眠れない千夜のために


たまには二人で出掛けましょうよ、王子様。

茶化すような言葉選びで誘われたテリーは、ナマエに連れられゼビオンの城下町へ繰り出していた。明日には出発するとオルネーゼから通達を受けて、今日は各々が旅立ちの支度をする日であったが、元々ナマエもテリーも(トルネコ以外の皆も)、少ない荷物で旅をすることに慣れている身だ。まあトルネコはその職業上、荷物が多いのは仕方のないこと。
話が逸れた。


「良い天気だねえ」
「仕事をしなくていいのか、お前は」
「たまには吟遊詩人もお休みしないと」


へにゃりと笑うナマエの頭上には燦然と太陽が輝く。眩しいほどに透き通った青色の空に両腕を伸ばし、唄いたいけどね、と言い出すあたり根っからの詩人魂を感じるが、しかしナマエは歌い出さなかった。竪琴の代わりにテリーの手を握ったナマエと、ナマエに歩調を合わせたテリーは並んで、目的地のない街中を歩いていく。人通りは多く、今日もゼビオンの城下は賑やかだ。


「そういえば、今更だけど」
「なんだ」
「テリーは……私を縛らないね。物でも、言葉でも」


ふと紡がれたその言葉が、愛情を疑うものでないことは百も承知だ。だからこそテリーはナマエのその問いかけに、意外だと少し、目を見開いた。「証明出来るものが欲しいのか」「ううん、そういうんじゃなくて。…自由にさせてもらっていいのかな、って」――肩をすくめ、テリーは優しすぎるんじゃないか、と困ったようにナマエが眉根を潜める。テリーは今のままでいいの、とその瞳が語っている。今のままでいいどころか、テリーがナマエのその自由な姿に惹かれたのだ。自分にない、何も縛られていない、そのままのナマエを好きになったのだから、得た事実だけあればそれで、と。自由なまま、ナマエが自分の隣にあるのは分かっていることだ。何をいまさら所有印をつける必要があるのだろう。ナマエだって何かに縛られるのは"合わない"人間だ。

テリーがククールのように愛の言葉を口で容易く紡げるタイプではないことを、ナマエはよく知っている。態度でお互いに、お互いへの愛を、信頼を証明しあっている。見えないそれらではなく、形で何らか、愛の証が欲しいというおねだりかと思えばそうでもない。ナマエの問いかけの真意が見抜けず(もしかしたら、本当に何気のない問いなのかもしれないが)、テリーはもう一度その言葉の意味を考えた。――…考えど、疑問符しか浮かばない。


「優しいか?」
「うん、優しいよ」
「買いかぶりだろ」
「そんなことない」
「なら、優しくされたくないのか」
「優しい方が嬉しいに決まってる」
「じゃあ、今のままでいいだろ」
「…そうなんだけど」


でも、と小さな声が抵抗を示す。握りあう手の平から、じんわりと熱が滲む。ナマエはこういったとき、言葉で表現出来ることは隠さず、全て伝えてくる。つまり今ナマエのなかには、ナマエにも理解出来ていない欲求、感情が存在するということ。それらがテリーに何かを求めているということ。
こういった状況の対処法を知らないテリーはどうしようもなく首を振り、なら何らか、ひとつぐらいなら、二人の繋がりを証明する物があってもいいかと、繋いだ手を引いた。小さく戸惑いの声を上げたナマエを連れ、適当な店を探して歩を進めていく。やがて魔法具や装飾品を扱う店の看板を見つけたテリーは、迷いなく店の扉に手を掛けた。からんころん、心地の良い鈴の音が午後の街中に吸い込まれていく。馬車の走る音に掻き消された鈴の音と共に、テリーとナマエは店に足を踏み入れる。

落ち着いた深い茶色と緑色を基調にした、魔法の香りが満ちる店の中を、テリーとナマエは進んでいく。静かな音楽が流れる店内に、間隔をあけてきちんと並べられた魔法具のショーケースを流し見しながら歩いていたテリーは、深い紫の輝きに目を引かれて立ち止まった。テリーに続き、きょろきょろと周囲の装飾品を眺めながら歩いていたナマエも足を止め、テリーの視線を追い、その輝きに目を細める。


――テリーの瞳とおなじ、紫色の宝石が嵌め込まれた銀色の指輪。


「…きれいだね」
「これにするか」
「買うの?」
「こういうときは、直感で選んだ方が後悔しない」


テリーは指輪の値段を確認せず、店員を呼んでその指輪を買うと示す。展開の早さについていけないナマエの目の前でショーケースの中から指輪が消えた。そして小さな紙袋に入った、深い青色のビロードの箱が店員の手からテリーの手に渡る。
上機嫌な笑顔に見送られ、テリーとナマエは店を出た。先程の会話の流れから、なぜテリーが指輪を買う流れになるのか。その指輪どうするの、魔力増強の魔法の香りがするけど、テリーが魔法使わなくても私が魔法使うのに。


「ナマエ」


言葉を紡ごうとした唇は、テリーに呼ばれて動きを止めた。――いつになく凛々しい瞳で、射抜くようにナマエを見据えたテリーはふと視線を落とし、紙袋から今買ったばかりの指輪が入っているビロードの箱を取り出した。開くと、太陽の輝きに反射した宝石のひかりが、テリーの紫色の瞳に映り込み、その輝きを一層美しくみせる。
箱から指輪を取ったテリーは、店を出たときに離れたナマエの左の手のひらをすくいあげ、自分の方へ引き寄せた。――ここでようやく、ナマエはテリーの思惑を理解する。つまりテリーは、自分の瞳の色と同じ色の宝石の指輪を自ら選んで、その果てで。


「ひとつだけ、覚えていればいい。…この先何があろうとも、いついかなる時も、心は共にある」
「…心は、共に」
「これを約束と捉えるか、誓いと捉えるか、願掛けと捉えるか、それは任せる。これは俺が、お前にこの言葉を伝えた証明だ」


躊躇いなく、左手の薬指に通された指輪のサイズはぴったりだった。「…テリー」「なんだ」「……ずるい」「お前ほどじゃない」満足そうに頷いたテリーに手を取られているせいで、ナマエは赤くなった顔を隠すことが出来ず、ただただテリーの言葉の証明を見つめる。美しい紫色のなかに閉じ込められた、愛の言葉にならば、がんじがらめに縛られたって後悔はないけれど、…ずるい。こんな優しい証明は、ずるいよテリー。


20170429/ユリ柩