このバラが散る前に、あなたのもとへ


そう、オレは魔物さ。――アンタたち人間が恐れる、魔族ってやつ。


リソルは普段と何ら変わりない調子で、自らの身の上を語った。リソルは元々魔族の中でも高い階級を持っていたようで、故に"主"に見込まれアストルティアに派遣されたという。ミラン達にはあまりしっくりきていないようだったが、魔族の力関係や魔界の勢力図を、(一端ではあるが)理解しているナマエにはよく伝わった。ネルゲルにラズバーンがいたように、マデサゴーラにゼルドラドがいたように。かつて対峙した魔王の腹心を思い出し、ナマエはリソルの魔力の強さに一瞬だけ、様々な感情を忘れ、納得した。人間と違い、魔族の社会はシンプルな実力主義だ。勿論生まれにも左右されるだろうが、目の前に立つ本来の姿のリソルから感じる魔力量は、エリートの自称も誇張でないとナマエに判断させた。


「仲間扱いしてきた相手が、魔族だと分かって今、どんな気持ち?」


軽やかな笑いが耳の奥で反響する。どんな気持ちだと問われたところで、混乱しかアイゼル達にはないであろうことを、リソルは知っているだろうとナマエはぼんやりと考える。リソルの言葉の全てはただ、意地を張っているだけだと、ナマエはもうとっくに分かっているのだ。だというのに、振り切ったはずの迷いが再び足元を絡め取り、身動きの出来ないまでに縛り付けているせいで動けない。――…迷いを振り切るきっかけが、リソルだったからか。


「リソル、」
「……オレは、フウキをやめる」


仲間ごっこはもう終わりだ。呟くその声が、どこまでも遠い。

ぱきん、と小気味良い音を立て、繊細な細工が目の前で崩れ去る。…アイゼルの呼びかけを遮るように背を向け、リソルは取り出したフウキの証を、全員の目の前で握り潰したとナマエが認識した頃には、リソルはリレミトゲートを開き、その中へと歩を進めていた。引き留めるアイゼルの声も疑問にも、何一つ答えないまま。駆け寄るミランとフランジュ、クラウンの足が及ぶ前に、リソルはゲートの中に姿を消した。リソル、リソルさん、リソルくん…仲間達のリソルを呼ぶ声に、ようやく―――…ようやく、ナマエは我を取り戻す。硬直した身体が、ゆっくりと、間隔を取り戻し始めている。


「…っ」
「ナマエ、しっかり」



ラピスの囁くような声に支えられ、ナマエはひとつ、頷いた。呆然と立ち尽くすアイゼル達の気持ちが分からないわけではないが、今は自分達も、ここから出なければならない。目の前に出現した錠前に触れ、ナマエは封印を解き放つ。


**


「みんな、戻ってきたのね!リソルくんのあの姿はなに!?」
「落ち着いてください、シュメリア先生、その」
「一体、彼に何があったの!?」
「その、僕達も混乱していて」


遺跡に戻るなり、一番近くに現れたミランに飛び掛かるようにして詰め寄った、シュメリアも非常に混乱しているようだった。ぐるりと周囲を見渡したナマエの視界にリソルが映ることはなく、シュメリアの混乱からしても、リソルはもう講堂への旅の扉をくぐるべく遺跡の出口へと向かっていることが分かる。


「ナマエちゃん…リソルくんが魔族だなんて、ウソだよね?」
「……それは、」
「いつもの、悪い冗談なんだよね?」
「…頭にツノまで生えてたし、どう見ても人間じゃなかったな」


信じたくないと言わんばかりのクラウンに現実を突きつけた、アイゼルの言葉がナマエの心臓に突き刺さる。――真っ黒な、あのツノが、どうしたってネルゲルに重なる。振り切った。乗り越えた。迷いなく、断ち切った。…そう信じているはずなのにあの日、突き立てられた凶刃の幻影はリソルがナマエの元から一歩、離れただけで付き纏うようになっている。…居心地の良い関係を築いてしまったからきっと、前より強く心を持てるようになってしまったからきっと、――それがリソルのおかげだからこそ、こんなにも心が揺らぎ、弱っているのだろうと冷静な声が、ナマエの頭の奥で響く。

――胸の奥から溢れ出す、宿願の光がもどかしい。


「ごめん、先に行くね」
「あっ、ナマエさん…!」


くすんだ金の瑠璃星をフランジュに押し付け、像から溢れ出す光を背後に、ナマエは一人、遺跡の出口へ向かい駆け出した。戸惑うフランジュの声を掻き消すように、強い心残りを抱えていたのであろう、魔物の大きな喜びの声が、遺跡中に響き渡る。関係ない、関係ない、関係ないのだ。過去と、今はまったくの別物だ。人間だから善人とは限らないように、魔物だから大切なものを奪っていくわけではない。築いていた関係がただ種族が違うだけ、それだけで無に還るなんてやはり、ナマエには耐えられない。


『人間も魔物も関係ない、互いを思いやる心さえあれば…ダ!』


遺跡に響いたその声に、本当にその通りだと頷いて、ナマエは旅の扉に飛び込む。――誰よりも、ナマエはよく知っていた。リソルが仲間を大切にしていたこと。学生生活を楽しんでいたこと。ナマエの正体に薄々気付きながらも、ナマエをナマエとして大切にしていたこと。想われていることに疑う要素は何一つなく、それがナマエにとっての真実だ。


20170704