01
「…なんだろう、デジャヴだ」
記憶は大きな美しい翼の影が、自分の影を飲み込んだところで止まっている。つい数十分前まで隣に居たはずのテリーもハッサンも姿を消し、ナマエはどこか見知らぬ小部屋の中に閉じ込められていた。扉は外から鍵が掛けてあるようで、押しても引いても開くことはない。手元には自分の笛とハープだけ。攻撃呪文を覚えられる体であればしっかりと習得し、この扉を吹き飛ばしていたのにだとか、このままこの扉が開くことはなかったらどうしようだとか、考えてしまうのが初めてではない気がして、ナマエは酷く戸惑っていた。――こんな体験は初めてであるはずなのに、何故既視感を覚えるのか。
部屋は毎日手入れがされていることをすぐに悟らせる、そんな美しさだった。空間を彩る装飾品は見たことのない細工が施されており、どういった動きをするのかナマエに想像もさせない。随分と発達した魔法科学で形成されたそれらがかなり高級な品であろうといううことしか、ナマエには理解できなかった。魔力に敏感な本能で、嗅ぎ分け推測したという方が正しいか。
いかにも柔らかそうなベッドに、床下に敷き詰められたふわふわの絨毯。仄かな足裏からの温もりからは、炎系魔法の香りがした。ああ、いいなあ、気持ち良い。馴染みのない場所ではあるものの、空気から漂うぴりりとした緊張感から、ここがどこかの国の城の内部ではないかということが伺える。レイドックのものとはまったく違えど、その空気はナマエのなかにある哀愁の念を掻き立てた。きっと見つかったら大変なことになるんだろうなあと逃避するナマエは自分をこの部屋に送り込んだ、美しき翼の影に溜息を吐く。
―――二人分の足音が、近付いてくる音が聞こえていた。
「では、こちらのお部屋にて。何かありましたら、女王陛下からお声が掛かるかと」
「はいはーい、待ってるわ。で、すっごくイイ部屋なのよね?」
「ええ、陛下自らが選ばれた品々で彩られた…特別な客室でございます」
下手に隠れては自らの首を絞める場所だろうと、ナマエは腹を括り扉の前に座り込んだまま動かないことを決めた。どくん、どくん、と心臓が高鳴り、心の奥では悪い処罰を受ける自分の姿ばかりが浮かぶ。賊として扱われるか、牢獄に入れられるか、はたまたその場で処分されるのか。扉の向こうから聞こえる会話の内容が事実であれば、どう考えても旅の吟遊詩人が城門を通っていないのに、女王の特別な客室とやらにいるのはおかしい。
二人分の足音が扉の前で止まり、鍵穴に鍵が差し込まれるあの独特の音がした。どくん、どくん、ナマエの心臓の奥が恐怖に鳴り響く。いっそ入ってきた二人を眠らせるか幻惑するか、混乱させるかしてしまって、何気ない顔を装って城を出るべきなのだろうか。ナマエはかちゃん、という錠前の開く音を聞きながら、必死に頭を巡らせる。……私がどういう処罰を受けることになっても、処罰を受けるだけでテリーにもハッサンにも迷惑が掛かる。そもそも二人を探しに行かねばならないし、二人だって私を探しに行くだろうし、
あ、扉開いちゃう、どうしよう……――――
「………え、あら、ウソ」
「……えっ、あ、あれ」
声を上げたのは、どちらからだったか。
目を丸くする兵士の後ろで、紫色の長い髪を揺らした美しい踊り子がナマエを見つめて目を見開いていた。扉の前に座り込んだナマエも、その踊り子を見つめて固まってしまう。頭を巡っていた呪文の詠唱スペルも、なにもかもがナマエの頭から吹き飛んでいた。
二人の間に立っていた兵士が槍をナマエに向けようとするのを一歩、踏み出すことで制したその踊り子は目を丸くするナマエの前に進み出て、そのまま床に膝を付いた。踊り子のその様子に槍を向けるべきか否か、迷っているのであろう兵士がナマエを睨む。その視線から庇うように踊り子がナマエの目を覗き込み、覚えてる、と小さく呟いた。伸ばされた褐色の指先がナマエの頬に触れ、髪に触れ、視線が笛とハープを捉え、口元からはナマエの作った、どこかで作ったあの歌が小さく漏れた。踊り子は確かにナマエのことを知っており、ナマエは確かにその踊り子を知っていた。
「……ねえ、アタシのこと覚えてる」
「うん、覚えてる。…覚えてる、んだけど」
「アタシも覚えてるわ。……覚えてる、はずなんだけど」
やだちょっと、どうして思い出せないのか、分かんない、ごめん。
呟きと共に腕が回され、ナマエの首を優しく抱き締める。「…でも、でも。アタシ、会いたかったわ。その…その笛の音と、また踊りたいって思ってたのよ。なんで、」忘れるはずないのに、と呟いたその声がその踊り子に随分似つかわしくなく、湿っぽい雰囲気を出していたものだから、ナマエは思わずその細い体を精一杯に抱き締め返していた。ナマエも確かに忘れるはずのない、その美しく艶やかな舞い姿を思い返し、どこでその舞姿と出会ったのか思い出せずに目を閉じる。
困惑する兵士を置き去りに、踊り子と吟遊詩人は暫く抱き合っていた。
20160604