To dearest heart


- 諦める -




「すごい、すごいですセナさん!なんて綺麗な…!なんて良い香り!」


もっと色んな種類の、アストルティアのスイーツが食べてみたい。

神官の名を背負っていても、エステラも年頃の女の子だとセナは、頬が緩むのを止められなかった。エンジェルの称号を目指し、調理職人の道を歩むセナが友人の可愛らしいお願いを、にべもなく断るはずがない。お願いできませんかと遠慮がちな上目使いで攻められれば、任せてと首を上下に振るだけ。手を合わせ、目を輝かせ、喜ぶエステラにレシピブックを見せ、食べたいものの目星を付けてもらう。

セナは次の日、鞄の中をヒャド系魔法で満たして、一定の温度を保つためだけに魔法使いに転職し、炎の領界へと足を踏み入れた。丁寧に焼き上げたケーキやプリン。クッキーはバターをたっぷり使ってざっくざくに。とこなつココナッツたっぷりのタフィーは、クッキンエンジェルもお気に入りの一品。舌触りに拘ったシャーベットは爽やかなジュレットのマリンソーダテイスト、フルーツをふんだんに使ったゼリーは色鮮やかで、きっとエステラの目を引くだろう。そんなことを考え、セナはエステラの喜ぶ顔を想像して頬を緩ませていたくせに、実際に目の前で目を輝かせ、セナに称賛を送るエステラを見てしまえばもう、緩んだ頬がしばらく元に戻らなくなっていた。本当に本当に素敵です、と繰り返し、テーブルの上に並べられたスイーツをひとつひとつ眺めるエステラはまだ昼食を取っておらず、今すぐスイーツを口にすることが出来ないらしい。アストルティアの時間で、今は午後二時を少し過ぎた頃。


「そういえば、エステラって普段どこでご飯食べてるの?」
「教団の食堂ですよ。自分で作る暇はどうしても無いので…ああ、昼食代わりにセナさんのスイーツが食べたいです」
「だめだよ、ご飯はちゃんと食べなきゃ」
「ええ、分かっています…そういえばセナさんは、もう昼食を終えられていらしたのですか?」
「うん。でも、普段エステラが食べてるご飯は興味あるかも。見てみたいな」
「ならば、共に食堂に参りましょう」
「いいの?」
「セナさんは私達の大切な方。誰が食堂に入ることを禁じましょう」


そそくさと立ち上がったエステラが、持って行ってもいいですかとスイーツを見つめてセナに問うものだから、セナは再び頬を緩ませた。「食後のデザートにしようか」「はい!」喜色満面、頷くエステラのために再び、ヒャド系魔法を展開させたセナは鞄の中にスイーツを詰めていく。


**


「それで、大荷物というわけか。解放者様、あまりエステラを甘やかさないで頂きたい」
「難しいこと言うね、トビアス」
「…む、難しい…?」


額に皺を浮かべて眉を潜めたトビアスの前には、先ほどエステラの部屋のテーブルを埋め尽くしていたスイーツがずらり。

昼時から少し過ぎた時間に、食堂を訪れたエステラとセナの目に止まったのは一人でテーブルに着いていた、領界調査に出て今はエジャルナに居ないはずのトビアスの姿だった。パンとスープのシンプルな昼食は、セナの大きなカバンのせいでトビアスの喉に詰まりかけた。聞けばトビアスは定時報告で教団に戻ってきたついでに、少し遅い昼食を食べていたという。

同席してもいいかとエステラがトビアスに問えば、トビアスが了承するよりも先に、エステラの前にトビアスのものと同じ、パンとスープの昼食が運ばれてきていた。ごく自然な流れでトビアスの座っていた四人掛けのテーブルで、トビアスの斜め前に座ったエステラに、セナは一瞬どこに座るか迷い――…多少の気恥ずかしさを覚えながらエステラの隣の椅子を引く。正面にセナがやってきたトビアスは、久しぶりの解放者にどう言葉を掛けるべきか悩むつもりだったのだが、恥ずかし紛れにセナがスイーツを並べ始めたあたりでその考えはどこかに消えていた。ほとんど人のいない食堂のなかで、セナたちのテーブルだけが豪華に彩られ、厳かな空間から切り取られたように浮き上がっている。


「お待たせしましたセナさん!ああ、どれから頂きましょう…!」
「どれでも、エステラが好きな順番で」
「幸せで卒倒しそうです!なら、まずは…」


スプーンとフォークを両手に、目を輝かせたエステラが呆れるトビアスの視線を跳ねのけ、まずはとシャーベットに手を伸ばした。なら私もと、セナも同じようにもう一つ、自分用のシャーベットを手元に寄せる。炎の世界で生きるエステラやトビアスは、氷の領界への道が開けるまで氷の存在すら知らなかったほどだ。きっと一番に手に取るだろうそれを一緒に食べようと、セナはシャーベットだけ予備を持ってきていた。
ヴェリナードで購入した美しいすりガラスのカップに盛られた、海を閉じ込めた色の繊細な氷の粒がエステラの持つスプーンに掬い上げられる。ゆっくり、ゆっくり、それは艶やかな唇の元へと導かれ――…ぱくり、と口の中に閉じ込められた。舌の上で冷たい氷の溶けていく感覚を味わうエステラが幸せそうに口元を緩め、目を閉じたのを見たトビアスの喉が、微かに上下したのがセナの視界に入っていた。セナの手には、まだ口を付けていないスプーンが握られている。……これは、悪戯心の煽られることに都合よく、トビアスはセナの目の前だ。


「トビアス、食べる?」
「…良いのですか」
「もちろん!…はい、どうぞ」
「なら、遠慮なく」


スプーンで山盛り一杯、シャーベットをすくってトビアスの目の前に指し出して、トビアスがどう反応すべきか困り、固まって少し頬を赤く染めるのを見てから器ごとスプーンを渡すつもりだったセナは、差し出したスプーンに迷いなくトビアスが口を開けたのを見た瞬間、完全に思考回路が止まってしまった。「…えっ」予想外のトビアスの反応に、困惑が口から漏れたときには正面から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま引き寄せられている。セナをテーブルに身を乗り出す形にさせたトビアスは口に運んだシャーベットを舌の上で堪能し、飲み込み、余裕を以ってセナに微笑んだ。それは間違いなく確信犯の笑みで、トビアスを照れさせてやろうと考えていたセナの方が逆に、トマトよりも真っ赤に顔を染め上げられている。


「……ずるい」
「諦めてください、解放者様。そう思い通りにはいきませんので」


しかし美味しい、と呟いたトビアスの目の前にシャーベットの器を突きつけるぐらいが、セナに出来る精一杯の抵抗だったのは言うまでもない。


20161029