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2005年10月25日


千冬くんからメールが返ってきたのはそれから5日も経ってからだった。会えますか?と綴られた短いその一言にやはり何かがあったのだと確信した。私の学校からほど近い喫茶店での待ち合わせを要求した彼は、指定した時間よりも少し早くその場所に座っていた。

「ごめん、千冬くん待った?」
「いや全然待ってないんで大丈夫っすよ。なまえさん、なんか食いますか?」
「うーん今日はいいかな」
「ん。じゃあアイスティー?」
「あ、うんありがと。よく分かったね」
「そりゃあんだけ一緒にいたら覚えますって」

コーヒーは甘いやつの時だけっすもんね。そう言って笑った千冬くんが店員さんを呼んだ。圭介の家に行くのをやめてからこの子と会うのは今日が初めてだった。彼と出会って2ヶ月弱。まだまだ知らないことの方が多いけれど、私の嗜好を迷いなく頼む彼と同じように私にも分かることはある。

向けられたその笑顔は彼にしては少しだけぎこちない。傷だらけの顔が半分包帯で隠れているせいもあるのか酷く痛々しく、身体的にも精神的にも無理を強いているように見えた。

「千冬くん、その傷さ、圭介と連絡が取れないことと関係あるの?」
「…そのことで、なまえさんに言わなきゃいけねーことがあって」

歯切れ悪く逡巡するように視線を下げた千冬くんは、私がここに来る前に届いただろうグラスの残り少ない中身を煽ると決心したように顔を上げた。そして元を辿るように、ここ2ヶ月であった出来事を話し出す。

夏に起きた他チームとの抗争、チーム幹部の逮捕。それに伴って新しく幹部になった元敵チームの男。圭介はその男を疑っていて、尻尾を掴む為にまた別のチームに入ることにして、それで…順を追って聞いたその話は本当にここ2ヶ月のことなのか。性急に起こったであろう出来事に何だかこことは別世界の話のようだった。

「…場地さんは一人で芭流覇羅の内部を探るつもりです。あのチーム相当やべぇんすよ。だから多分、なまえさんにもしものことがねーように連絡絶ったんかなと」
「それならそうと言えばいいのに…さすがに心配した」
「俺もすぐに連絡出来なくてすいません、いろいろあって。…でもあの人、そういうことは言わねーから」

だから、俺が支えるんです。そう言った千冬くんの目には確固たるものが滲んでいてつい溜め息が漏れた。きっとこの二人には何を言っても無駄なんだろう。

「分かったよ、私には何が何だか分かんないから全部千冬くんに任せる。落ち着いたらでいいからさ、なんか進捗あったら連絡してほしいな」
「うっす。俺ともう一人で今、外から調べようってなってるんですけど、まだ何にも情報は得られてねーんで」
「そっか…」
「でも、さっきも言ったっすけど、あそこはとにかくやべぇ。半間ってやつもですけど、場地さんがつるんでる一虎って人も…」
「…一虎?」
「え、なまえさん、知ってるんですか?」

一虎、その名前には聞き覚えがあった。いや、ありすぎるくらいだった。未成年だからという理由でテレビでも週刊誌でも晒されることのなかった、過去の私が憎くて堪らなかった相手の名前だ。けれど今思えば私はどこでその名前を知ったんだろう。あの頃も今も、彼に関することなんて微塵も知りたいとは思わないのに。…いや、そうだ。あの時、万次郎から聞いたんだ。



真ちゃんが死んだ。その事実は葬儀を終えて数日経ち、テレビの向こうでどうしてこんな事件が起こったのか、なんて報道から非行少年へ向けてちんけな言葉を投げかける教育番組へと移り変わっても受け入れられるわけがなかった。

SSモータース。そこは真ちゃんの城だ。真ちゃんを求めていろんな人が集まった。普通のお客さんもいたけれどそれ以上に真ちゃんを慕う不良で溢れていた。それを見て、仕方ねーなぁと嬉しそうに笑う真ちゃんを少し離れたところから見る私もその中の一人だった。数日前まで確かにあったその光景は、玉座に座るその人が消えたと同時になくなってしまった。

「…なまえ、またここいんの」
「…万次郎」

それでも気付いたら店の前に来てしまう私の手を三回に一回の確率で万次郎が取る。決して家から近くないこの場所に彼はどういう思いで来るのだろう。表情を変えず現れる万次郎は毎回、言い聞かせるように言うのだ。もうどこにもいないよって。

「ねぇ、どうして…?どうして真ちゃん、死んじゃったの?」
「……」
「万次郎、私ね、真ちゃんと約束してたの。買い物に行く約束。万次郎の誕生日プレゼント、一緒に買いに行ってくれるって…そう言ってたんだよ」
「…うん、シンイチローから聞いてた」
「なのに、なのに…っどうしてもういないの…?」
「…なまえ、もう帰ろ」

硬いその声は何かを堪えるように私の手を引いて歩く。万次郎待って、そう声を掛けてもちっとも後ろを振り向かない彼はしばらくそのまま歩みを進め、それから止まった。名残惜しむように後ろを見続けている私を視界に入れると、耐えかねたように鋭い声を飛ばした。

「っいい加減にしろ!シンイチローは、アニキはっ…もう死んだんだよ!どこにもいねぇ!あそこにも!…何回行ったって同じなんだ。お前も、ガキじゃねーんだから、分かるだろ」
「…っ」
「…ごめん、でけー声出して」

帰ろ。そう言って再び私の手を握った万次郎。さっきよりも弱い力で引かれる手を力なく握り返す。今度はもう、後ろは振り向かなかった。その代わり枯れた筈の涙が頬を伝い始める。万次郎の言うことは尤もだった。理屈など痛いほど理解している。けれど心が、頭がそれについてこれてないのだ。

ぼろぼろと涙や鼻水を気にせず落として歩く私は先を行く万次郎がどんな顔をしているのか知ろうともしなかった。自分のことばかりだった。しゃくりあげ息苦しいとひたすら手を引かれるだけのずるい奴だった。私を牽引する万次郎から時々届く、泣くなって、なんて小さな声に反応も出来ず大声で泣いた。…私は、泣くことが出来たのに。



それからまた日が経って、私が真ちゃんのお店だった場所に行くことはなくなった。万次郎のあの言葉がずっと胸の中にあることも理由の一つだが、それ以前に家の中がバタついていたからというのもある。祖母の具合が良くないらしく、一人娘である母が面倒を見ることになったらしい。つまり、同居をするということなのだが。

「なまえ、荷物纏めてくれた?明日には引っ越し業者さん来るんだからね」
「大丈夫、あとちょっとだから」
「そう…あ、はーい!誰か来たわ、なまえ出て」
「うん」

あれよあれよという間に、私は明日この街を離れることになった。今通っている中学も転校だ。まぁ、といってもさほど距離はないのだけど。隣の区だし。入学してたったの4ヶ月。移動教室や食事の時に一緒に過ごす程度の友達は出来たけれど別に惜しいとも何とも思わなかった。女子の友情なんてそんなものなのかもしれない。…いや、私だけか。

来客を知らせた短いベルの音。玄関へ向かう私とは正反対に奥に引っ込んだ母親は、荷造りを再開し始めた。音のない家の中、忙しなく歩き回る母の足音だけが廊下に響いていた。

「…あれ、万次郎?どうしたの」

突然の来客。相手はよく知るその人で、扉を開けた私を見るなり話があると外へ誘った。万次郎に会ったのは実はあの日が最後だ。あの場所へ行くことがなくなったのもそうだが、真ちゃんがいなくなって、彼の家を訪れることがなくなったことも要因の一つだった。

万次郎は私を近くの小さな公園まで導いた。わざわざこんなところまで来なくても、話なんて我が家の玄関先でもよかったのではと思っていれば振り返った彼はまっすぐに私の目を見た。…こういう目をした時の万次郎に見つめられると私はいつも何も言えなくなってしまう。それは自身過剰な彼が時折見せる、不安げに揺れる孤独な瞳。

「なまえ」
「なに?」
「アニキを…シンイチローを殺したの、俺の仲間の一虎って奴なんだ」
「…え?」
「場地も一緒に店忍び込んで、バブを…シンイチローが俺にくれる予定だったあのバイクをあいつら俺の誕生日プレゼントにする為に盗もうとしたんだって。そんでアニキに見つかって…ビビった一虎が殴っちまったらしい」

淡々と言葉を紡いでいく万次郎に表情はなかった。昔から感情をあまり顔に出さない奴ではあったけど、今日はなんだかごっそりと何かが抜け落ちてしまったような、そんな顔をしていた。けれどこの時の私にはそれを気にかける余裕などなかった。真ちゃんを殺した犯人が、万次郎の仲間?圭介も一緒に?忍び込むとか盗むとか、殴ったとかどうしてそんなことに…ああ、だめだ頭が痛い。

「ちょっと待って…どういうこと?」
「場地が言うには一虎も錯乱してて、殺すつもりはなかったって…」
「っそうじゃ、なくて!ねぇ!…っ真ちゃんは、殴られて、殺されたんでしょ」
「…うん」
「じゃあその一虎って人が犯人なんだよね?」
「ん、」
「…万次郎、ねぇ、どうしちゃったの」

身近な、それこそ家族が殺されたというのに仲間だなんてどうかしている。万次郎からは怒りなんて感情は感じない。そう、まるで他人事のように淡々と話をするのだ。何も感じていないようなその光のない目はただただ真っ暗で、射抜かれると私まで深淵に引き摺られそうになる。ああ、やっぱり、みんなみんなどうかしているんだ。犯罪に手を染めた圭介も。他人の人生を終わらせたその一虎という人も。それから、私も。

「おかしいよ…なんで、なんでそんなの…普通に言えんの?」
「…なにが?」
「殺されたんだよ…真ちゃんは。万次郎の仲間が私たちと同じこの手で、殴って、殺して…奪ったんだよ」
「うん、分かってるよ」
「分かってないっ!」

やめて。もうこれ以上言ったら駄目だ。頭のどこかでそんな声がする。なのに止められない。止まってくれない。溢れだすのはこんな時だというのに私の根にこびりついて離れない、汚い嫉妬と僻みだ。私にはないものを全部持っている、万次郎に対する。

「…万次郎の、せいだよ」
「え…」
「全部、万次郎のせいだ…っ」

違う。そうじゃない。悪いのは真ちゃんを殺した一虎って人で万次郎はまったく関係ない。こんなのはただの八つ当たりと一緒だ。分かっている。なのに私の口からはとても理不尽で、それでいて彼を傷付ける言葉しか出てこない。

「返してよ…真ちゃんを、かえして…っ」
「…ごめん」

ああ、私、最低だ。

思えば万次郎とはいつだって衝突してばかりだ。小さい頃なんかどっちが真ちゃんと一緒にお風呂に入るか、右と左どっちで寝るのかと細かいことでよくぶつかった。

起因したのは幼い独占欲。それは幼年期をとうに過ぎ、お互い男女という境界線がはっきりしてきても尚続いた。何に対しての張り合いだったかは忘れるのに収まりどころを知らない口喧嘩は最後にはいつも耐えきれずに私が泣いた。負けることは悔しかったがキレた万次郎に凄まれると恐怖の方が先行したのだ。そんな私をいつも呆れ顔で慰め、万次郎に鉄拳を振り下ろして終わりにするのが真ちゃんだった。彼は私たちにとって、そういう意味でも必要不可欠な存在だった。

けれど万次郎は、どんなに真ちゃんから拳骨を食らっても叱られても滅多なことでは表情を歪めることはなかった。反射でほんの少し涙目になるくらいで私のようにみっともなく泣き顔を晒すことはしなかった。なのに。

「ごめん…」

はらはらと、見たことのないものが彼の頬を静かに滑り落ちていく。変わらない表情のまま万次郎は私の前で初めて涙を流し、そして言うのだ。

「なまえを泣き止ませるのはいつも、アニキだったから」

…あの時、万次郎はどんな気持ちでそう言ったんだろう。



「…さん、なまえさん?」
「っえ?」
「大丈夫っすか?さっきからずっとぼーっとしてますけど、体調悪いとか」
「あ、あーいや大丈夫。ごめんちょっと考え事してただけ」

あの時のことを思い出し深くまで沈んでいた意識を引っ張り上げたのは、顔を覗き込み私の肩に触れた千冬くんだった。先程まで喫茶店のテーブル越しに向かい合って座っていた筈の彼がどうしてこんな近い距離にいるのかと視線を彷徨わせ、少し離れた場所に例の店を見つけたことで今いる場所を把握した。あれ、いつの間にお店を出たんだろ。てか私ちゃんと自分のアイスティーのお金払ったよね?まずい記憶がない。さすがに引くわ。

「なまえさん、いつもこの道通って帰るんすか?」
「うんそうだよ。ここから歩いて15分くらい」
「へぇ、割と近いっすね」

帰路につくように歩き出してしばらく、そういえば千冬くんはどうして私と一緒にこの道を歩いているのだろうと疑問が浮かぶ。彼は圭介と同じ団地に住んでいるのだから帰り道は正反対の筈だ。首を傾げ隣を歩いている千冬くんを見上げるとややあってその意図を汲んだらしい。「いや遅くなったんで送りますよ」となんとも紳士的な言葉をもらった。君は三ツ谷の次にいい不良だね。今度やっちゃんに報告しなければ。

私の家まで徒歩数十分。その間、圭介の話題はお互い避けているかのように一言も出ず、話したのは今日出来たばかりの千冬くんの友達のことだ。

「花垣ってんですけど、面白いヤツで…俺の相棒です」
「相棒?」
「そう。そいつ、チームにも入ってねーくせに急にトップになりてぇとか言い出すんすよ、ぶっ飛んでるでしょ」
「へぇ」
「でも、まっすぐな目でんなこと言うから、俺、そいつにかけてみようと思って」

千冬くんの言うまっすぐな目というのが私の思うものと同じなら、君はすでにそれを持っている。何かを決意したかのようにじっと私を見つめる千冬くんに背中を押すつもりで頷けば彼はふにゃりと表情を緩め言った。

「ね、なまえさん」
「ん?」
「場地さんが戻ってきたらまたあのシュークリームが食いたいっす」

ブラックコーヒーは俺がちゃんと買ってくるんで。得意げに笑った千冬くんに、じゃあお小遣い前借りするわと苦笑を漏らした10月も終わりに近付いたそんなある日の事だった。千冬くんと私と、それから圭介と。通い慣れたあの部屋で、もう一度三人でシュークリームを食べよう。言葉にせずとも交わしたその約束は…もう二度と叶わない。

ねぇお願い、誰か嘘だと言ってよ。



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