだ向かい側にポツンと立っている自販機へと向かう。たい焼きを食べるなら私もお茶にしようとホットのボタンを二つ押し、出てきたそれらを両手に抱えて暖を取る。あったかいなぁ…ほわほわした気分になりながら、万次郎の待つそこへ足を向けると彼はちょうど誰かと会話を終えたとこらしかった。

それは見知らぬ青年だった。万次郎に背を向けたその人は、色素の薄い髪の毛を靡かせこちらへやって来る。知り合いなのかな?とちらり、視線をやれば驚く程ばっちりと目が合ってしまって。慌てて会釈をした私にその人はにっこりとした笑顔を貼りつけて世間話を振る。

「ここは海の近くだから風が冷たいね」
「え?ああ、そうですね」
「でも君は暖かそう」
「はぁ、まぁ、あったかいお茶買ったので…」
「よかったね。じゃ、また」
「?え、はい、また…」

ひらり、一度手を振るとその人はこちらを振り向くことなく去って行く。最後、またと言い残したことが少し引っかかったけれど別れの挨拶だろうと特に気に止めることもしなかった。しかし、何故だろう。知らない筈なのに、あの人とはどこかで会ったような気がする。遠くなっていくその背中をもう一度振り返り見ていると頭上で万次郎の声がして。

「なまえ、あいつと知り合い?」
「いや…多分、違うと思う。なんで?」
「なんか話しかけられてたじゃん」
「うん、まぁ」

海壁の上を歩いてこちらまでやって来た万次郎は去っていくあの青年に向けて訝しげな顔を隠そうともせずに「なんだ、あいつ」と不満を零した。何か言われたのかと首を傾げた私を見て少し考える素振りをすると、何故か手に持っていたたい焼きを掲げてみせる。

「…たいやきくんってさ、最後どうなるんだっけ」
「え?歌の?どうだったっけ…確か、食べられるとかじゃなかった?」
「なにそれ、意味わかんね」
「はー?万次郎が聞いたんじゃん」
「先に聞いてきたのあいつだし」
「ん?たいやきくんの話?」
「そ」

どっちにしてもよく分からない話だと眉を寄せた私を見て万次郎が「ん、なまえのぶん」とポケットから個包装されたたい焼きを一つ差し出した。



「あったまるー…」
「たい焼きにはやっぱお茶だな」
「だねぇ」

再び海壁の上。二人並んで座り、のんびりと海を見ながらたい焼きを食べお茶を飲む。なんてことない穏やかな時間に日頃の慌ただしさも忘れるようだった。温かいお茶を飲んではいるが相変わらず冷たい潮風を浴びながらうとうとし始めた万次郎が前に落ちやしないかと気に留めつつ、数日前にタケミッチから聞いた未来の出来事を思い出す。

万次郎の作ったチームも本人も、12年後には巨悪な存在へと変わり果て、ついには全部失くなったと何度も繰り返し見てきた彼は切なそうに呟いた。自らの手で全てを終わらせようとした万次郎が最期、どんなことを話し逝ったのかまでは語らなかったタケミッチだけれど、その話をした時の目が後悔と決意に燃えているのを見るに、きっとそれは変えなければならない未来に違いないと思った。

同じ未来から来たくせに何も出来ずもどかしいけれど、あの日、何か少しでもタケミッチの手伝いになればと申し出た私に返ってきた言葉は「出来る限りマイキーくんと関わって」だった。彼曰く、闇堕ちしてしまったらしい万次郎の直接の原因は分からないけれどきっと私の存在もどこかで繋がっている気がするというのが何度も過去と未来を往来している彼の所見だ。

関わりを持っている今は別として、過去では全く関係を絶っていたというのに万次郎の未来に私が関係しているとは少し考え難いのでは。なんて思ったものの、真剣な顔でそう言ったタケミッチにノーとは言えず首を縦に振り今に至っている。

まぁ、こうして万次郎と関わっているのは別に言われたからというわけでもなくて、ただ私が一緒にいたいからなのだけど。…あ、やっぱ今のなし。

誤魔化すように慌ててお茶を一口飲み下し、息を吐く。白く濁った自分の吐息が静かに消えていくのをぼんやり眺めていたら、隣から割と大きなくしゃみが聞こえて。

「あれ、風邪?寒い?マフラー返そっか」
「んーいや大丈夫。そのまま巻いとけ。俺別に寒くないし」
「熱は…ないか」
「ん、お前の手の方が冷たい。寒いん?」
「…うーん、ちょっとだけね」

そう言うと、万次郎は自身の額に置かれていた私の手を取ってブルゾンのポケットの中へと誘導した。冷えていた指先はその熱をここぞとばかりに奪い、じわじわと温度を上げていく。…ああ、あったかいなぁ。ポケットの中でやんわりと握られた手を握り返す。表情を変えずぼんやりとこちらを見ていた万次郎は私と目が合うと途端に柔く微笑んだ。

「なまえの手はいつも冷たいな」
「うん、冷え性だから」
「ふーん」
「万次郎の手はいつもあったかいね」
「そう?」
「うん、湯たんぽみたい」
「湯たんぽて」

だっせぇ例え方。けらけらと可笑しそうに笑った彼を見て面白くないのは勿論私で。「そんな笑わなくてもいいじゃん」唇を尖らせそっぽを向けば、まるで子供のご機嫌取りのように繋がれていない方の手で軽く頭を撫でられる。じとり、恨めしげな視線をやれば、万次郎はそのまま私の髪の毛を何度も梳いた。上から下へ、流れるようにたっぷりと時間を掛けて。

「…万次郎?」
「ん?」
「どうかした?」
「…んーん、なんでもない」

なんでもない。そう言いながらも私の髪の毛に触れる彼の手はしばらく止まることはなかった。あの頃に比べれば随分と万次郎との距離は近くなったように思う。けれど、私はきっとまだ何にも知らないのだ。目の前で穏やかな表情を見せるこの人が本当の意味で抱えている、暗くて深いその感情を。



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