かわいいあの子はナチュラルキラー

購買部でいつものようにあんぱんを購入しようとしたナマエが、財布のなかにフェルドが一銭も残っていないことに気付いたのは、つい五分前のこと。

これでも他の生徒達と同じように授業を受け、腹を空かせている身である。目の前で諦めざるを得なかったスライムあんぱんは既に、メニュー表上では今日の分が売り切れたと表示されていた。廊下ではパンを片手に教室や中庭、屋上へ向かう生徒達とすれ違う。ぐるぐると鳴り響かんばかりの腹を抑え、なぜフェルドが尽きているのか、思い返したナマエは納得のいく出来事が昨日、起きたことを思い出す。

昨日の放課後。ナマエはラピスに誘われ、ラピスと共に食堂のスイーツメニューを制覇しようと挑戦したのだ。幸せだった。間違いなかった。調理部の先輩が考案して、食堂のスイーツメニューに追加されたというタワーパンケーキは、ナマエとラピスのハートをがっちり掴んで離さなかった。その名の通り、塔のように積み上げられたふわふわのパンケーキに、たっぷりの生クリーム。スライムタワー色のメロンシロップ、オレンジシロップ、ソーダシロップをお好みで垂らして召し上がれ――…思い返せばフェルドが尽きてもしょうがないぐらいには食べたと思う。しかし、しかしだ。それは昨日のこと。人間である以上腹が減るのはどうしようもないので、フェルマークすら一枚も持っていないナマエは途方に暮れざるを得ない。晩御飯は家に帰ればある。フェルドの支給日までお弁当で乗り切るとして、問題は今だ。ああ、お昼何も食べないんじゃ午後から一切使い物にならない…頭を抱えたナマエの正面からは、ベスのカレーパンの良い香りが漂って来ているというのに。


「ま、そんなこともあるって。元気出しなよ、先輩」
「リソル、一生のお願いが…」
「フェルドの貸し借り、校則で禁止されてるけど」
「知ってる!」


ぐうの音も出ないナマエは、目の前でベスのカレーパンを頬張りながらかわいそうに、と呟いたリソルを恨めし気に睨む。睨めば腹が膨れるわけではないのだが、今はリソルの持つベスのカレーパンから漂ってくる、香ばしいスパイスの香りが恨めしいのである。「いやあ、残念だねえ」「わ、わざとらしい…」空っぽの財布に溜息を吐いているところで、一緒にお昼はどうかと誘われたのだ。リソルがナマエの昼飯事情に、気付いていないなんて有り得ない。慄くナマエにリソルは素知らぬ顔。


「うう、やっぱリソル、一生のお願い…」
「アンタって絶対、二回も三回も一生のお願い使うタイプでしょ、やだよ」
「そう言わずに!ほら可愛い先輩が困ってると思って」
「タヌキ先輩に口調が似てる。やりなおし」
「似てた?…いやなんでやりなおし?」
「オリジナルじゃないと面白くないでしょ」


よく分からないが、リソルがダメだと言うのならダメなのだろう。会話のあいだにも食べ進められていくベスのカレーパンを見つめていたナマエは暫し、考え込んで言葉を探した。言葉から察するにリソルもただ嫌がらせのためだけに、ナマエを昼食に誘ったわけではない、らしい。――リソルの望む言葉で、リソルに"お願い"できるなら。


「……………うーん」
「早くしないと、食べ終わっちゃうからね」
「わ、分かってるよ」


ナマエの返事にそう?とあまり興味の無さそうな返事をしたリソルの口のなかに、カレーパンの最後のひとくちが放り込まれ、消えていく。次何食べよっかな、と手元に購買の袋を引き寄せたリソルは成長期に物言わせ、次に食べるパンを物色している。あああさらばカレーパン…香ばしきスパイスの香りよ…ナマエの回らない頭が、リソルの胃袋に消えたカレーパンへ思いを馳せ始める。あのごろっとした野菜と肉が、外はさくさく中はふわもちの生地からルーと共に…今度購買でパンを買うときはいつものあんぱんではなく、カレーパンも試そうとナマエは秘かに心の奥で誓う。…誓うも、結局いつも通りあんぱんを買うことになるのだろうという予測もつく。なぜならスライムあんぱんはナマエの大好物なのである。ふわふわの生地の中に詰まったあんこは、つぶあんこしあん二種類から選べる贅沢な学園仕様。あああスライムあんぱん食べたい…糖分を摂取して脳を回したい…


「あ、」
「…そういえばアンタ、いつもこれ食ってたね」
「リソルそれはずるい…あああお腹空いたああああ…」


リソルが取り出したのがスライムあんぱんだと気が付いた瞬間、ぐうううううきゅるるるとナマエの腹の虫が唸り声を上げる。つい先程目の前で諦めざるを得なかったこともあり、ナマエはどうしてもあんぱんを食べたくてしょうがない。「…ふ、すげえ腹の虫」おかしいと笑いだすのを必死に堪えている声で呟いた後、リソルはぷらぷらとルアーを吊るすように、ナマエの目の前でスライムあんぱんの入った袋を摘み上げ、ぷらぷらと揺らした。こうなればナマエにはプライドもなにもない。あるのは圧倒的な空腹感。それだけ。


「もうなんでもする!なんでもするからそれ半分!寄越せ後輩!」
「うわ、ちょ、なんなのあんた!?腹減った猛獣!?」


空腹に促されるまま、リソルの手に捕まれたパンへ手を伸ばすナマエは言葉の通り猛獣が如し。「あああもう!分かった!分かったから!悪かったってば!」下手に煽ったせいでペースを崩され、ナマエの勢いに呑まれたリソルは叫び、ナマエの腕から逃れるべく身を捩る。そしてなんとか守り切ったあんぱんの袋を即座に開け、半分に割ってから振り向き、右手に持っていた方をナマエの口に突っ込んだ。あんぱんを口に入れられたナマエはぴたりとその動きを止め、味覚に前意識を集中させる。一口でふわりと口内に広がる優しいあんこの甘さを認識し、口に入りきらなかったパンを手の平で受け止め、口の中で何度か咀嚼する。リソルの呆れたような視線もまったく意に介さず、ナマエはスライムあんぱんを堪能し、頷いた。美味だったらしい。


「…最高」
「こっちは最悪だよ…ほんの冗談だったのに」
「あー、やっぱスライムあんぱんだねえ…ありがとうリソル!」
「別に。なんでもしてくれるって言ったから分けてやったんだよ」
「結局、ありきたりなお願いの言葉で許してくれるなんて」
「アンタの勢いに押されたんだよ……ま、いいや。それじゃ何して貰おうかなあ」


場を仕切り直すように、腕を組み、少しだけ考えるふりをしたリソルの目の前でスライムあんぱんはナマエの口を通り、胃の中に消えていく。半分のスライムあんぱんを、心底美味しそうに食べるナマエの表情は、戦っている時のものよりリソルの好みだ。これでなんとか帰りまで生きていけそう、と口元をふにゃりと緩ませたナマエに対し、スタンダードに掃除を押し付けようと考えていたリソルはやはり、この読みにくい先輩を困らせてやりたいという欲求に駆られた。ナマエの年齢ならば、誰であろうと恥じらうような行為は、


「決めた、…キスしてみて、センパイ。オレに」


――絶対に無理だと顔を赤くする、ナマエを期待してリソルは言葉を射た、のだが。


「……そんなことでいいの?」
「………そんなこと?」


あんぱんの最後の一口を咀嚼し、飲み込んだ後、きょとんとした顔でナマエがリソルに返した言葉はリソルの想定外であった。思わず素でナマエに聞き返したリソルに、ナマエはますます不思議そうな顔で首を傾げている。「リソルがいいなら良いけど…ああ、公衆の面前でってこと?慣れてるけどなあ」――慣れている、とは。つまりそれは誰にでも公衆の面前でキスをするようなヤツだったってこと、この人は。そんな風にはまったく思えないというかいや絶対これハッタリでしょ。…ハッタリだよな?


「これでも場数は踏んでるの。はいほら、立って」
「場数…?」
「謁見に挨拶回りにパーティに…一番多くキスしたのは、アンルシアかな」


ナマエは少しだけ遠くを見、笑う。それは学生を名乗るにはあまりに大人びていると言わざるを得ない笑みであった。ナマエに促されるままリソルが立ち上がるとナマエも立ち上がり、二人掛けのテーブル席を回り込んだナマエが、リソルの前で静かに膝を付く。王の目の前に赴いた、臣下がするものと同じように。そうして優しく手を取るさまは、姫君に対する王子のような。


「空腹の私に、手を差し伸べてくれてありがとうございます、陛下。……なーんて」


――最後に添えられた、冗談めかした言葉と悪戯っぽい笑顔だけ、年相応のものを残して。

ちゅ、と小さく響いたリップ音に周囲の学生が振り向くのを感じたリソルは、しかしそちらを視線で牽制することが出来ない。目を閉じ、自分の手の甲に口付けているナマエはまだ知らない。圧倒的なEXP数値の差に不意打ちを受け、真っ赤になっている後輩の存在を。

2017.01.21/T.星食

そるふぇさん〜!!いつもお世話になっております!此度も企画参加ありがとうございます…!そして今更過ぎますがクイズ本入手本当におめでとうございます…リソラーとして尊敬いたしますほんとめでたい…そんなわけでリソルくんです!スライムあんぱん半分ことのことで、最初はすっごいほのぼのリソル君だったのですが、冒険してみたくなりまして(???)上手な10主と後輩リソルくん(10主より上手でいたいけど経験値の差的に無理)みたいなのを書いてみました…解釈違いだったら本当にすみません刺してください;;すごく楽しかったです!
優しい言葉、嬉しいお言葉も本当に本当にありがとうございます;;そして遅くなってしまってすみません、しばらく前そるふぇさんのお誕生日をお祝い出来なかったの心底悔やまれていたので、おまけといいますか、かなり出遅れましたがお誕生日のお祝いも書きましたので、よろしければそちらも受け取ってくださると嬉しいです…!上記リンクからでも、捧げものの所からでも飛べます…!
改めまして、企画参加ありがとうございました!