To dearest heart
- 焦がれる -
トビアス様は本当に素敵ね。聡明で、忠誠心に厚くて。武に秀で呪文の扱いも上手く、オルストフ様からの信頼も高くて、何より竜族を救うという使命に誰よりも燃えているお方だわ。
「あの方と結ばれたなら、きっと幸せな未来が得られると思うの」
「……そう、ですね」
うっとりと宙を見つめ、口元に笑みを浮かべてトビアスを語る竜族の女性に対し、セナは曖昧な相槌でその会話を切り上げた。逃げるようにその場を後にしたセナは今、主人のいない部屋で自分の持ち込んだぬいぐるみに埋もれ、今にも叫び出しそうな腹の底から湧き上がるなにかを堪えていた。可愛らしい竜族のぬいぐるみは、セナの友人が縫い上げた手作りだ。どこかトビアスに似たその竜族の男の子を模したぬいぐるみを抱き締めるのは、自分の胸を抱き締める感覚と同じ。セナは腕に力を込めるのに必死だった。自分を慰めるのに必死だった。説明されなくたって、私だって、私も彼の良いところをたくさん知っているのだと、口走りそうな衝動を抑えるのに必死だった。
しかし悲しいかな、トビアスに称賛を送る竜族の女性よりセナの方が、トビアスを眺めていた時間が短いのは事実なのだ。好きな気持ちは絶対に負けないのにと、謎の自信がセナの心臓の奥で、どくどくと血流に乗り全身に流れてゆく。同時にきっと上手くいくはずはないと、諦めに似た悲観がセナを戒め、種族の違いという事実がセナの喉を締めあげる。――あの方と結ばれたなら、きっと幸せな未来が得られると思うの。教団の庭から焦がれる瞳で、トビアスの部屋を見上げていた女性の横顔が鮮明に焼き付いている。
「セナさん、お茶が入りましたよ」
「……エステラにそんなことさせたって知ったら、ベサワキさんに殺されそうだね」
「あら、そうですか?」
「今から部屋を出るときが怖いもの」
「嫌ですセナさんったら。帰るときの事を今から話すなんて」
「ふふ、ごめんね」
ぷう、と頬を膨らませたエステラの機嫌を取ろうと、顔をぬいぐるみで隠して喋ってみればすぐに、エステラは笑顔に戻ってくれる。そういえばトビアスの笑った顔を見たことがないなと、セナの頭にそんなことが浮かんで、静かに消えていった。テーブルに並べられたお茶から立ち上る、柔らかな湯気に誘われるようにぬいぐるみを手放し、エステラの元へ歩いていく。
「もうすぐ、闇の領界の詳しい調査結果が出るそうです」
「…ってことは」
「はい、トビアス達が帰還次第、私達も出発することになるでしょう」
椅子を引き、座ったセナがぼんやりと、そっか、と相槌を打ったのを見てエステラは静かに口元を緩めた。「…ねえ、エステラ」「はい」「トビアスは、その、…優しいから。また誰かを庇って怪我して、今度こそ取返しのつかないことになったりしない、よね」――大方想像の着いたその質問にエステラは、恋煩いにつける薬はないと断言したナダイアの遠くを見るような横顔を思い出す。セナの頭の中はいつだって、トビアスのことばかりで溢れかえっているのだ。生きるべき世界で、彼女に思いを寄せる人間がいたとするなら、見たこともないその人間に思わず同情してしまうほど。
まだ出会ってから時間はそんなに経っていないけれど、過ごした時間の密度はそれなりのものだ。エステラは自分の見つけたこの小さな解放者の少女を、心から好くようになっていた。故に本当の兄弟といっても差し支えない存在に焦がれるようになったこの少女の恋が、実ればいいと密かに願っている。
「大丈夫ですよ。トビアスはちゃんと、帰ってきます」
「…そうだよね。うん、…今度はちゃんと、おかえりって言いたいな」
「氷の領界から戻ってきたときは、話せるような状態ではなかったですしね」
「もう二度と、傷付かないでほしいって思うのは我儘、だよねえ…」
「…………」
「……エステラ?」
――トビアスの目の前では赤くなってしまって、上手く喋れなくなるぐらいなのに。
「セナさんは、本当にトビアスが好きですね」
「へ!?」
「二度と傷付かないで欲しいなんて、私も一度言われてみたいものです」
「お、おこがましいかな!?やっぱり!?」
「いいえ。でも、トビアスには言わないことをおすすめします」
「…うん」
「トビアスもあれで、セナさんをなるべく危険なめに合わせぬよう、必死ですので」
「うん……うん?」
それはつまり、と数十秒ほどセナはエステラの言葉を噛み砕くべく思考を巡らせた。やがてその意味を咀嚼し飲み込んだ後、どんな顔をしていいか分からなくなったセナは熱い頬を隠すように両腕で目元を覆った。閉じた視界の中で浮かび上がるのは、未知なる場所へと足を踏み出すときの、焦がれた人の横顔だった。
――どうか、貴方が無事にここに戻って来ますよう。
20161026