この心臓のはんぶんはもうきみの色をしている


※好感度イベ2

「アンタ遅いんだよ、いつまでオレを待たせる気?」


フウキの対策室に顔を出すなり、リソルから開口一番そんなことを言われ、ナマエは思わず目を瞬かせた。そして素早く記憶を探った。リソルと何らか、約束をしていただろうか。――…していなかった、と思いたい。思い当たる節がひとつもない。何故だろうと一瞬首を傾げそうになったナマエは、そういえばフウキの対策室に顔を出すのがそこそこ、久しぶりになってしまった事実に思い至った。つまり、リソルに会うのも久しぶり。それで、このセリフ。なるほどつまりこの可愛い後輩は、久しぶりにフウキの対策室に顔を出せると連絡したナマエのことを、少し前から待っていてくれたということ。そう考えると不機嫌を隠そうともしないその言葉さえ、非情に愛らしく思えるから不思議だ。頬を緩ませながらごめんごめん、とリソルに謝ったナマエに、リソルはフンと小さく鼻を鳴らす。ナマエの緩んだ表情に、不機嫌の気が少し抜けたらしい。


「今からオレの部屋に行くから、ついて来なよ」
「リソルの部屋?いいの?」
「良くなかったら誘わないけど」


視線が逸らされ、珍しい誘いの言葉に目を丸くするナマエの手首が掴まれる。紫色の影がナマエの目の前を横切ったかと思えば、腕を引かれていた。リソルに続き歩き出したナマエは、訪れるなり即座に対策室を出ていく展開に今日の予定が大きく変わったことを悟る。後ろ髪を引かれる思いで他のメンバーとも顔を合わせたかったと、対策室を振り向いたナマエが見たのは、フータンの影からこちらを笑顔で見守る鳶色と新緑の髪の先輩二人、キータンの影から小さく手を振る白金と金糸の同級生、そしてお連れのドラキーに必死に引き留められている桃色の髪の後輩の姿。気恥ずかしさから思わず目を逸らしてしまったのはもう、どうしようもないと思いたい。

腕を引かれる形で廊下を歩くナマエとリソルをすれ違いざま、振り向く生徒はそれなりに多い。ナマエはその実力と学園を解放して回っている手腕から、リソルもまた見目とその実力、そして上級生にさえ食ってかかる口の悪さから――…目立つ二人が共に居れば、より目立つのが自然の摂理だ。且つ、普段のリソルを知る人間ならその表情が非情に機嫌の良いものであることに、すぐ気が付いたのであろう。リソルの後ろを歩くナマエにその表情が見えないことは、非情に残念なことであるのだが。


△この心臓のはんぶんはもうきみの色をしている


あの、リソルくん。

控えめな声に、まずナマエの前を歩いていたリソルが、次いでリソルが足を止めた流れでナマエもゆっくりと足を止めた。揃って声の方を振り向いた二人の視界が捕らえたのは、髪を短くやんちゃな印象に刈り込んでいるのにどこか気の弱そうな印象を受ける、制服姿の少年の姿。ナマエは彼に見覚えがなかったが、名を呼ばれたリソルはその少年が誰だか知っていたらしい。アンタ、同じクラスの…誰だっけ、と結局名前が出て来ていないあたり、リソルの対人関係がいかに狭いかを認識させられる。一瞬それでいいのかと思案したナマエだったが、リソルがそれでいいならいいのだろうとすぐに納得した。そもそもこのあたりはナマエが口出しすることではないし、人付き合いなんて人それぞれだ。リソルにはリソルの世界がある。


「今忙しいんだけど。…オレに何か用?」
「…三年生がこの手紙を君に渡せって。ぼくは頼まれただけだからね、それじゃ!」


うわ、というリソルの声と共に、ナマエの手首を掴んでいたリソルの手が離れた。半ば駆け寄るようにして寄ってきたクラスメイトに、リソルは何かを押し付けられ、それを受け止めるためにナマエの手を離したというわけらしい。言葉の流れからして手紙なのであろうが、リソルの温度が離れていった、手首が少しひやりとして、一瞬ナマエは寂しくなる。そんなナマエの視界には、逃げるように背を向け廊下を走っていくリソルのクラスメイトの姿が映っていた。めんどくさ、と肩をすくめたリソルがナマエを振り向き、押し付けられた手紙を今度はナマエに押し付ける。


「リーダーさま、読んで」
「え、私?」
「はやく」


急かされる理由が分からないが、これがもしラブレターの類だった場合気まずいのはリソルではなくナマエなのだが……――「ナマエ、さっさとしてよ」「え、えええ…」どうやら、ナマエに拒否権はないらしい。手紙の送り主だという三年生に心の隅で謝罪をし、ナマエは押し付けられた封筒の隅を丁寧に破り、便箋を取り出した。申し訳無さを覚えながら、雑な三つ折りのその便箋を開く。…今時の女の子で、男の子への手紙を、こんなに雑に折るだろうか。じわりと胸の中に広がった、嫌な予感は即座に肯定される。


―――果たし状。


今時どころか昔でも、そんな言葉が冒頭に置かれたラブレターなんてないだろう。


「えー…"果たし状"」
「うっわ…めんどくさ」
「"クソ生意気な1年ボウズのリソルへ、貴様の悪行にはもう我慢ならん。飼育小屋の裏まで来い!…バケーロ"…だって」
「バケーロ…?誰だこいつ?聞いたことない名前だけど」
「結構字が綺麗だし、漢字も多いね。しっかり差出人の名前も書いてて義理堅いや。アスフェルド学園は不良までちゃんとしてる」
「どこに感心してんの」


アンタほんとズレてる、と呟いたリソルにそうかなあ、と返すナマエの脳裏には過去の記憶が甦っている。学園という環境の整えられた箱庭の中で、生まれる粗悪なんて可愛らしいものだ。心ごと打ち砕くような悪意からは遠く、血みどろの戦いともかけ離れている。

話が逸れた。


「まあいいや」
「これどうするの、リソル」
「……めんどくさいけど、こういう害虫は早めに駆除しておくかなって」


はあ、と溜息を吐き、肩をすくめたリソルがナマエから背を向けた。「すぐ片付けて戻ってくるから、アンタ、ここで待ってなよ」――…それだけ言い残し、すたすたとリソルは歩き出してしまう。リソルに充てた果たし状を持ったまま、ナマエはその場に立ち尽くした。リソルの強さを知っていれば心配などはないが、…ないが、…………ないはずなのだが。小さくなっていく背を見送りながら、それでいいのかと心の奥底でだけ、ナマエは静かにリソルに問う。リソルが"そうしたい"と思うなら、私はそれを尊重したいけれど。


「……待つ、かあ」


――リソルは、追い掛けてきて私の手を取ったのに、私には待ってろ、なんて。


**


「だから、…ええと、バケーロ先輩の誤解だってば。オレはそんな女に付き纏ったりなんかしてないって。…ケメッコ?だっけ?覚えてないけど」
「うるわしのエメットちゃんだ!名前を間違えるんじゃねえ!」
「あーそうそうエメットだエメット」
「気安く呼び捨てにするんじゃねえ!」

「…うわあ」


結局、気になって飼育小屋まで足音を殺し、リソルを追ってきたナマエが物陰から覗き込むと、まあ見事にリソルは因縁を付けられ、三人の上級生に囲まれていた。エメットという名前に嫌というほど聞き覚えのあるナマエは、以前のラブレター騒動を思い出す。まさか人生初の告白を受けてしまうかも、なんて心を躍らせたあの一連のくだり、リソルと初めて顔を合わせるに至ったあのきっかけが、まさかこんなところで結びつくとは。

呆れ顔で怒声を浴びるリソルも、最早面倒臭そうなオーラを隠そうともしない。…会話の流れによるとどうやらエメットは、リソルにフラれたことを根に持ち、バケーロにあることないことを吹き込んだようである。リソルが彼女に付き纏っているだの、なんだの。人の心を弄ぶラブレターだけでなくリソルまでと、じんわりとナマエの胸にジェラシーが湧き上がったのは余談。


「リソル!!今日はテメエをォ!泣きべそかくまで徹底的にシメてやる!」
「……平和だあ」


バケーロの宣言に、ナマエは思わず頭を抱えて空を仰いだ。久しぶりにリソルに会ったというのに、まさかこんな面倒に巻き込まれ、時間を取られるなんて予定外だ。その考えはリソルも同じようで、呆れ顔が面倒臭さにより、歪んでいるのがよく見える。
じりじりと、リソルを取り囲む三人が隙を伺うのに対し、リソルは静かに魔力を集中させていた。せめて手加減はするつもりらしい。その余裕から見てもリソルが負けることはまあ、有り得ないだろう。傍目から見ても力の差は歴然、余程のことが無い限り、リソルは"すぐ戻る"を実行できるはずだ。でもやはりどうしたって心配だという事実は揺るがない。ナマエにとってやはりリソルは後輩だし、守るべき存在だし、実際は守られているのかもしれないが、大切なかけがえのない人物だ。怪我のひとつさえしてほしくないというのが本音。しかし飛び込んでいくわけにもいかないし、

――ぱちん、


「…あ、」
「……なんだぁ?誰だテメエは!?見世物じゃねえんだ!さっさと消えな!」


ふと視線を上げた取り巻きの一人と、目が合ったナマエは思わず声を上げた。「は、」その声に一早く、明らかに焦りを含んだ吐息を漏らし、リソルが背後を振り向く。――目が合う。


「…ナマエ!?」


呼び声に先程までの余裕は消え、集中させていたリソルの魔力が散っていくのがナマエにはとてもよく分かった。「すぐ戻るから、待ってろって言っただろ!」「…ご、」「なんでオレの命令に逆らうわけ!?」「…し、」「ほら、とっとと帰りなよ!」「…おも、わず…」ごめん、心配で、思わず追い掛けてきちゃった。気まずさに、口は上手く動かない。――振り向き、焦りをこんなに全面に出し、自分を巻き込むまいとするリソルの姿はナマエが初めて見るものだった。言葉にならぬ衝動が、腹の底から湧き立ち、喉を詰まらせる。ナマエがリソルを守るべき存在だと思う以上にどうやら、リソルにとってナマエは自分に守られるべき存在だと思われているのでは、ないだろうか。過保護ともいえるぐらいの、この言葉は。

勇者の盟友は、解放者は、――最後のエテーネは、神々の望む世界を守るために、形無き存在に身を捧げて生きてきた。ここにいる、"普通の学生"とは遠くかけ離れた世界で呼吸を紡ぎ、生を喰らってここまで歩いてきた。…こんなにも、純粋に想われている事実が、嬉しくないはずがなくて、ナマエはリソルにどう言葉を返せばいいのか、分からない。


「スキありだ!」
「っ、リソル…!」


ナマエに気を取られたリソルに、三人が一斉に襲い掛かるのが見えた。舌打ちをし、腕で必死に顔を庇うリソルの方へ、駆け出す衝動を抑える必要はきっと、どこにもない。
ナマエ、とリソルが呼ぶ声が聞こえた気がした。圧倒的な力の差がある以上、衝動に任せて魔法を放ち、取返しのつかぬ事態に持ち込むわけにはいかない。環境を整えられた箱庭の中で、使っても許される範囲の力では抑えられぬナマエの本来の実力は、あまりに圧倒的過ぎるのだ。ならば何が許されるのかと言えば、盾となることぐらい。


「伝説の転校生とか言われて、調子乗ってんじゃねぇ!」
「私が呼んでって頼んだわけじゃな、ちょっ、…っ、」


リソルの前に飛び出したナマエの髪が掴まれ、思い切り引かれる。人間の、学生同士の、些細な喧嘩の中に(乗り越えたといえど)、冥王の姿がちらつきナマエは思わず顔を顰めた。反撃出来ないというのは、思ったより厄介だ。胸倉を掴まれ、バケーロの顔がナマエの目の前にやってくる。荒い鼻息から興奮を読み取り、さてどうやって鎮めるべきかとナマエの思考はゆるく巡る。こういったときアイゼルなら上手く力で解決してしまうのだろう。ほどほどの力で思い知らせるというにも、そのほどほどに適した魔法はどれなのだろう。選択肢が多いだけに迷いも多い。

ナマエが攻撃に転じないのを見、バケーロたちはますます調子付いていく。「伝説の転校生だぁ?大したことねーな!」「…よく見りゃ、エメットちゃんとまではいかなくとも、可愛い顔してんな」「ど、どうも…」取り巻きの一人に腕を捻り上げられ、バケーロにそんなことを言われ、お目が高いですね、と冗談を返そうとしたナマエの髪を掴んでいた、バケーロの手がナマエの視界の隅で弾かれた。次いで、ナマエの胸ぐらを掴んでいた手が離れ、腕も同時に解放される。思わずよろめいたナマエを支えたのは、あの日ナマエの身体を抱き抱えていた腕だった。リソル、と名前を呼ぼうとしたナマエは――………明らかにそれはやりすぎるのではないかというほどの魔力の渦巻きを肌で感じ、思わず口を噤んで目を伏せる。


「アンタたちさ、」


……これは、多分、怒っていらっしゃる。それも、ものすごく。

ナマエの傍で、静かに言葉を紡ぐ声がナマエの身体をやさしく離し、場から少しだけ遠ざける。リソル頼むから問題になるぐらい大変になるようなことはしないでね、フウキの活動に支障が出るかもしれないし先生に迷惑かかるし相手はほらまだ青い春を謳歌する若者だし!青い顔で言葉にならぬ言葉を口の動きだけで伝えようと必死で手を伸ばすナマエの音なき主張は、怒りで魔力を渦巻かせるリソルにはひとつも届いていない。リソルにとってもその衝動は、予想外のものだった。――自分のものが他人に触れられて、こんなにも腸が煮えくり返るような激情に襲われるというのは。


「オレのものに手を出したら、どうなるか。……教えてやるよ」


その言葉に、ナマエの思考が止まる。白い頬が一瞬で熱を孕み、赤く染まったのをリソルだけが、視界の隅に捕らえている。


20170509/星食


「ったく…クズどもにも困ったモンだよ」


何かというとわけのわからない言いがかりをつけてくるんだからさ。ぼやきながら、逃げ出していく三人組の背を視線で追う、リソルが一応手加減をしたのは、ナマエの目の前だったからに他ならない。「ま、あれだけ痛い目に合わせとけばもうちょっかいは出してこないでしょ」「…そうだねえ」どこか遠くを見つめ、頷きながら、ナマエは先の光景を思い出す。容赦ないドルマ系呪文の炸裂に、圧倒的な魔力差、実力差。あれで恐怖を覚えないはずはない。「それより、」――明らかに不機嫌な、リソルの声色がナマエをゆっくりと振り向く。


「オレは廊下で待ってろって言ったよね。どうして後を追ってきたわけ」
「そんなの、心配だったからに決まってるじゃない」
「なっ、」
「リソルが強いのは分かってるけど、心配なのは心配だし、…心配だったし」
「……何言ってんだよ、この、」


誰より強くて、――本当は誰より弱いくせに。

言葉を紡ぐ方法を、一瞬だけリソルは忘れた。棘を含んだ言葉の真意を、きちんと汲み取るナマエからの純粋な心配をされていた事実は、ナマエがもう顔も思い出せない男に自分の目の前で触れられた怒りを、じんわりと溶かしていく。「…アンタなんかに心配されるほど、オレ、落ちぶれてないからね」「それはそうだけど、どうしても心配だったんだもん。しょうがないよ」「…おせっかい」まあ、助けられたことについては、一応礼を言っとくよ。素直になれない後輩の、可愛らしい想い人からの言葉を、ナマエは頬を緩め、いえいえ、と謙遜と共に受け取る。ムカつく顔、とリソルの腕が伸び、ナマエの頬を指先でつまみ、引っ張る。


「けど、こういうおせっかいはもういいから。…二度とこんなことしないでよね」
「ひゃいひゃい、わひゃったひゃら、はなひて」
「……ったく、ヒヤヒヤさせて…つーか、触らせるとか、ムカつく」
「ひ、ひそる、いひゃい」
「うるさい、マヌケ顔」
「ひどひゅない!?」


ナマエの抗議は、リソルの激情は、すっかり沈みかけで黄昏を齎す、太陽の光に吸い込まれていく。