魔法が融ける予感がした11時58分


「不老不死、かあ」


封印の守護者を倒し、第二の封印を解いたナマエ達が聞いた残留思念は、思わぬ人物――…シナイジッチのものだった。シナイジッチの願いは、学園創設の原点である願いを叶える力により、不老不死を得ること。それを聞いた瞬間、ナマエはあまりのくだらなさに全身の力が抜けそうになった。人間らしいといえば人間らしい、欲望であることは間違いない。しかし永遠の時を生きたいという願いを、ナマエは理解出来なかった。生に強い執着を抱くナマエだが、永遠の時を生きる、すなわち死ねない体を得て、人間ではない何かになりたいとは微塵も思わない。人並以上の力を得た今は、よりその気持ちが強まっている、ナマエは誰よりも人間でいたい人間だった。口には出さなかったが、シナイジッチのように欲に憑りつかれ、強い力を求めた人間の末路はいつだって哀れなものだ。――教頭という立ち位置に在る以上、それなりの歳月を教師として過ごしてきたような人物を、これほどまでに狂わせるとは。


「センパイ、どう思う?これ」
「どう思うも何も、別に、そんなことかあ、って」
「……あれだけ生きることに執着してたのに、不老不死はいらないんだ」
「私にとって大事なのは多分、"人間として生きる"ことなんだと思うから」


特に深く考えず、リソルの問いかけに答えたナマエの脳裏に過ったのは、クラウンの石化を解いたときのリソルの姿だった。はっと目を見開き、答えは今のもので良かったのかと、ナマエは即座に思考を巡らせ、リソルの方を振り返る。「私欲のために呪いで人を操るとは…」「…クズ」「うむ、本当にクズの鏡じゃのう」頷くラピスに、ここまでくるといっそすがすがしいわい、とラピスの隣を漂うメルジオルがぱたぱたとその黒い翼で呆れを表現するかのように揺れる。振り向いたナマエの視線の先でラピスたちの方を向いていたリソルの口が、ゆっくりと開き、形を変える。


「自分の私利私欲を満たすためなら、なんだってやるのが人間じゃない」
「…リソル?」



――明らかに、声の温度が、違う。

直感で嫌なものを得たナマエは咄嗟にリソルの方へ腕を伸ばそうとし――…「ったく、リソルはしょうがねえなあ」――…アイゼルの声で、思わず動きを止めた。「いつまでもそんな上から目線してっと、ロクな大人になれねーぜ?」「…ホントのこと、言ってるだけなんだけどね」……アイゼルとのやりとりで少し、声の温度が戻ったと、信じたいナマエは先のリソルの声の低さに、自分の存在と切っても切り離せぬ戦いの記憶が、そのきっかけが、蘇ったことを表情に出さぬよう必死で取り繕う。かつて目の前で炎に包まれた故郷の光景が、ナマエに大きな絶望を与えた冥王の笑みが、手を伸ばした先で消えてしまった、たった一人の兄弟が見開いた瞳の色が、鎌に切り裂かれる自分自身の身体が、


――リソルは、あんなこと、しないって分かっているのに。


「まあ……オレとしては、はじめに見積もってた通りの結果が出たってだけで」

「……終わったことなのに、なんで、思い出すんだろ」

「最初から人間に………――期待なんか。ナマエだって、無理だって、」

「こわい…?ううん、リソルは怖くない。わたし、何が怖いんだろう…」



「心の弱い人間共なんかに、オレは、振り回されてなんか、」
「……リソル?」
「こころの、……」
「おい、リソル」
「………」
「リソル!」
「っ、」


ミランの呼びかけに肩を揺らしたリソルに合わせて、思考の巡る海に沈んでいたナマエも弾かれるように顔を上げた。「リソルくん、やっぱり具合悪いんじゃない?」「無理しないで、救護室で休んでた方が…」伺うようにリソルを覗き込んだクラウンとフランジュに、リソルは何かを言わんと口を開こうとし、声を出せない。そんなリソルにナマエの傍らから、なるべく気負わせぬようにと明るい笑顔を作ったアイゼルがリソルを振り返る。


「しんどいなら、俺が救護室までついていって――…」
「黙れッ、人間如きが!」


――咆哮に似たその声は、何かに怯えているようで、ナマエを思案の海へ溺れさせてゆく。凍り付いた空気に構わず、ナマエは静かに、静かに脳裏を巡る言葉の渦の中へ身を沈めてゆく。…わたしの恐れているものはなに。リソルの恐れているものはなに。答えを知っているはずなのに、素直に言えないのはどうして?


20170523


凍り付いた空気を微妙なものへ、しかし溶かしたのは言葉を発したリソル本人だった。第三の彫像に現れた鍵穴に宿っている思念が、求めているものは"勲章"らしい。
ゲッチュ君に示された場所は恐らく飼育小屋。――だったが、リソルの齎した微妙な空気が、全員の講堂の足を鈍らせた。明らかにおかしいリソルの様子に、全員が口には出せぬ不安を心中に渦巻かせる。


「…リソル、すごい汗」
「ホントに大丈夫かよ?」
「………モタモタしてないで、早く行動しなよ」


伺うラピスの声から逃れるように目を逸らし、伸ばされたアイゼルの腕を振り払ったリソルのその動作は、ナマエにはさながら弱った獣のように映った。ナマエさん、どうか、リソルくんをお願いね。厳しい目でリソルを見た後、リーダーであるナマエにリソルのことを一任したシュメリアを安心させるように、力強く任せてくださいと頷いたくせに、ナマエも今だにリソルの意志が読めないせいで、どんな言葉を選んで渡せばいいのか、分からないのだ。