きみの無垢があばれてる
「……リソル」
「なに」
「………へんなかお」
T-スペーディオの教室前の廊下にリソルを呼び出したラピスが発したのが、そんな言葉だったせいで、リソルは思い切り眉を潜めた。自分を見つめるラピスの瞳はいつもと変わらず一定の、意志の読めない色でリソルを見つめている。ラピスに煽りや嘘が通じないことを、リソルはよく知っていた。おかげで正面からラピスと向かい合うしかないわけだが、変な顔とは一体どういう意味なのか。睨みつけるも、ラピスは一向に動じた様子を見せることはない。
ラピスの隣で漂うメルジオルも相まって、一年生の中でも目立つ二人が廊下で向かい合い、話しているというだけで二人はかなり目立っていた。周囲は好機の目線を送っているのだが、目立つのに慣れている二人はそのような事実を自覚していない。
「はあ?失礼だよ、オレがいつ変な顔したっていうの」
「…ナマエ」
「……なに、我らがリーダー様がどうしたって?」
「この間、ナマエが遅刻した日からお前とナマエの様子がおかしい。ラピスはそう言っておる」
「何を根拠にそんなこと言ってるの?君、結構色々見てると思ってたけど、オレの勘違いだったみたいだね」
「……リソル」
「わざわざ呼び出してまで何かと思ったら、くだらない時間使っちゃったよ。どーしてくれんの」
「…………おしえて」
別に腕を掴まれているわけでもないのに、ラピスの瞳から逃れられないリソルは、一瞬だけ自分の中の時が止まったような感覚に陥った。おしえて、ともう一度繰り返されたラピスの懇願に似た催促は、リソルの思考を鈍らせていく。
脳裏に浮かび上がったのはあの日の、傷だらけのナマエの姿だった。呪いを体中に刻み込まれ、その呪いから生まれる魔物と影で戦い、それを誰にも悟らせなかった。学園始まって以来の魔法の天才、ラピスならばあの呪いをどうにか出来るのではないかと、リソルは一瞬だけそんなことを考える。しかしナマエの言う通り、リソルにはラピスにそれを話す理由がなく、話そうとも思えなかった。オレがあんなヤツに肩入れしている、なんて有り得ない。
「別に。あいつのことは何も知らないし、オレはちょっと最近考え事してるだけ」
「…ナマエ?」
「あいつのことじゃない。そんなにオレが、あの女を気にしてるように見えるの?」
「……気にしてる」
「リソル、ラピスは確信を持っておるようじゃぞ」
「…あのさ、オレ、戯言に付き合ってる暇はないんだよね」
強制的に会話を切り上げるほか、ラピスから逃れる術はない。判断したリソルは軽く手を挙げ、授業が始まるからと告げて踵を返し、スペーディオの教室の扉を潜った。廊下に残されたラピスとメルジオルの視線が、痛いほど背中に突き刺さっていることを自覚しながら。
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確かに、ラピスの言う通りなのだ。一晩寝ただけで忘れられるようなものではない、呪いの刻印のことばかりリソルは考えていたし、ナマエはリソルに見られたことをやってしまったと常に悔いていた。よって武道場でもナマエとリソルの連携は、リソルがまだナマエのことを常に小馬鹿にしていたときよりも噛み合わなくなっていたし、フウキの対策室でも二人のあいだに会話が一切、生まれない。時にナマエからリソルに話を振ることもあるのだが、その言葉もどうかぎこちなく、会話にならない言葉のやり取りは賑やかなシュメリアやクラウンの声のなかに消えていくのだ。
「おいリソル、今日はやけに静かだな。悪いモンでも食ったか?」
「いっかくウサギみたいに前しか見えないアンタと違って、オレは考えることが山ほどあるの」
「…相変わらずかわいくねーなあ」
もうすっかりリソルの生意気に慣れてしまったアイゼルの声を聞き流しながら、リソルは手に持った激辛トマトジュースの瓶を手のひらで弄んでいた。ナマエに飲ませてやろうと考え、持ち込んだそれは今だ、用意しておいたグラスに注がれていない。ナマエがフランジュに誘われ、みんなで武道場に行く前に調理部の見学に向かったことをリソルはついさっき初めて知ったのだ。そしてフウキの対策室にナマエの姿がないことに、どことなく安堵も覚えていた。約束の時間まで、あと、十分。戻ってくるには、良い頃合いだ。
―――黙って、ばっくれてやろーか。
「リソルお前、本当に珍しいぐらい静かだぞ」
「オレ普段そんなにぎゃあぎゃあ騒いでないけど」
「いや、なんつーか……」
言葉を探るアイゼルもそれなりに、周囲をよく見ているタイプだったなとリソルはふと思い出した。――聡い奴ほど、面倒なものはない。つーか、オレより、笑顔で闇を覆い隠して、大事なことを何一つ仲間だと呼ぶ相手に明かさない、あの女のことに気付いてあげなよ。誰かが気付くまで、自分から何も話さないだろ、あんなの。…なんでオレが一番最初に気付く役になったのめんどくさい。そもそも、あれだけ呪いに体を侵食されて、狂うでもなく死ぬでもなく、精神を一定に保ち自らの産み出す呪いのバケモノと戦い続けるあの女は、……いつか呪いに負け、自らもバケモノと成り、誰も気づかぬうちに消えていくのだろうか。
「…………………」
目を伏せ、考え込むリソルにアイゼルは声を掛けようとし――…やめた。リソルはそれなりにフウキの輪に馴染んできたものの、やはりまだ一線引いている。許されるまでそこに踏み込むべきではないと判断したアイゼルは、時計と睨みあい、ナマエ達が戻るのを待つことにする。
20161111