オオカミ少年はまだ、ヒツジを失っていない
入学当時からリソルが魔族だと把握していたというバウンズは、リソルが学生として振る舞い、新しい交流が生まれるのであれば、様子見でいようとしていたことを語った。今の、自分のチカラを抑えることの出来ないリソルでは、他の生徒に危害を加える可能性が高く、それは学園長として放置できないと宣言したバウンズは無詠唱で魔法陣を呼び起こし、リソルを捕らえ、ナマエ達の目の前から消した。驚き、リソルをどこへやったと詰め寄ったアイゼルとミランを宥め、バウンズは魔力を抑え込む魔法陣を張った、人目に付かぬ空き教室へリソルを移動させたと告げた。時間が経てばリソルも落ち着くだろう、と。
「…あたしのせいだね、ぜんぶ」
「でも助けるって、決めたのはリソル自身だし、…それは私のせいでもあるから」
「ううん、元々はあたしが、あんな…」
「クラウンさん、背負い込んでも進まないわ。ナマエさんも」
シュメリアの声が右から左へ、ナマエとクラウンの耳をすり抜けていく。
今はもうこの場にいないバウンズはミランに問われ、隠すことが出来なくなった、リソルが"本来の姿を取り戻すことになったきっかけ"を全て、シュメリア含むフウキの面々に打ち明けたのだ。
クラウンの石化の呪いを解いたのは自分ではなく、リソルだということ。
石化の呪いは本来、自分の手にも余るほど強力なものであるということ。
リソルが石化の呪いを解くためには魔族に変身し、本来のチカラを取り戻す必要があったということ。
その場にいたナマエ以外の全員が、大きなショックを受けていた。クラウンにとっては特に堪えたようで、それによりナマエも気負ってしまい、"今やるべきこと"として示された、遺跡に戻るための足が重くなっている。
バウンズは最善を尽くすと言ってくれたが、ナマエの中には不安が燻っていて消えない。…魔法陣に呑み込まれた瞬間の、リソルの横顔がちらついて、もう二度と会えないのかもしれないなんて思うと、心臓が張り裂けてしまいそうだ。どうかこのまま、いなくなったりしないで。どんな姿でも、何を言っていても、リソルの心が在りたい場所に居て欲しいのは変わらなくて、
「ナマエ」
「…大丈夫、心配してくれてありがとう、ラピス」
「……大丈夫なら、いい」
大丈夫であるフリをしていることは、聡いラピスに筒抜けであろう。分かっているがしかし、笑っていなければならない。ナマエはフウキのリーダーだった。
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四つ目の封印に囚われた思念の声は、壊れてしまったリソルのフウキの証を求めていた。リソルがリレミトゲートから出て行ってしまったあと、すぐに封印を解放し、リソルが壊したフウキの証をそのままにしたと肝を冷やしたナマエだったが、アイゼルがしっかりと、壊れた証を拾ってくれていたことを知り、胸を撫で下ろした。誰も何も言わなかったが、リソルのフウキの証が求められていることに、全員の気が急いていた。。
「お待たせしました、アイゼルさん。鍛冶部から工具セット、借りてきました」
「こっちも聖銀のかけら、分けてもらってきたよ」
「おう、こっちも準備出来たぜ」
「…それじゃアイゼル、よろしくお願いします」
「任せろ」
アイゼルとナマエが対策室で細かな修繕の準備を終えてすぐ、工具セットを借りに向かったフランジュとミラン、聖銀のかけらを分けて貰いに向かったクラウンとラピスが戻ってくる。それらを受け取ったナマエは、アイゼルにフウキの証の修繕を託した。頼もしい頷きと共に、アイゼルは金槌を持ちナマエに笑う。
「なあ、ナマエ」
「うん?」
「お前が真っ先に駆け出していって、俺、結構安心したんだぜ」
珍しく、アイゼルの声は静かだった。「…壊れやすいのはモノだけじゃなくて、人間関係も同じかもしれねえ。でも、きっと直す方法はあると思うんだ。壊れたモノでも大切に想って、元に戻したいっつー思いがあれば」――語るその声に、ナマエは聞き入る。言葉選びに迷っていた、心が口にしたい言葉を見つけたような感覚を得ていた。
幸せにできないとリソルは言う。そうではないと、ナマエは思う。具体的な解決策は知らないし、どうしたらいいのかわからない。けれど何がどうなったって、ナマエはリソルと一緒にいたかった。
「…思うの」
「何を?」
「本当に一緒に居られないと思ったなら、リソルはきっととっくにフウキを抜けてる」
そんな顔をさせるつもりがなかったのなら、手を取って、もう一度笑わせてみせて。
アイゼルが手際良く証を修繕していく姿を見つめながら、ナマエはそう、強く思う。――もう二度と、躊躇わないと教えてくれた彼の前で、何度も失態を晒すものか。
20170706
アイゼルが美しく修繕したフウキの証を、ナマエは静かに思念の声へ捧げる。
残留思念が宿願の光に照らされ、やがてゆっくりと形取り――現れたのはやはり、幻影のリソルだった。ナマエの手を離れたリソルのフウキの証が、残留思念に吸い込まれてゆく。
『ほんっと…ダサくてショボいデザイン』
「残留思念でもナマイキなクチは相変わらずかよ!」
幻影のリソルが小さな溜息と共に吐き出した呆れの声に、思わずアイゼルが声を上げる。「落ち着いてください、アイゼル先輩」「…おう」宥めるミランの静かな瞳に、渋々、牙を収めるアイゼルの姿を、どこか幻影のリソルが懐かしそうな瞳で見下ろしている気がして、ナマエはただただ、その姿に見入る。
『最初は、本当に憂鬱だったな。高位魔族のオレが人間と手を組むような情けない真似、できるわけないだろ』
『フウキ委員の連中は学園を解放するとかでかいクチ叩いてるけど、すぐイヤになって逃げだすだろうと思ってたし』
『…だけど、あいつらはオレイが知っている弱い人間どもとは、少しだけ違ってた』
――リソルの語る声は、とても静かで、耳に心地良い。
それぞれに事情を抱えながら、フウキに集った仲間達を、リソルはリソルだけの視点で見ていた。ミランを、フランジュを、クラウンを、アイゼルを、ラピスを、ナマエを――…リソルは個として認識し、認め、故に心を開いたのだ。残留思念の声を聞く、全員がそれを知った。リソルの価値観を、知らぬうちに変えていたこと。それがリソルを苦しめることにもなり、ますますリソルを手放せないと知るきっかけになったこと。
『人間なんて、困難にぶつかるとすぐに諦めて、言い訳ばかりしてるくだらない生き物だって思ってた』
『でも、フウキの連中は苦しくても、やり遂げようとする強い意志と、それに見合うだけのチカラを持っていたんだ』
『中でも、ナマエは思いも、目的も…バラバラだったフウキのメンバーをひとつにまとめてきた、大したヤツさ』
『そんなナマエもやっぱり問題を抱えてて、弱い人間で、でも、…なんでだろうね。ずっと見てきたせいで見捨てられなくなって、こんな気持ちまで抱くようになって』
『…黙ってればずっと一緒にいられると思ってたけど、でもオレの正体を明かしても受け入れてくれるんじゃないかって思ってた。実際、ナマエは戸惑ったけど、やっぱり変わらなかった。どうしたって一緒にいられるはずないのに、夢見そうになるの、やめたいのにね』
『そうして、オレは少しづつあいつらと学園を解放するのが楽しくなって』
『ふと、自分が魔族であることを忘れかける瞬間さえ、あったんだ』
『でも、結局人間と魔族は一緒にはいられない』
『出来ることなら、もっとあいつらと一緒に、フウキの活動をしていたかった』
『…ダサくてショボい、フウキの証だけどさ。あれを貰った時は魔族のオレも仲間として
認めてもらえたような気がして』
『ナマエが、オレの気持ちを受け入れて、最後に笑ってくれたとき、きっとうまくいくと思って』
『……そこそこ、嬉しかったんだ』
――最後は目を閉じ、幸せな記憶を思い出すように、笑って。
ナマエは静かに腕を伸ばした。やがて淡い宿願の光に包まれ、消えてゆくリソルの残留思念から、リソルのフウキの証がゆっくりと舞い降り、ナマエの手のひらの中に吸い込まれる。
行くべき場所は、決まっていた。