おとなになるには舌足らず

木漏れ日の光を帯びた風が、静かに吹き抜け、ナマエの髪を揺らす。

宿屋の屋上から見下ろす、セントシュタインの城下町は今日も平和だ。道行く人々は賑やかに言葉を交わし、子供達は駆け回り、どの店も客を呼び込もうと声を張り上げている。悪意の気配のことなど知らぬ、人々は平和という言葉を象徴に、それを信じ、疑わずに生きているのだ。――戦いのことを、ひとつ残らず忘れてしまえそうな、そんな昼下がりの光景がナマエの眼下に広がっていた。

薄い雲がまばらに散るのは吸い込まれそうな青色の上。慈愛に満ちた午後の太陽は、ぽかぽかと日を浴びる全身を暖め、優しい温度で包みこむ。幸せ、という言葉を天候で表現するならば、きっとこういった天候の日のことを言うのだろう。そんな日に豆の出来た手のひらで剣の柄を握り、振るう練習なんてまあ、やってられないので。


「たまにはいいよね!」
「なんで僕まで…」


両腕を太陽に向かって伸ばし、気持ちいー!と叫ぶナマエの隣で、今日のナマエの剣術の指南役当番であった、アルスが深い、深い溜息を吐く。
確かに今日のナマエの雰囲気は、少しだけいつもと違っていた。当番のアルスがオチェアーノの剣を携え、ナマエの修練場としてすっかり定着してしまった宿屋の庭に出ると、普段は先に練習を始めている真面目なナマエが剣を持たず、ぼうっと空を見上げていたところから、空気が緩んでいた。あれっ練習の空気じゃない、とアルスが気付いた瞬間、振り返ったナマエが今日は練習お休み!と宣言したあたりで、完全にいつ戦いの中に放り込まれるかという緊張感はどこかへ行ってしまった。腕を引かれ、階段を駆け上り、屋上の扉を迷いなく開いたナマエは今、アルスの手を離れ、大きく手を広げて太陽の光を全身に浴びている。


「…ナマエを甘やかしたって、怒られちゃう」
「こんなに良い天気で、お昼寝しないなんて!」
「自堕落に時間を潰すんじゃないとかソロが言い出すかもしれないし、」
「こないだソロにたまには休みたいって言ったら、そんな感じのこと言われて、甘ったれんなって怒られたよ」
「ほら、やっぱりだ」
「だからだよ!アルスぐらいしか、一緒にさぼってくれないの!」
「う、」


振り向き、駆け寄ってきて、アルスの両手を握ってお願い!と頭を下げたナマエに、アルスが言葉を詰まらせないはずがない。

確かに最近、ナマエは日替わりで毎日剣を振るっていた。身体にちらほらと見える治療の跡は、その証拠だ。増える怪我と同時に実力も確かに積み重ねており、セントシュタインを拠点とした旅の最中、こういった穏やかな日が稀なのは事実。明日には事態が動き、即座に旅立たねばならなくなるかもしれないのだ。


「……しょうがないなあ」
「やった!アルス大好き!ありがとう!もうほんと最近寝るか剣振るかしかしてないのに、寝てもあまり回復してないし、あー…休める…」
「だ、だいす、き…」
「そうと決まれば早速寝よう!あ、毛布取ってくるね、ちょっと待ってて」
「う、うん……」


まあたまには、ナマエにも休息が必要だろう。メルビンも戦いばかりでは心が疲弊してしまうと口酸っぱく言ってたし――と思い返したアルスの許しは、予想以上の言葉をナマエに返させた。「…だ、だい、すきとか」――混乱したアルスの顔が真っ赤であることに、果たしてナマエは気付いたのか。ばくばくばくばく、自分の心臓の鼓動以外、何の音も聞こえなくなりそうなほど、ナマエの言葉には破壊力があった。惚れた弱みって怖い!マリベルがこの場に居たのであれば、間違いなくやるじゃないだの、なんだのと囃し立てられただろう。……いやむしろ二人きりで?お昼寝?男なら押し倒しちゃいなさいよと、マリベルが言い出す姿を想像したアルスは、流れでナマエを押し倒す自分の姿を想像し―――掻き消すように大きく首を振る。

そもそもさっきの話の流れは、女の子が女の子に大好き、って言うようなニュアンスだった!別に僕が恋愛対象として、大好きって言われたわけじゃない!分かってる!…すう、はあ、すう、はあ。深呼吸は、きっかり二回。…まあ、友人的な、仲間的な意味での大好きだとしても、ときめいたことに変わりはない。落ち着いたあとは誰にでもあんな風に言ってなきゃいいけど、と思考を巡らせ、


「アルス、ただいま!レックスも連れてきたよ」
「……まあ、そんなに期待してなかったよ、うん」


再び屋上に現れたナマエが毛布と共に、連れ帰ってきた自分よりも小さな勇者に、アルスは透き通る空を仰ぐ。「よく分かんないけど、ナマエが今日は練習サボっていいって!」「うんうん、たまには休まなきゃね!」…はしゃぐ子供が二人。保護者に成り得そうなのは自分のみ。


「ほら、寝るなら時間決めよう。ちゃんと練習もするからね」
「アルス、お母さんみたい」
「ナマエはもっと、しっかりすべきだよ」
「私の代わりにアルスがしっかりしてるから、いいの」


――ちゃんと、大人の顔も出来るくせに、こういうときだけ子供の顔で笑うのはずるいとアルスは思う。無意識に、無自覚に、ナマエの行う小さな行動が、自然な仕草が、心臓をまた弾ませるのだ。振り回されて、意識させられて、…自分ばっかり好きになっていくのに、優しい気持ちになっているのは、どうしたって惚れた弱みだ。「…レックス」「うん、思う」声を掛ければ同意の頷きが、幼い少年勇者から返ってくる。きょとんとした表情のナマエは、この会話の意図を理解していない。


2017.02.03/T.星食

律様、リクエストありがとうございました!めっっっっちゃショタ勇者ふたりと最弱主…ありがとうございます…書くのすっごく楽しかったです…7主の名前を最初に頂いたので、7主メインで書いてみました。
遅くなってしまってすみません、そして改めて、嬉しいメール本当にありがとうございました…!お祝いの言葉と共に、箱庭読んで頂けたとのことで、心底嬉しくて嬉しくて…;;;;;恐れ多いお言葉、本当にありがとうございます。
律様も文章を書いておられるとのことで…文章を書いておられる方に、活動されておられる方に、何よりジャンルが違うのに読んで頂けて、お褒めの言葉を頂けて、本当に光栄です…!;;;ぜひ律様も無理はなさらず、お体ご自愛くださいませ。
此度は参加、本当にありがとうございました!